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使い古したクレジットカードで交通機関を利用できるべんりさとあっけなさ


はじめに

 かなり以前のこと。公共交通のワンマンバス(それ以前はべつに車掌がいた)を利用するまえに小銭をたずさえているかどうか確認してから利用していた。運営する会社が異なるとそのたびに支払いをしていく。なかなかわずらわしい。

それがどうしたことかある時期からようすがかわり、ICカードやてもちのクレジットカード(一部だが)をあてるだけで支払えるように。隔世の感がある。

きょうはそんな話。

このまわりも

 そんなにむかしのことではない気がするのだが。外出する際に公共交通機関を使う予定ならば、家で小銭をさがしまわることからはじめていた。たいてい近所のバス停からワンマンバスにのるとなると車内で料金を支払うことになり、小銭が必須だった。当時住んでいたあたりには店がない。両替機のある駅まではなれていた。そんなときのためにつねに家に硬貨をいくらか準備していた。

すくなくとも千円札は車内の両替機でギリギリなんとかなるが、混雑していて、しかも停車のタイミングがないとなかなかそれもかなわない。車内のお客さんと両替し合う光景を目にして、乗車まえに小銭の持ち合わせがないと乗るのをあきらめていたぐらい。

とくに雨の日などは荷物やかさなど両手がふさがり、乗車~支払い~下車までのだんどりをあたまのなかでシュミレーションしておかないとバスには乗れないほど。要領のもともとよくないわたしにはなかなかひとしごと。そして下車後はどっと疲れが出る。

都心では

 したがって小銭による料金支払が主流だったころに都心への出張で地下鉄やJRなどを乗り継いで行き来するだけで疲れたのはそれもありそう。ただでさえ大勢のヒトのなかにいるとめまいするほど「ヒトアタリ」しやすいうえにのりかえの複雑さも相まってどっと疲労困憊してしまう。

それでよほどだいじな用事がないかぎりみずからそうした場所には近寄らず、なるべく避けてきた。

あせりを回避したい

 おそらくスムーズに支払いができないはずだという固定観念がはたらきやすいのだと思う。どうしてヒトビトはああもスムーズにきっぷを買い、改札をさっそうと抜けていけるのか。ふしぎだった。

わたしにはもっとも向かない行動であれこれかんがえてしまい、そのうち思考停止しからだがこわばってしまい、いよいよ動けなくなった。

ICカードとクレジットカード

 このところ街中に引っ越したついでにほぼ全面的に現金を扱わないですごせるように「訓練」をしている。多くのヒトビトにとってはなんでもないことかもしれないが、わたしにとってはなかなかやっかいこのうえない。ほかの方がそれとなくつかうようすを見るとはなしに、ああ、するんだと羨望のまなざしをむけつつ確認し、おろるおそるおなじしぐさをまねるようにやってみる。

ちょうどおさないこどもがおとなのまねをするかのよう。きっとこどもたちもどきどきわくわくしながら兄姉やおとなのまねするんだろうな、とふと思う。

おわりに

 ターミナル駅の朝早くは無人の状態。あかりだけがぽつんと駅の構内にともる。そこへ散歩のついでに数回立ち寄り、ICカードの購入。ついでに現金をつかわないきっぷの買い方など表示されたものを読んでいく。ヒトの気配のないときを見計らい購入までの手順をここで知ろうとする。

この時間帯ならばだれにもめいわくをかけずにそうした自動の機械とゆっくりにらめっこするようにひととおり書いてあることを確認できた。

硬券のきっぷをいつのまにか見なくなったのはさびしい。あれにパチンと車掌が穴をあけるのはこどものころのあこがれだった。なにもかもヒトと関わりながらやっていた…。いつのまにか時代が変わってしまった。


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