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まわりをみわたしてあらためて思う:木でできたものを使う生活でよかった


はじめに

 街なかに移り住み、かれこれ10か月。ここへ来るにあたり身のまわりで必要なものをしぼり携えた。いちばん大きなものは分解可能な木製のテーブル。

これはさすがに処分するには惜しい。つかいつづけて25年ほど。年を経るにつれてあじわいぶかくつかいごこちのよさを感じる。これも木の持ち味。

きょうはそんな話。

室内を見わたす

 ここへ持ちこんだものは何でできているか。わたしのへやのなかにあるものの多くは木製だと気づいた。電化製品をのぞき日々お世話になるもので木製でないのは椅子ぐらい。これはある方からのいただきもの。

一部がこわれて処分する間際でいただいた。あっさり修理できたので10年来つかいつづけている。ここを訪れる生徒用の椅子はいまどきのPC作業むけ。これは残念ながら木製でない。よいものは高価で買えなかった。

チェスト、ワゴンなども木製。絵を描くイーゼルや絵の道具箱も木製。基本的に選びがちなのはまちがいない。

長く使う

 その理由はながく使いたいから。木製品はたいてい素地の木の部分はいたみにくい。もっぱら蝶番やキャスター、戸車など部品のほうがさきにおかしくなりがち。木工ならばなんとかできるのでそこを新品に換えればいい。じつにかんたん。

絵の道具箱は40年のつきあい。テーブルはおそらくわたしより長寿命になりそう。ひきとりさきがあるかどうか。

木が生きた期間だけ

 もとは生きもの。地面に根をおろし、そこでじっとまわりを見つめつづけただけのことはある。過酷な気候に耐えてきたにちがいない。辛抱強いだけ加工されて姿かたちを変えているが、だいじにあつかえばながもちする。

多少表面が傷ついても、擦れてつやになりそれ相応のあじわいになる。それもふくめていっしょに生活した痕跡。もちろんメンテナンスすればするだけ愛着がわきよりよくなる。

ストレスになりにくい

 これがほかの材質ならばどうだろう。木とくらべてどうだろう。色味を変えてしまうプラスチックはどうも手もとに置いてつかいつづけようという気になりにくい。金属製はその中間あたりか。

それでもあえて使いつづけるには辛抱なり、がまんなり木製に対することばとはちがうものが出てきてしまう。

おわりに

 木の持ち味はそんなところにありそう。ふりかえればはなれた家は木造とした。木肌を傷つけるのが惜しくてくぎ1本打たずにすごした。

日常的に使う竹や木のはしやざるなど道具もそう。だいじに使えばこたえてくれる。

ほんとうに木が生きたぶんだけながく使える。

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