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あのひとは友達だったと思いたかった


「高校を卒業したら、詐欺に気をつけろ」と言われた。
春になるとことさら、巣立ったばかりの若者を狙う詐欺が多く出没するらしい。

上京したばかりの学生の頃、たしかに詐欺は多くいて、壺も印鑑も着物も宝石も買わなかったけれども、化粧水とエステの回数券、それから美顔器は三回も別のところで買わされそうになった。


都会には、ありえないほどかわいくてきれいで、肌がつるつるぴかぴかきらきらしていて、髪の毛はふわんとしてくるんとして、どうやったらそんな状態になれるのか、そういう子がたくさん歩いているのだった。そういう子しか歩いていないようにみえて、そういう子しか歩いてはいけないような気がした。そういう子ではないわたしは、どこを歩けばよいのだろう。そういう不安につけこまれたのだと思う。

あなた、すっごくかわいい。
でももっときれいになりたくない?

みたいな誘い文句だったと思う。うっかり足をとめると、どう見ても「すっごくかわい」くはないわたしのことを、お姉さん、もしくはお兄さんが、こそばゆくなるほどほめてくれて、「今ね、肌診断を無料でやってて、ね、五分で終わるから、ちょっとだけ寄っていかない?」などとそばの雑居ビルの二階あたりの小さな部屋につれていかれる。そこには別のお姉さん、もしくはお兄さんが控えていて、わたしの肌に紫外線をあて、「みてみて。これ十年後の姿。こうすると、見えないしみが見えてくるわけ」などと、ぶつぶつが浮かび上がるわたしの顔を鏡で見せつけてくるのだった。

それはたしかに醜かった。ありえないほどかわいくはないけれども、ぐらいの自己評価を、めったうちさせるぐらいに醜かった。
それで、美容液やら美顔器やらエステの回数券やらの営業になるのだけれども、それがおそろしく高い。無論買えない。そうしたらローンを組むようにすすめられて、そのローンの利子がまた異常に高い。要りません。買いません。というか、買えません。気が付けば三時間たっていて、お腹はすくし、くたびれるし、でも相手は「わかった、じゃあその気になったらまた来てね」などと残念そうな笑顔で言うわけもなく、「いつ決めるの、今でしょ。いつかいつかって、いつから努力するの。今でしょ」とわたしの美に対する怠慢をしつこくなじってくるのだった。

すみません、今、身分証明書も印鑑も何もないんです、それらを取りに帰りたいんです、と最終的に言うと解放してもらえることに気づいたので、そんな「嘘の種本」のようなやり方で毎回しのぐ。

他にもある。
びっくりするぐらい久しぶりの、そんなに仲よくなかったはずの友達からの連絡がきて、わあ!と喜んでいたら、なぜか心理学講座に誘われて、実は宗教の勧誘だったこともある。
絵画展にぶらっと立ち寄ったら、将来の投資のために絵を買うよう勧められたこともある。

そもそも紫外線で反転させれば、どんな肌も醜いし、都会のかわいい子は化粧が異常にうまいだけなのだ。
びっくりするぐらい久しぶりの、そんなに仲良くなかったはずの友達は、そもそも友達ではない。そしてラッセンのいるかの絵は、貧乏学生の家には要らない。


なんでそんなにひっかかるのか。あほなのか。
あほなのである。
みんないいひとにみえるのである。
大学に行っても、誰に話しかけてよいのかわからず、わたしのわたしたるところを、どこまで出してよいのかわからず、わたしなどいなくても全く困らない世界がそこに広がっていて、スクランブル交差点のどまんなかで赤になるぎりぎりまで立ち止まっても、誰かと目が合うわけでもなくて、ただひたすらに寂しくて、だから話しかけてくれたひとは、いいひとにみえるのである。
わたしというつまらないひとを、ひととして認識してくれたひとなのである。

いいひとの誘いを断ることがしのびないのである。
なんだか、いいひと同士のままで、この場を終えたいという欲があるのである。
「そっか、買わないのか。残念」
「うん、ごめんね」
「いいよいいよ」
みたいに終わらせたいのである。

なんだ、だましたかったのか。

そのからくりを知ったとき、本当にずいぶんと悲しかった。

だましたかったのか。お金がほしかったのか。わたし、お金、ないのに。食パン一斤で一週間をどう暮らすか、そういうことばっかり考えている貧乏学生なのに。
お金がないのが悲しいのか、騙されかけたのが悲しいのか、騙されそうになった自分の愚かさが悲しいのか、もう全然わからなかったが、ほうほうのていで逃げ帰るとき、いつも心から悲しかった。


もっと長期的な詐欺にあったこともある。

大学一年の頃、ひとりぐらしの家に電話がかかってきて、ああ、何かの勧誘だとわかったので、すぐに切ろうとしたのだけれども、お姉さんの声がからっと明るくて、「ごめんね、またかけるね、今から授業?」などとやけに馴染みある様子で言う。

「授業です」
「じゃ、ちょっとだけ聞いて」
「え、でも」
「二分でいいの。ごめんね」

英語とパソコンの教室で、それは電車でずいぶん遠くにあった。「そんな遠いところ、行けない」というと、お姉さんはそれ以上勧誘しなかった。そのかわり、わたしの話を聞いてくれた。親身に。親切に。昔からの知り合いみたいに。これ以上ないぐらい優しい声で。授業のこと、学校のこと、高校の時の部活のこと、趣味のこと、なぜそんなにぺらぺらと喋ったのだろう、寂しかったのだろう、寂しかった。寂しい女はあほになるとドラマでよく見るが、寂しい女は本当にあほだ。本当に本当にあほだ。
電話は、一時間に及んだ。楽しかった。

その一年後に、また電話がかかってきた。お姉さんのことはすっかり忘れていた。

「どう、元気?」とお姉さんが言った。
「元気です」
「友達できた?」
「まあまあ」
「よかったね」

それでまた一時間ぐらい電話で喋った。趣味のこと、学校のこと、うまくいっていない恋愛のこと。お姉さんはまた尋常じゃなく優しくて、またわたしの話を聞いてくれた。

その一年後、キャンパスが変わった。
わたしも引っ越して、家の電話番号は変わったけれども、新しい電話番号はこちら、と案内してくれるサービスがあって、それを伝って、お姉さんはまたわたしに電話をかけてきた。お姉さんの趣味の話とわたしの趣味の話と、おねえさんの仕事の話とわたしの学校の話をして、また一時間経っていた。
ちょっと遊びに来ない、とお姉さんが言うので、わたしも本当に、ちょっと遊びに行くつもりでそこに行った。

新宿の都庁のすぐそばに、その教室はあった。
新宿の都庁のすぐそばなら、何かしっかりした教室であるように思った。
都庁のすぐそばなのだから。

その日、わたしはお姉さんに初めて会った。お姉さんは、わたしの想像したとおり、すてきな大人の女性にみえた。都会的だけれども気取ったところはなく、ふんわりとして優しそうなひとで、どう考えても、このひとがわたしのことを数年にわたって騙そうとしているようには、今思い出しても本当に見えないのだった。
わたしたちは、「会えてうれしい」などと屈託なく話した。

英語とパソコンの教室を、案内してもらう予定になっていたのだけれども、「ごめんね。わたし、今日都合がつかなくなっちゃって、別のひとが案内するからね」とお姉さんが言って、わたしはその日、初めて会った知らない女の人に教室を案内してもらうことになった。

教室は広くきれいだった。わたしぐらいの歳の学生がたくさんいて、英語とパソコンを習っていた。

厳しい氷河期の就職活動を乗り切るためには、英語とパソコンスキルを身に着けておかなければならないと、漠然と思うことはあったけれども、わたし以外のすべての学生がみなこのように英語とパソコンスキルを身に着けているのではないかという、猛烈な不安に突如襲われた。
あとは美顔器と変わらない。
小さなブースに案内されて、パンフレットを前にして、初めて会ったお姉さんが語り続ける。語り続けるのを、ただ聞く。わたしに何か尋ねたりしない。お姉さんは語るのをやめない。

英語とパソコンの教室は、一括で払うと六十万だけれども、ローンを組むと八十万になる。一カ月三千円。何十年もローンを払う仕組みになっている。一日一本の缶コーヒーをやめればいいのよと、お姉さんは言うが、わたしは食パン一斤を一週間かけてちまちまちまちま食べているのだ。やめればいい缶コーヒーなどはなから飲んでいないのだった。

「ね、頑張ろう」
初めてあったお姉さんが言う。

「親に相談なんてしちゃだめ。いつまで子ども気分でいるつもりなの。就職活動はもう始まっているんだよ」
お姉さんがすこし強めに言う。

わたしは、ちょっと遊びに来ただけなのに。お姉さんに会いにきただけなのに。なんでこんな、初めて会ったばかりのお姉さんに、今怒られているのだろう。いや、あのお姉さんも、わたし、初めて会ったわけだけれども、でももう何年も前からお喋りしていたから。友達みたいになってたから。そんなことを思っていた。

印鑑も身分証明書もないので。
早くそれを言って帰りたかったが、それを言える流れではなかった。いかにわたしの考えが浅はかで、就職活動に対する心構えがなってなくて、社会をなめきっているか、お姉さんはそればかりを語り続けた。
就職活動より、おひるごはんが食べたいと思った。
疲れた。
朝十時に新宿都庁に来て、もう昼の三時になっていた。
昼前には教室見学を終えて、そのあとすこし新宿をぶらっと歩き、昼過ぎには家に帰ろうと思っていたのに。どうしてこんなことになっているのだろう。疲れた。疲れるのを、お姉さんは待っているように思えた。お姉さんは疲れないのだろうか。お腹、すかないのだろうか。心底不思議だった。

ようやく、契約の流れをお姉さんが話しはじめて、やっとわたしも「印鑑も身分証明書もないので」と言うことができた。これで帰れる。自然に。お互い、それは残念だったね、というふうに。

けれども、「大丈夫。うちのビルの下に印鑑ショップがあるから。身分証明書もあとでコピーして持ってきてくれたらいいから」とお姉さんがにっこりする。
「わたしの名字、珍しいので、たぶんないと思います」
 お姉さんは、一瞬怪訝な顔をしたけれども、「電話して聞いてみるね」と本当にいそいそと印鑑ショップとやらに電話をはじめて、印鑑の在庫を確認し、「あるみたい。ここに届けてもらうことにするね」「いいです。印鑑、必要ないので」「いいのいいの。この印鑑は、わたしから、がんばるあなたへのプレゼントね」と笑顔で言う。

怖い。
猛烈に怖いけれども、この場からどうやって帰っていいのか、本当にわからない。
隣のブースには、わたしと同い年ぐらいの、でもわたしより、明らかに分別のありそうな男子学生がいて、無愛想な顔をしているのがちらっとみえた。一緒に帰ろう、言いたかったが言えなかった。なんでこんなところにいるの。寂しいのか。寂しいとやっぱりひとはあほになるのか。

こうやってひとは、冤罪を認めてしまうのだろうか、と思いながら契約をした。六十万が八十万になる、一カ月三千円を何十年も払いつづける英語とパソコン教室で、氷河期の就職活動を乗り切るために、というよりも、この場から早く帰りたい一心でもらった印鑑をついた。つく前から後悔ばかりあって、本当に怖かった。
八十万を払わなければならない。でも、就職活動のためだもの。今は、氷河期だもの。パソコンと英語ぐらいできないと。八十万ぐらい、働いたらすぐ返せる。そう思い込もうとした。そう思わないと恐怖で立ち上がれないと思った。

帰り際、わたしがずっと会いたかったお姉さんが受付あたりにいて、書類を受け取って帰るわたしに、「頑張ることにしたんだ」と言った。その時の顔を覚えていない。晴れやかであったか、何か含みがあるようであったか。

家に帰っても怖くて怖さは消えなくて、すぐに友達に相談したら、消費者センターを教えてくれた。
往復はがきでもってクーリングオフをするように消費者センターのひとは丁寧に教えてくれた。安心して、電話口で泣いた。

数日後、往復はがきを受け取った、どういうこと、ひどいじゃないの、とわたしに印鑑をくれたお姉さんから怒りの電話がかかってきて、「すみません」と謝ったら、怒ったまま電話はきれた。契約は、無効になった。


それは、完全な詐欺よ。
あなた、ひどい目にあったわね。

あの時、消費者センターのひとがそう言って、慰めてくれた。

そうでしょうか。
わたしが悪いんじゃないでしょうか。
もっとわたしが賢ければ。
わたしがしっかりしていれば。

いやそうじゃなくて。

わたしが不安じゃなければ。
不安にならなければ。
わたしが寂しくなければ。
寂しくならなければ。

そうしたら騙されることはなかった。
詐欺にあうことはなかった。

詐欺、どこから詐欺だったのだろう。たぶん最初から詐欺だったのだろう。

永遠に寂しくならないひとはいるだろうか。
一瞬足りとも不安にならないひとはいるのだろうか。

あのひとは、友達じゃなかった。
友達じゃないから、断ってよかったのだ。
友達であっても、断ってよいのだ。
リアルで会ったことのない友達なら、なおさら。
その日会っただけの、いいひとそうであるだけのひとなら、なおさら。

そのひとが、優しく甘い言葉をくれて。その言葉に救われたことがあったとしても。

丁寧に、その場の雰囲気が悪くならないように、言葉を選ぶ必要はない。
何も言わなくていい。黙って電話をきればいい。立ち上がって帰ればいい。後ろから、誰かが何を言おうとも、ふりかえらなくてもいい。

遠くに離れる。
ああ、怖かったと声に出してみる。
もしくは助けてくださいと叫ぶ。
あたたかいものを食べる。
深呼吸をする。
たくさん眠る。
光を見る。

寂しくても、悲しくても、スクランブル交差点の中に、あなたを知るひとは誰もいなくて、世界中、あなたを知るひとが誰もいなくなったように孤独で、でもあなたにはあなたがいる。どうぞ、そのことを覚えていてほしい。

新しい生活をはじめるすべての方に、本当の素晴らしい出会いがありますように。
幸あれと強く願う。

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