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いまの借りているへやのベランダは列車の往来を見ることができる場所だった


はじめに

 興味のないかたにとってはまったくピントこない内容かもしれない。わたしは鉄道を見るのも乗るのもすき。そのすがたを目にすればじ~と視線がそちらのほうへ固定されがち。かといって熱中して嗜好をもつ方々とともに乗りまくる、見てまわるというほどでない。気はずかしいので、はたからみてほどほど興味ありの状態でとどめている。

きょうはそんな話。

鉄道がすき

 わたしの本名には「てつ」がふくまれる。それには理由がある。生まれもそだちも北九州市の八幡西区。18までそこですごした。母子手帳には合併まえの八幡市の表記。

ここまで読まれてピンとこられた方もおいでだろう。そう、八幡は鉄の街。なまえに「てつ」の音がはいるのはそのため。この大手鉄鋼会社の関連上場会社につとめる父がこの街の象徴にちなんで名づけたとのこと。

先日のブラタモリでこの生まれ故郷がとりあげられた。

番組を観ながら年に一度の「起業祭」を思い起こした。ちょうどさむくなるこの時期だった。いまはちがうが当時は一企業の主催する祭りだった。

しらべるとことしも10日ほどまえに開催された模様。なかなか信じてもらえないが、この祭りの日は学校が休みや半どんだった時期がある。それほどこの企業におんぶにだっこの街だったといえそう。当時この起業祭ならではの行事のひとつが工場見学。ひろい製鉄所の工場をバスでめぐる。引込線が縦横にのび、材料やなにかを敷地の内外にはこんでいた。

線路を延長するとかなりのキロ数になると学校で教わりおどろいた。轟音のひびきわたる圧延工場のなか。はなれた場所でも輻射熱を肌にかんじる真っ赤な銑鉄の塊が流れ作業でうすくのばされていくようすはあたまからはなれない。車などの鉄板や鉄道のレールになる。世界の最先端の技術をこめられた鉄製品がこの八幡の工場でつくられるとの説明。

校舎の4階から

 すごした小学校はそうした企業城下町のまちなかにあった。この企業をはじめとする大手企業の団地の子どもたちが多かった。筑前街道の松並木がかろうじてのこる街道ちかくに学校があった。学年を進級するたびにできて間もない鉄筋校舎の上の階へとあがっていく。

校内に植樹されて大きくなった木々にじゃまされ見通せなかった工場地帯の街なみがようやく4階にあがるとさえぎるものなく廊下の窓からはるかさきまで見わたせた。休み時間にはそこから街のようすをよくながめていた。

1キロも離れていないさきには複々線区間の鹿児島本線と工場に出入りする貨物線が並行してのびる。せわしなく行き交うさまざまな色の列車が行き来していた。

休み時間の10分ほどを列車のうごきとともに箱庭のような街のようすをいつも見飽きずにながめていた。ちょうど雑誌にドラえもんが連載中。街をそのまま箱庭のミニチュアに変える「道具」をのび太がドラえもんのポケットから出してもらいたのしく遊ぶ。羨望とともに空想した。

それをまさに実感できる世界が目のまえに。しかも毎日、教室から廊下に出るだけでながめられるなんて。じつにいい場所に通えているんだとほかのわずらわしいことをわすれて眺めたり、そこからスケッチしたり。

移り住んで

 そののち故郷をはなれて各地を転々とした。ごく最近、ターミナル駅からすぐの賃貸マンションにひっこしした。散歩すると高架のうえを行く列車。ビルとビルのあいだを低速でぬけていくようすは迫力がある。しばらくまえの工事でここらあたりは地上から高架になりじつにすっきりした。

発展をつづけるエリアのため、交通混雑は時間によってはそれで解消できたとはいいきれない。そうしたなか鉄道と自動車の交錯するようすは街の繁栄を物語っているようでどこか元気がわいてくる。

べんりさを享受できるはずなのにながめるばかりで鉄道を利用する機会はほとんどない。このあたりを歩きつつ列車の行き交うようすをながめるばかり。

おわりに

 鉄道は2本のレールでとおくの街とむすばれている。想像をさまざまめぐらすにはじゅうぶんすぎるぐらいの設定。鉄道のおもしろさはそれだけではない。列車の運行などシステム自体がさらにおもしろいし、時刻表もいい。いろとりどりでさまざまな形状の列車はいちばんの興味の対象。

じつは最近、自室のベランダからほんのすこしだけ高架を行き交う列車が垣間見えると知った。鉄道が見える場所に住めていたなんて。

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