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きまぐれエッセイ

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日頃の行動にもとづいたちょっとしたこと、興味の転々とするようすをきままにきまぐれにしたためました。
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#仕事について話そう

ヤマバトとカエルの鳴きごえのみがこだまする谷あいの集落でおこりつつある変化のきざし?

はじめに ここは中山間地の集落。春休みの早朝、街なかの自宅からしごとで出向いた。ふと車をおりてまわりをふと見わたすと齢をかさねた方々の住まう家屋がぽちぽつ。くしの歯がぬけおちたようなさら地がめだつ。 そこへ家を建て、静けさをもとめてすみかにするわかい方々がちらほらではじめた。この窓辺から見えるだけでこうした家が3軒できさまがわりしつつある。それらの方々は車ですこしはなれた街(つまりわたしが現在住むあたり)まで通勤。 ゆったりした時間のなかで住民が入れかわりはじめた。

ふつうは人力でやらないほどもっともたくさんの数の種子を蒔いた日のことを思い返してみる

(2024.3.25加筆) はじめに 6年ほどはたけをつかいやさいづくりをした経験のなかからもっともたくさんやったことのいくつかが思いうかぶ。そのうちのひとつについて。 おそらくお読みいただくとあきれられると思う。もちろんひろいはたけをお持ちのかたにはおすすめしない方法。 きょうはそんな話。 (タイトル写真はその当時の麦秋のようす) 麦まきのはたけ 地理で習った方もおいでだろう。せかいをながめると冬に麦がつくれる比較的温暖な土地と、春あたたかくならないとつくれないと

やさいのたねまきと苗の水まきを年中つづけられるたのしさ

はじめに やさいづくりをしていたころ、玄関先の軒下で苗をそだてていた。ここは適度に陽があたり風のとおりがいい。陽あたりと水やり、そして適度な風。これがそろうとよく育つ。 この場所ならば日々何度か出入りするのでそのついでに水やりできる。何年ものあいだとぎれることなくその習慣をつづけられる。 きょうはそんな話。 やさいをつくるには 基本的に苗を買わない。いずれも可能なかぎり種子を購入して蒔くところからはじめる。やさいをそだてるにはいい苗さえそだてられればさほどそのあとはむ

教科書の一節を書き換えるほどの興味深いことがらはごく身近にあるはず:気づけるかどうかの瀬戸際とは

はじめに 生命を対象にとぎれとぎれとはいえしごとにしてきた。じつに興味深く奥が深い。でもその深みに迷いこんでしまうと混沌のせかいが待っている。まさにダンジョンの迷宮のなかをさまようかのよう。 もと来た道をひきかえすか、このまますすんでいいものだろうか。エルフのフリーレンとはちがい、のこされた時間にかぎりがある。彼女ではないけれど旅してきた道をふたたびたどりめぐるのもよさそう。あらたな境地へ到れるか。 きょうはそんな話。 数十年にわたって 生命を知るうえでおそらくいちば

週に4回、昼もしくは夜のべんとうの準備にあたって

はじめに 週休2日でぼちぼちはたらいている。心身に過度の負担にならぬようにやりたい順でえらぶとこうなった。それで食事の必要にせまられ、時間・費用の節約でみずからべんとうを職場に持参。それにともなうあれこれ。 きょうはそんな話。 はたらくこと やりたいことだけえらんでゆったりぎみのはずなのに日々の時間の進みぐあいがはやい。あっというまに日が暮れる。 そのあいだにできることはごくわずか。それでも日々たべるだけ稼げれば満足。するとちょうど週に2日間やすみにできた。のこりのう

地方の大学生はみずからうごいて生の情報をつかむ力をつけていく

はじめに 研究パートのしごとで日ごろ学生たちに接する。この地方の中核市から全国へとはばたいていく。まさに四方八方へ。 地方にいるハンデをおぎなうには主体的にうごくことのたいせつさを現実に接して身につける。思っている以上のギャップに接して折れそうになる学生の話を聞き、互角にわたりあうようすに悲喜こもごも。応援せずにはいられない。 きょうはそんな話。 変ったところ・そのままの部分 しごとさきは地方の中核市の国立大学の理系研究室。ここには毎年のように卒論生、修士そして博士の

屋外で大ざっぱに時間や場所をつかむあくまでもじぶんなりの方法とは

はじめに はたけや山では基本的に時計をしなかった。ほとんど必要ないから。その日に予定した仕事が完了すれば家にもどる。ただそれだけ。 ところがまえの晩に風が吹いてそなえつけたビニールがはがされるなど、予定しない突発的な作業がくわわると算段がくるい、とたんに時間を知りたくなる。そんなときにどうするか。山でじぶんの位置をつねに把握するには。 あくまでもじぶんなりのいまはやっていない方法なので、あてにしないでいただきたい。 きょうはそんな話。 山にはいると この時季には山に

どうやらおおかたの参考書は教科書を理解するためにあるらしい

はじめに 学習をサポートするしごとでよく書店にいく。さらにこのしごとに特化した業者からカラログなどが頻繁にとどく。このクニで市販されているテキストや参考書のおもなものにひととおり目を通したかもしれない。 するとあたりまえのようでいて意外と気づきにくいあることに感づいた。 きょうはそんな話。 大型書店で この中核市にはとてつもなくフロアのひろい書店がある。開架にならぶ商品の本はとてもまわりきれないほど。学習サポートのしごとで使うためのテキストや問題集の更新がおこなわれる

チームでやるしごとをえらべば適する進路をひとつにしぼらなくていい

はじめに 9年まえに高校生にむけて記した文。進路をかんがえるうえでこうした見かたもあるよとしめしておきたかった。とくに支障はなさそうなので、ほぼそのままここへ残しておく。 将来へむけて みなさんは将来何になりたいか頭のなかに浮かびますか。そういうわたしは高校生になりたてのころに将来何になろうと考えていたか思い出せません。印象が残っていないのできっとなにも浮かんでいなかったのでしょう。 いまの高校生たちも一面ではそんなにちがいはないのではないでしょうか。むしろいまの日本の

やさいづくり備忘録:さむいさなかに春をかんじたのかはだか麦が伸びてきた

(2024.2.12加筆) はじめに 8年まえの記録から。当時、ふと麦を育てたくなった。えらんだのは実ったあとの脱穀の手間と、この土地への相性をかんがえて比較的あたらしい品種のはだか麦。 そだてたようすを記す文面からはじめて播種したときの試行錯誤の状況や期待感などがわかる。文章はほぼ当時の記録のまま。 観察していると 散歩で麦を見てきました。遠くからながめてもこの一画の若葉の緑が美しいです。晴天の陽ざしのなかで、若葉色がかがやいています。 ここに蒔いたのは倒伏しにくい

2015年ごろにふってわいた新入試の記述問題にまつわるそののちの顛末について

はじめに またまた8年まえに記した文章から。あいもかわらず入試に関して。このころ教育指導要領の改定にともない、入試のなかみがさまがわりするとさかんに報じられた。つぎの2025年度の大学共通テストがまさにそれに該当する。 そのため学習サポートを個人で運営するわたしははやめに対応しないと準備がままならないために、当時から行動をはじめていた。すでに教科書や高校入試はその方針で変わりつつあった。ところが世の大学入試は思わぬ方向に…。 2015年1月の内容をほぼ原文のままここへ転

やさいづくりで起こったこと:自家採種して蒔いた種子はおいしい葉だいこんでだいこんが1本もできなかった

はじめに 2017年1月はじめの日記から。たまには予想外のやさいづくりについて記しておこう。このころは販売用の市販種子でつくるやさいとはべつに、自家用として自家採種した種子も蒔いていた。 おもに地元の固定種のはずだった。たまにまわりでそだてるほかのものと交配してしまうことがある。今回はもののみごとにそれが出た例。 きょうはそんな話。 自家採種しただいこんは 今回蒔いただいこんは昨年採取した種子。おいしかったので蒔いた。ところがそだてて驚いた。間引き菜としての葉ダイコン

はたけで収穫したやさいをていねいにあらい、やさいいためにして食べる

はじめに 4年まえまでたんたんとやっていた作業と、その際につくってたべていた料理についての備忘録。 ずっとこんな生活がつづくものとあたりまえのように行なっていた当時のある日の日記から。 きょうはそんな話。 (タイトル写真はこれから熟すまるかじり用のポンテローザトマト) はたけでの収穫 きのうは収穫物が多かった。やさいをわき水であらうのに1時間あまりかかった。この集落では湧き水を各家にひいて使っている。このあとふきとりかわかしたあとふくろづめとラベル貼り。販売のぶんに

あたたかな日がたびたびあるので、のびつつある草を刈る作業のだんどりをかんがえないと

はじめに 年末のさむかった1週間がすぎたあとは、おだやかなあたたかな日がつづいている。そのためかもとの家では陽のあたるところはすでに雑草のやわらかな葉が開きはじめている。おそらく根がのびていそう。このままの気温で推移すると葉や茎が長くのびはじめてしまう。1月に草刈りかと頭をよぎる。 作業の前倒し いつもの年ならば2月の前半ぐらいのようすに近い。ここでズボラなわたしがしゃしゃり出る。もしかするとこれから来るかもしれない寒波第二弾にあたってちぢこまり、いったん生長をとめるか場