母は最強で、いくつになっても勝てないなぁと思った話。
年末年始。
地元鹿児島が大好きなぼくは、1日の運行を終えた環状線が駅舎に帰っていくがごとく、2年に1回ほど、充電がてら鹿児島の空気を吸うために地元に帰る。
鹿児島独特のなまりのある言葉のイントネーションが、ほっと一息つかせてくれる。少し車を走らせ田舎に向かうと家畜のフンの匂いがする。
あの感じがたまらなく好きなのだ。
だが、2022年は転職のタイミングでまとめて有給を取得しており、5月にすでに帰省済みだった。
「今年は年末、大阪で過ごすね」
母にそう告げた。
可能であれば 1年に何回でも鹿児島へ戻りたいとは思うものの、帰省してもだらだら年末年始を過ごすことは目に見えている。
そんな年末年始の過ごし方は大好きなのだけれど、スイッチが完全に切れてしまって1月に再始動するのが大変になってしまう。
ランニングでもできればまだマシだが、ランニングウェアを持って帰省するのは荷物が増えるのでなるべく避けたい。
となると、年末は大阪で過ごすか…、という結論になるのは、妥当な判断だといえた。
「じゃあたまには母がそちらに遊びにいくよ」
母からの意外な提案に少しびっくりしたが、少し前に「あなたが親と過ごせる時間は意外と残り少ないよ?」的な記事を目にしていた。
「じゃあ駅まで迎えに行くね」
12月で還暦を迎えた母と死ぬまでに一緒に過ごせる時間がそれほどないかもと考えると、お互いが元気なうちに会えるだけ会っといた方がいいなと思った。
こうして年末年始、母が大阪へと遊びに来ることになった。
ーーー ✂︎ ーーー
ほかの家庭がどうなのかはわからないが、石田家では実家に帰るとぼくの財布から出ていくお金が極端に減る。
何を食べようが、どれだけアルコールを飲もうが、大黒天「母」が全部お金を出してくれるからだ。
さすがにお年玉こそもらうことはなくなったが、最強魔法で財布を守っているが如く、いっさいお金が減らない。すべて奢ってくれる。
さすがに悪くて「ここは僕が出すから」とかっこつけて財布を出そうものなら、「いいから!」と強めの覇気で押さえ込まれる。
かっこつける隙がない。
いく人かの友人に、それぞれの母の話を聞いたが、わりとそういう家庭は多そうだった。世の中のお母さんの愛の強さというか、寛大さについてはつくづく驚かされる。
とはいえぼくももう35歳だ。
となりのトトロのキャラクター、めいとさつきの父の年齢が32歳。
かつて同い年だったクレヨンしんちゃんの野原しんのすけ5歳、その父、野原ひろしが35歳。
さすがに親に奢ってもらって喜んでる場合じゃない。野原ひろしが親におごってもらって喜んでる姿が想像つくだろうか。
・・・いやまぁなんとなく想像ついちゃったけど、たまにはぼくもカッコつけたい。友達と飲んでるとき、「母ちゃんに会った時はすべてぼくが出してるんだぜ」とどやりたい。
大阪に母が来るのであれば、当然関西での観光案内を任されることとなる。
大阪を中心として、観光スポットが盛りだくさんの関西圏。それらを回れるだけ回ろうと思えば、当然ある程度のお金が必要となるはずだ。
(にやり・・・)
カッコつけるチャンスがきた。
というわけで、わんぱく小僧の夢に負けないくらいありったけのお金を詰め込み、年末年始は関西各所で、大魔法「PayPay」を唱えて回った。
飲食店、レンタカー、高速道路、神社、唱えられそうな限りの場所で、「PayPayでおねがいしまァァァす!!」と唱えて周り、足りなくなるとときに「チャージ」という必殺技を使った。
頭のてっぺんから足の爪先に至るまで、見栄という見栄をこれでもかというくらいに張った。
たまに大黒天が払ってくれることもあったが、それでもおおよそのお金を払うことに成功。
「あぁ、これでやっとぼくも少し大人になれたかな」
新幹線のホームへ消えていく母を見送る頃には、かっこつけてそんな言葉を吐けるほどになっていた。
ただかっこつけたくて払っただけではあるものの、これで母ちゃんと対等な関係で話ができるようになったかな、と思うと、嬉しくなって少し口元が綻んだ。
ーーー ✂︎ ーーー
新大阪のタリーズで本を読んだのち帰路につき、家でSPY×FAMILYを見ていると母からLINEがはいった。
「今帰りました。お金使わせちゃってごめんなさい。ありがとうね」
うむ。そうだろう、そうだろう。
これまでは母に奢ってもらってばかりだったが、今回はこの僕がほとんど払ったのだ。
母よ、あなたが育ててくれた息子の成長を大いに喜ぶがいい。
くくく。
・・・なんてことを考えながらにやにやしてラインを見ていると、追加でLINEが送られてきた。
「お金を本棚にはさんでおきました。使ってください。」
・・・・・・。
ディスプレイで流れるSPY×FAMILYを一時停止して本棚に向かうと、茶封筒に福沢さんが何名か入っていた。今回ぼくが母のために唱えてきた PayPay を上回る金額であることは間違いなさそうだった。
「・・・勝てねぇ」
ぼくは母の手のひらで格好つけているだけだったことにやっと気づいた。
今回のことで改めて気づいたことがある。親にとって子供はいつまでたっても子供だってことだ。
家庭によるのかもしれないが、子供にとっての親孝行は奢ってあげることではないのかもしれない。
なるべく元気で健康であること、たまに顔を見せたり連絡をちゃんと取ることのほうが、よっぽど親孝行になりそうだ。ぼくが親の立場でも、奢ってもらうよりそっちの方がずっと嬉しい気がする。
もちろん、年齢を重ねて老化が進むと介護が必要になり、いくらか金銭的なサポートが必要になることもあるだろう。そういう準備をしておくことは怠らないようにしておくことは大事だ。
一方で、生きている間の時間がもっと大事なのは言うまでもない。来年も再来年も親が生きている保証はないし、ぼく自身にも同じことが言える。
お互い元気で健康なうちになるべく一緒の時間を作り、笑顔でコミュニケーションする方向で親孝行をしよう。
今回のことで、そう心に決めた。
使えるお金は、自分の成長や周りの大事な人たちのために使っていくことにしよう。
あーぁ。
母、強し。
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