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きまぐれエッセイ

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日頃の行動にもとづいたちょっとしたこと、興味の転々とするようすをきままにきまぐれにしたためました。
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#わたしの野菜づくり

じっさいにからだをつかうやさいづくり:手あたりしだいの読書と畑しごとでわかったこと

(2024.4.29加筆) はじめに 身近に手にとれる100冊あまりのやさいづくりの本や原著論文、報告書など(その多くは県内の各図書館)を読みつつ、7年間にわたり中山間地のはたけで機械をつかわずにやさいづくりをこころみた結果、当該地区で畑をつくる意味についておぼろげに見えてきたことを示します。 やろうとしたこと1 もともと会社ではたらくより、すべて自己責任でじぶんのやれるしごとをやろうと本業の学習サポートと並行してはじめました。さいわいにも先祖からのはたけがあります。どう

ふつうは人力でやらないほどもっともたくさんの数の種子を蒔いた日のことを思い返してみる

(2024.3.25加筆) はじめに 6年ほどはたけをつかいやさいづくりをした経験のなかからもっともたくさんやったことのいくつかが思いうかぶ。そのうちのひとつについて。 おそらくお読みいただくとあきれられると思う。もちろんひろいはたけをお持ちのかたにはおすすめしない方法。 きょうはそんな話。 (タイトル写真はその当時の麦秋のようす) 麦まきのはたけ 地理で習った方もおいでだろう。せかいをながめると冬に麦がつくれる比較的温暖な土地と、春あたたかくならないとつくれないと

やさいのたねまきと苗の水まきを年中つづけられるたのしさ

はじめに やさいづくりをしていたころ、玄関先の軒下で苗をそだてていた。ここは適度に陽があたり風のとおりがいい。陽あたりと水やり、そして適度な風。これがそろうとよく育つ。 この場所ならば日々何度か出入りするのでそのついでに水やりできる。何年ものあいだとぎれることなくその習慣をつづけられる。 きょうはそんな話。 やさいをつくるには 基本的に苗を買わない。いずれも可能なかぎり種子を購入して蒔くところからはじめる。やさいをそだてるにはいい苗さえそだてられればさほどそのあとはむ

いちごの果実の表面の種子を蒔いて、ドロップのかおりのする果実が実った

(2024.3.18加筆あり) はじめに やさいづくりのかたわらさまざまな手にするくだものの種子を蒔くのがたのしくてしかたない。そのなかから最終的に果実をみのらせるのに成功した例から。 きょうはそんな話。 いちごを食べるころ 実際には真冬にはじめた。本来いちごの旬は今ごろ。クリスマスなど真冬のケーキにのっかっているのはごく一部をのぞいてあきらかに施設栽培でつくったもの。 露地で実るいちごがなつかしい。わたしは冬のさなかのいちごには興味がなくまず買わない。春に地元産のち

これから直播きしたやさいたちがつぎつぎに発芽する時期:霜にやられぬことを願いながらの手作業のやさいづくり

(2024.3.11加筆あり) はじめに 慣れてくるとすこしだけはやめにはたけにやさいの種子を蒔く。するとあたたかさにさそわれてすこしだけ地面から顔をだす。このころの苗はほんとうにかわいらしい。数か月のちのたくましいすがたとむすびつかない。つぎつぎにあちらこちらで芽を出すようすをみてまわる。 8年まえのこの時季の文をほぼそのまま。 ここ1,2週間で きのうの夕方、写真を撮りに畑Bに行きました。さやいんげんは数日前に発芽を確認して以来です。さいしょにはたけにじかに種まきし

やさいづくり備忘録:さむいさなかに春をかんじたのかはだか麦が伸びてきた

(2024.2.12加筆) はじめに 8年まえの記録から。当時、ふと麦を育てたくなった。えらんだのは実ったあとの脱穀の手間と、この土地への相性をかんがえて比較的あたらしい品種のはだか麦。 そだてたようすを記す文面からはじめて播種したときの試行錯誤の状況や期待感などがわかる。文章はほぼ当時の記録のまま。 観察していると 散歩で麦を見てきました。遠くからながめてもこの一画の若葉の緑が美しいです。晴天の陽ざしのなかで、若葉色がかがやいています。 ここに蒔いたのは倒伏しにくい

みかん畑にあがる、縁側で苗をそだてる:まもなく春をむかえるころ

(2024.2.5加筆) はじめに かろうじてのこるはっさくとあまなつの果実を収穫するのにみかん畑にあがった。すでにおとなりの白梅は満開。うちのしだれの桃色の梅は5分咲きで一番の見ごろを迎えている。つぼみの丸いふくらみがかわいらしい。 つい先日、正月だったのに。もう2月。まわりをみわたすと春の足音が聞こえてくる。 きょうはこんな話。 白梅が満開 ことしの梅などの花の時期は例年とちがいをさほど感じないが、1月の気温はあがったりさがったり極端。ぽかぽかな日があった翌日には

にんじんの種まきに適した時期と季節の変化との関係はよくできたものだと納得した

はじめに これも7年まえのやさいづくりをさかんやっていたなかでの気づき。こうした季節の変わりめに数日おきに雨のやってくる時期に種まき(この場合、はたけへのじかまき)をする。 これを知ってから数日間の天気予報と山の天気の変化を注意深くみつめるようになり、よぶんな水まきのてまいらずで発芽率が向上。そのようすをnoteにのこしておく。 きょうはそんな話。 にんじんの種まき 畑Bに朝7時に上がるとまだ地面がわずかに凍っていた。だんどりよく農作業をすすめるには夜のあける6時まえ

やさいづくりで起こったこと:自家採種して蒔いた種子はおいしい葉だいこんでだいこんが1本もできなかった

はじめに 2017年1月はじめの日記から。たまには予想外のやさいづくりについて記しておこう。このころは販売用の市販種子でつくるやさいとはべつに、自家用として自家採種した種子も蒔いていた。 おもに地元の固定種のはずだった。たまにまわりでそだてるほかのものと交配してしまうことがある。今回はもののみごとにそれが出た例。 きょうはそんな話。 自家採種しただいこんは 今回蒔いただいこんは昨年採取した種子。おいしかったので蒔いた。ところがそだてて驚いた。間引き菜としての葉ダイコン

はたけで収穫したやさいをていねいにあらい、やさいいためにして食べる

はじめに 4年まえまでたんたんとやっていた作業と、その際につくってたべていた料理についての備忘録。 ずっとこんな生活がつづくものとあたりまえのように行なっていた当時のある日の日記から。 きょうはそんな話。 (タイトル写真はこれから熟すまるかじり用のポンテローザトマト) はたけでの収穫 きのうは収穫物が多かった。やさいをわき水であらうのに1時間あまりかかった。この集落では湧き水を各家にひいて使っている。このあとふきとりかわかしたあとふくろづめとラベル貼り。販売のぶんに

かぼちゃはつくりやすくすみずみまで利用できるすぐれもの

(2024.1.8加筆) はじめに これも以前のやさいをつくっていたころのこと。庭でもはたけでもスペースさえあればかぼちゃを蒔いていた。たいてい食べておいしかったかぼちゃの種子。それを水で洗い、表面のヌメヌメをとり乾燥させる。それをしかるべき時期に植えていた。 実がなると、種子まで利用。じつに食べがいがありそしてすみずみまで利用できてむだがない。 きょうはそんな話。 かぼちゃが手にはいると たいていかぼちゃはこれまで食べたかぼちゃの種子を蒔くことでまかなってきた。ほぼ

ヒトの縁とは:あらたなやさいの販売所をさがしあてるまでのきっかけとは

はじめに 半月まえに「こんなヒトに出会えたら…」のnote記事を掲載。 そのときにあらたな出会いとなった販売所をどうやってみつけたかについてはふれていなかった。これもまたふしぎなつながりでみつかったのでふれておきたい。 きょうはそんな話。 ふしぎな縁を感じた日 ある日、新幹線をつかいはるばる農業関係のある会合(自宅から400㎞ほどはなれた場所)に参加。初対面の産官+民の総勢50名ほどあつまった。 そこで同じ市内の方(醸造業)と偶然知りあった。その方の店に興味をもちし

野菜づくりをしていたころの食事をいまとくらべてみると

(2023.11.27加筆) はじめに 6年ほど兼業で農業をしていた。わかっているだけでわたしで4代目のはたけ。すくなくとも100年以上たがやしつづけてきたところ。昨今の状況下でとりやめていた。農業委員会から今後どうするのかお伺いがきていた。 街でくらしはじめたいまはその生活からこのままはなれていきそう。もしかしたらこれから移り住む場所で条件さえととのえばはたけづくりを再開するかもしれない。そんなときのためになにを作りどう食べてきたかを記録しておこう。 きょうはそんな話

こんなヒトに出会えたらいいなあと願いしばらくするとこつぜんとあらわれるふしぎ

はじめに これはよくあることだろうか。それとも行動の特性と数学の確率などで説明のつくごくあたりまえにすぎないことなのか。 noteのどこかでちがうかたちでふれたかもしれないが、ここですこし記しておきたい。何度かみずからの身で経験してさすがに「これは運命だろうか」と科学者のわたしがつかうといぶかしがられることばがうかんで、その場でおどろき、のちに思いかえしてもふしぎさにふたたびためいきをつく。 きょうはそんな話。 こだわりから 農業を兼業でしばらくつづけていて売りさきさえ