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東京の石

 ネット通販は便利で苦手だ。「便利で苦手」ということは、不便なんじゃないか、という事にもなりかねないが、便利ではある。けれども苦手だ。
 届いた物が、液晶上で見た色とは違うこともあるし、サイズ感もいまだに想像し辛い。封を開けたら思ってたよりも臭いぞ、ということもあるかもしれない。頼る判断材料は星の数とレビューになってくるし、そのレビュー者も自分とは感覚がかけ離れている可能性も多い。自分は買うという行為に、視覚以外の感覚を大いに頼りにしているのかもしれない。
 買うと決めていた物でも、やっぱり店頭に足を運んで実物の商品を目の前にすると「んー、別に要らないな」と留まって、無駄遣いをせずに済む経験もよくある。実際に目で見て手に取り、ときめくかどうかを確かめるという行為は、お財布の為にも必要だ。
 お店に足を運んで買うのは面倒だが、悪くない。買ってすぐに、手元に重さを感じながら、その帰り道ワクワクするあのプロセスもプライスレスだし、五感全てでその記憶を引き出しにしまえるのも素敵だ。好きな子の誕生日プレゼントを買いに、入ったことも無い専門店に入って、大量のあぶら汗をかきながら女性店員に質問してプレゼントを選んだ事とか。本屋に行って目的の本を探していたら、別の本の方が欲しくなって、迷った挙句、結局漫画だけ買って帰った事とか。ゲームを買って、説明書を読みながら帰るあの高揚感だとか。本当に欲しいものを実感できる大事な経験な気がする。

 石が好きだ。石を拾うのが好き。子どもの頃、よく石を拾ってくる子だった。川原に行くと自分の感性に引っかかる石を見つけてはポケットに詰め込んで持って帰っていた。
 子どもの頃からよく遊んでもらっていた、親戚のような友達のようなおじさんがいる。大人になって久しぶりにその人に会いに行ったら、玄関に俺が拾ってきたという、丸い石を今だに飾ってくれていて嬉しかった。自分が拾ったものとは思わず「どうしたの、この良い石?」と聞いたら「昔、お前から貰ったんだよ」と笑われて、自分の石への感性が変わっていないことにも驚いた。「良い石」「いいいし」「ii-ishi」発すると顔がニッコリとなる良い言葉でもある。

 東京には石がない。いや、実際にはよく見ればあるのだろう。しかし人工的なもので囲まれたこの大都会東京では、道に落ちている石でさえも誰かがお金をかけて買い、ここに意味をつけて置いたような物に感じられて拾うのをためらう。公園や川の石でさえ、税金でここにばら撒かれたような気がしてくる。いや、税金で撒かれたなら、俺にも拾う権利があるのかもしれないが、持って帰るとなると公務員でもないのに「税金泥棒!」と後ろ指さされる気がしてしまう。
「納税額に応じて、拾える石の数は変わります」という法案があるのなら、今の俺はいったい、いくつ拾っていいのだろう。『はじめ人間ギャートルズ』に出てくる石のお金の絵が浮かんで転がして、捨てた。石は誰のものでもないのに。
 とまあ、色々と言い訳をしているけれど、東京に居ると、居ても立っても居られず、せかせかと早歩きしてしまっているだけだ。道草して石を拾うことも忘れて、目の前に無いキラキラしたなにかを掴もうと躍起になっている。足元にある綺麗な石コロに気づかずに、何もないところで躓いて転んだ。

 親戚のような友達のようなおじさんに、石の本を貰った。
『Babaghuri -ババグーリ-』というタイトルの本。とっても綺麗な石の数々。瑪瑙(めのう)と呼ばれるその石たちの写真集。ページをめくるたびにワクワクする。
 それらの石は全て著者が、インドのナルマダ川の近く、ラタンプールという小さな村から拾ってきた石だそうだ。「ラタンプール」とは「貴重な石の村」という意味があるそうで、ラタンプールで採れる瑪瑙を「ババグーリ」と呼ぶそうだ。
 写真で見ていると、その石を実際に手に取り、重さとか質感を確かめたくなる。著者のヨーガン・レールさんを羨ましく思う。
 なによりその村に行って拾えることが羨ましかった。その石を欲しいというより、その場に行って好きな石を探し、拾う、というその行為が羨ましい。石には人それぞれ好みがある。誰かと拾いに行って、自分の美に対する感覚を見せ合いたい。
 最近、山や川に行っていないな。今、川に行ったら気持ちが良いだろうな。裸足になって川に入り、いろいろな形の石に足ツボを押されて、痛い痛いと叫びながら、心身が健康になっていくのが想像できる。

 毎日毎日、拾うことよりも、拾われることを考えてしまっている。「石の上にも三年」と言うが、その下の石は誰か拾ってくれるのか。東京では、ただの石コロとして転がっていても誰も拾ってはくれない。そこは自分の意思で、磨いて光り輝くしか、その足元に気付いてはもらえないのだろうか。と、誰もが踏んだことのある、石と意思の韻を踏んで、捻って足を挫いた。
 それでも意地で、今日も何処かに足を運ぶ。

 読んでくれて、ありがとうございます。

 写真は静岡の石。手のひらの惑星です。誰か、石集めに行きましょう。

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