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ふりかえり学習:はやり病で目にした生化学の用語としてのアミノ酸残基の1文字表記について


はじめに

 はやり病のワクチンや変異株の影響で知ることになった「スパイクタンパク質」、「変異株」などの用語。生化学の分野でつかう用語として、世間ではメジャーな部類ではありません。

しばらく前、新奇な変異株の名称(たとえばN501YE484Kなど)が報道されました。こうしたアミノ酸残基の1文字表記があまり説明なしにつかわれている例がありました。

それから数年がすぎ、世のなかでは今回のできごとの推移について、若干ではありますが客観的にとらえられつつあります。そこでこの用語についてあらためて記しておこうと思いました。

なるべくわかりやすく。 

(注意)本文の内容に関してご疑問な点などは、下記に示した出典および最新のものについてお調べ願いますとともに、内容に関しましては自己責任にてご利用いただきますようによろしくお願いいたします。

アミノ酸残基とは

 生体を構成するタンパク質は、おもに下に示す20種類のアミノ酸残基から構成されていて、ネックレスのようにペプチド結合(アミド結合、酸アミド結合)により連なります。つまりネックレスの真珠1粒ずつがアミノ酸残基に相当します。

いきなり登場したアミノ酸残基という用語はなじみがありません。説明が必要ですね。

アミノ酸が単独で存在するとき(つまり遊離アミノ酸の場合)にはアミノ酸、タンパク質を構成する部品としてはアミノ酸残基とよぶことになっています。

ただしプロリンについてはイミノ酸なので本来ならば「イミノ酸残基」と呼ぶべきですが、プロリン残基もひっくるめて便宜的にアミノ酸残基の範疇であつかいます。

アミノ酸残基の表記

 アミノ酸残基をふつうは大文字まじりのアルファベット3文字であらわし、これをアミノ酸残基の3文字表記といいます。

(例)グルタミン酸ならばGlu、グリシンならばGly

これに対してコンパクトに表記する場合には、アルファベット1文字であらわす表記法を用い、アミノ酸残基の1文字表記といいます。

(例)グルタミン酸ならばE、グリシンならばG

これらの表記法は国際生化学連合の生化学命名法で決められ、基本的に論文等でことわりなしに使ってよい学術用語として通用するものです。日本では後者は一般的に大学の理系教養程度(共通教育)の生化学、生命科学などで教えられています(1)。

以下のとおりアミノ酸残基名、3文字表記、1文字表記の順で示します。

グリシン     Gly G
アラニン     Ala A
バリン      Val V
ロイシン     Leu L
イソロイシン   Ile   I
メチオニン    Met  M
プロリン     Pro P
フェニルアラニン Phe F
トリプトファン  Trp W
セリン      Ser S
トレオニン    Thr T
システイン    Cys C
チロシン     Tyr  Y
アスパラギン   Asn N
グルタミン    Gln Q
アスパラギン酸  Asp   D
グルタミン酸   Glu E
リジン(リシン) Lys  K
アルギニン    Arg R
ヒスチジン    His H

表記法の例

 ここで報道されていたウイルスの変異株N501YE484Kに着目します。これらのなまえは、多数のアミノ酸残基がつらなるウイルスのスパイクタンパク質に注目して名づけられたものです。

N501Y変異株とは、スパイクタンパク質の501番のアミノ酸残基のアスパラギン残基(N)がチロシン残基(Y)に変異した株

E484K変異株とは、スパイクタンパク質の484番のグルタミン酸残基(E)がリジン(リシン)残基(K)に変異した株

をそれぞれ示してます。

変異は遺伝子におこる

 アミノ酸残基のそれぞれは、遺伝子DNAの転写産物であるmRNAの塩基の3つ組のコドンを反映しています。各々のアミノ酸残基のコドンは何種類かあります。実際にどういった手順で変異したか途中段階は厳密にはわかりません。

できた結果についてだけ確実に配列を解いてあきらかになります。ここでは說明のためにあくまでも想像でシンプルな変異の一例を示しますね。

N(アスパラギン)をコードする塩基のうち、読み枠のひとつめの最初の位置のA(アデニン)がU(ウラシル)に変異すると、結果としてY(チロシン残基)にコードが変わることになります。

注意してほしいのは、アミノ酸配列にように塩基配列のアデニンとウラシルも一文字表記です。ややこしいですね。図でまとめると下のように。

塩基配列      ・・・AAU・・・    
アミノ酸残基の配列 ***Asn*** 
               ⇓ 突然変異 
塩基配列      ・・・UAU
アミノ酸残基の配列 ***Tyr***

こうした1塩基の置換による突然変異をウイルスの場合には頻繁に起こすとされています。

荷電が逆に(私見)

 とくにわたしが気にしているのはE484K変異株のほうです。国立感染症研究所によると、この年の2月19日時点でこのE484K変異株が国内に流入(2,3)、関東や東北に拡がりました。

こちらはアミノ酸残基でみるとEからKへの変異です。つまりグルタミン酸残基からリジン(リシン)残基に変異したことを示しています。

生体内の環境のもとで側鎖のカルボキシル基に負電荷をもてるグルタミン酸残基から、(状況によっては)正電荷をもてるリジン(リシン)残基のアミノ基に変わっていることを意味しています。

生体内環境下において、かならずしも両者とも荷電状態にあるとは限りません。立体構造上の詳細なちがいを明確に把握することは難しいですが、変異前とくらべて分子構造に比較的大きな変化を招きやすい可能性があります。

タンパク質分子の構造と機能を研究してきたひとりの科学者として、邪推を避けるべきですが、いずれもタンパク質分子表面に出やすい親水性のアミノ酸残基の側鎖です。

これらの側鎖の末端部分でイオン相互作用や水素結合などを生じやすく、分子そのものの構造や分子間相互作用にわりと大きな変化を与えうることが容易に想像されます。これは変異前につくられたワクチンでは、その反応性の点でじゅうぶんかどうか確認が必要です(そののちじゅうぶんにはたらきうると確認されました)。

おわりに

じっさいにこの変異株が確認された当時、慶応大学の研究者(3)や山中伸弥博士(4)は、この変異がワクチンの反応性に影響する可能性を示唆する文献を見出し、注目しています。

変異ウイルスへの対応として、迅速なワクチンの改良・開発、変異株ごとの流行の地域や時期をみた投与がこれから先には必要になると考えられます。

引用文献


(1)ホートン生化学 第4版 東京化学同人 2009.
(2)国立感染症研究所 2021/2/19
https://www.niid.go.jp/niid/ja/diseases/ka/corona-virus/2019-ncov/2488-idsc/iasr-news/10188-493p02.html
(3)慶応大学医学部 臨床遺伝学センター 2021.3.4
https://cmg.med.keio.ac.jp/covid19/
(4)山中伸弥による新型コロナウイルス情報発信 2021.2.2
https://www.covid19-yamanaka.com/cont1/62.html


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