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桃の季節がやってきた:うちの桃の木のいきさつと現状


はじめに


 待ちに待った季節がやってきた。なにはともあれ桃の果実の登熟の時期。畑に上がり、白い袋に包まれた中のようすをたびたび観察しながらようやく収穫の日を迎えた。これは一昨年までのこと。いまはみるかげもない。

ここ数年の大風で太い幹は見るかげもなく倒れてしまった。ここ2年はひどかった。家族で暴風雨や台風を避けて泊りがけの避難を3回。それでも昨年の桃の木はそれでも倒れたまま実をたくさんつけてくれた。じつにその姿は痛々しい。

だから感謝しながら収穫していただいた。ことしは昨今のできごとがあり、転職、畑しごとは棚上げ。

それだけ桃の木の世話をできていない。

忘れられない経験


 28年前のある西日本の街に在住の頃のこと。しばし桃の木の話からはなれる。家族とともに夏休み終了間際のツアーで訪れた東北。メインのスキー時期でないツアー。したがって子どもむけの行事が目白押し。

仙台近郊の名取川で化石採集、そののちは西に進み、夏の蔵王の雪のないスキー場へ。冷涼な高原でバーベキューなどで半日すごし、こどもたちは丘陵の草原を走りまわって満喫。夜は花火。

翌日以降は北へ。松島で新鮮な魚を味わい、瑞厳寺の周囲や海岸から見える島々の風景を見ながら散策。各地をめぐりながら虫取りやこけしの絵付け体験、山形にも寄った。東北の各県はあまり来たことがなかったので、めずらしい植物が豊富だった。じゅうぶんおとなでも楽しめた。

そして…。たびの最終日にはいちばんたのしみにしていたこと。

桃狩りで完熟の桃を


 ツアーの最後は福島の農家さんのはたけで桃穫り。住んでいた関西とは果実の季節の進行がちがう。8月末の時期でもなんとか木に桃が実っていた。

色づきよく仕上げるために、木の根元にはアルミの反射シート。まぶしいなかに文字どおりの桃色に熟した実がたくさんなっていた。

畑全体が果実のかおりにつつまれ、このなかにずっといたいほど。桃の木はどれも太く、長年にわたり栽培をつづけてきたようす。そのまわりには若い木が植えられていた。果実畑は広く、バス一台ぶんのツアー客が来ても広々していた。

その日はツアーの最終回の最終日で、あと5,6時間後には帰りの飛行機のなかという時間。お昼過ぎのおやつにちょうどの時間だった。どれでもとって食べていいとのことだったが、わたしたちはその畑の主についてまわり、「ほれっ、これうまいよ。」とさしだす桃をつぎつぎにほうばった。

こどもたちはおいしいものをよく知っている。無言でむしゃぶりついていた。ふだんおいしいものを食べさせていないことが明白。皮はするりとかんたんに剥け、果汁はまさに蜜のよう。味と香りはなにも足さずとも申し分ない。

木で完熟をむかえたものをその場であじわうぜいたくな体験だった。

桃の苗木


 じつはそのツアーに出る直前の春に桃の苗木を店で買い、庭に植えていた。品種は川中島白桃。ツアーであじわった畑の桃ほどでなくてもいいから数個でも実がならないかなと期待しつつせわをして3年。

ほんとうに実がつきはじめた。じつに大きい。そして熟れて味見したところ、福島で食べた桃に劣らずうまい。いい苗木に出会えたらしい。試食した父もそれを確認、畑の桃の木をべつに育てはじめていたが、そちらに接ぎ木。畑でもこの川中島白桃を育てはじめた。

年月がすぎて


 それから20年あまり。すでに庭のもとの木はおおきく育ち、たくさんの実をつけてきた。多い年には300個以上。

おすそわけした方のなかには、わたしに桃の品種をたずね、数日おかずして桃の苗木を同じ店に買いに走った方がいた。それからこの桃の木の評判を聞きつけて、となり町から接ぎ木用の枝をもらいにくる農家の方が訪れた。なかには果樹農家の方も。

それほどの木だったようだ。そして接ぎ木した畑の桃。こちらも3年ほどすると実がなりはじめ、5年前ぐらいからはこちらがメインに。ちょうど庭の木と交代した。

おわりに


 むかしから桃好き。周囲に桃がふんだんにあるわたしは運のいいほうだと思う。

つぎの代の木をどうするか、接ぎ木もふくめ思案中。それだけ手間のかかる果実だ。だから周囲の方にはおすすめはしていない。農業をこころざし活動をはじめたこどもと話し合って意向をよく聞いておかないと。

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