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きまぐれエッセイ

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日頃の行動にもとづいたちょっとしたこと、興味の転々とするようすをきままにきまぐれにしたためました。
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2024年3月の記事一覧

もとの家の庭の花たちがまちかねたようにいっせいに開きはじめた

はじめに 8か月まえまで住んでいた家を週2回だけ学習サポートのしごと場に。庭の植物のうち屈強なものたちが生き残る。今朝はさむさを感じなかったので、春を待ちきれなかったかのように咲きはじめた花々をひとつひとつ見てまわった。 それぞれの来歴を思い出しつつスマホで撮影。 季節のかわりめ ようやく春休み。学習サポートのためにもと住んでいた家をつかう。朝を希望する生徒たちはリラックスした私服すがたでおとずれる。わたしはひとあし早くしごと場で準備する。朝露に芝生が濡れたままの庭をな

この土地に移り住んではじめて木々の芽吹く季節をむかえて

(2024.4.1加筆) はじめに ここ数日のあいだ窓ごしの雨粒ばかりみつめている。ようやく春のさむさをつれてこない雨。おかげでベランダのむこうのおとなりの家の枯れたような木々から若草いろの芽がふきはじめた。 きょうはそんな話。 空気のちがい 雨の降り止むタイミングをみて買いものに出かける。近所なので歩き。するとまだアスファルトの地面はしめりけをおびていて、ながく歩くわけでもないのにくつがぬれる。 「干さないと。」とベランダでぬいだくつを手に持ち「そうだ、雨降りだった

わたし個人に需要のある物件はありそうでなかなかないしおもてに出ない

はじめに しばらくするとふたたび住処を変えるかもしれない。いまの場所を気に入らないわけではなく、もっと効率よくやりたいことをしたいから。あくまでもしごとなどのつごうの仮ずまい。 耐震性さえあればふるくて構わない。長く住むつもりなのでおおきな不満にならない程度の設備がある適度にコンパクトなひとりぐらし用をみつけたい。はたしてかなえられるものなのか。 きょうはそんな話。 職住接近 のこりの人生はやりたいしごとをやるつもり。それ以外はほかのヒトにゆずりたい。これぐらいのわが

さまざまな土地にむかうと飲み水にちがいをかんじる

はじめに 国内を中心にいろいろな土地をおとずれた。足をつけていない県はかぞえるほどに。そのなかであきらかにちがいとしてかんじるのが水。べつにミネラルウォーターのボトルではなく水道水。口にふくむと「あっちがう。」とまっさきに気づく。 きょうはこんな話。 もとの家は ひとつまえの住処はみずから建てた。そこは先祖が長年くらした土地。そこに舞いもどりその1画に建てた。ここは水が豊富。水道もあるがそれとはべつに山からの湧き水を各戸でひいている。蒸気機関車の水の供給駅だったほど。水

お気に入りの皮製のウォーキングシューズの交換時期がおとずれたのでみつけて買いかえた

はじめに ものもちがよくてめがねを15年あまりつかいつづけたと記した。 どうもこのところたてつづけに手もちのものの交換時期がおとずれる。おなじ日にくつも。こちらもようやくお気に入りにたどりついたので記しておこう。 きょうはこんな話。 歩くには 以前住んでいた家は右も左も坂道だった。つまり谷あい。そのため歩くには軽いもの、もしくは農作業用の長靴となりがち。そのためウォーキングシューズの出番は運転のときぐらい。運転操作にはうってつけでテキパキ足をうごかせる。 ごくたまに

20年近くつかってきためがねをそろそろこわれるかなとようやく交換する気になった

はじめに なぜか物もちのいいほうのようで、このところさまざまなものを買い替えている。その多くが経年劣化。こればかりはいたしかたない。それがきっかけでけがをしたりあらぬ失敗をしたりは避けねばならない。先週ひとつだいじなものを購入。 きょうはそんな話。 必需品のめがね あきらかに物もちはいいほうにちがいない。高校の部活動のジャージは先日ひざの部分が擦れてうすくなったのでようやく処分。いまは子どもからのほとんど新品にみえるジャージをいらないからとお下がりされた。じょうぶでなか

これから高3になり有機化学を、もしくは大学にすすんでこれから生命科学を学ぶ方へ

はじめに 高2生(まもなく高3)に化学を教えていてまもなく有機化学の単元にはいる。ここへすすむまえに分子の構造や化学結合、反応の速さと平衡についてしっかりマスターしていることが肝心かなめ。用意はいいでしょうか。 それなくしてはここからさきのとびらは重くてなかなか開かない。それらの基礎の土台をしっかりつくれていれば、とびらさえなく「なんだ中学のつづきじゃないか。」とほんの数か月ほどのまなびで目標の地点までいっきにとおりぬけていけるはず。 きょうはそんな話。 化学と生物 

雨降りのさなかにひとつぶの雨にもあたらずに都心の目的地までたどりつけた

はじめに 長旅の出発時に天候がおもわしくないと気をもむ。交通機関はうごいているか、スケジュールは予定どおりにこなせるか。気にしだすときりがない。もはやなるようにしかならない。その一方で風雨にたえられる手荷物や装備がます。何やかやとそなえて旅立つ。そんななかでの気づき。 きょうはそんな話。 予定をくむ たいてい家からはなれたところやはじめての場所にむかうときには余裕をもってでかける。それでたいていちょうどいい。あれやこれでたどりつくまでにいろいろある。道をまちがえたり迷い

文字どおり親の感知しないままこの齢まで温存した親知らずを抜く治療の顛末(後半戦)

はじめに 前半戦のつづき。 この年齢でようやく親知らずが生えてきた。のこり3本のうちの1本は先日に抜歯ずみ。抜いたあとを歯科医がのぞき見て、治りに時間のかかるようすから「のこりは来月にしましょうか。」とあいなった。 その1か月後の先週、覚悟をきめて歯科にむかう。 きょうはそんな話。 (注意喚起:歯科治療のようすに関する記載があります) のこりの8番 あらぬ方向に親知らずが生えてしまい、ここ数年のあいだでむし歯にしてしまった。みがけていなかった。生え方が本人の性格に

ふえつづけるnoteのマガジンをテーマ4つにまとめてヒトごとのように紹介してみた

はじめに 21年4月からnoteへ投稿をはじめてまる4年。昨今の戦争開始のなかやすみをはさんで796の記事数に達した。ひとつを複数のテーマにいれた重複をゆるせば2,205。なにごともまえむきにとらえられればさいわいと継続中。 不定期ではじめて1日1記事をなにげなくはじめてもうじき500。すこしでもまともな文章を記せるように日課とした。このあいだにもさまざまなことがあり、つづいたのがふしぎなぐらい。はたしてどれだけましになったことやら。 さて、これだけ数がふえ整理しないと

漢字と英単語では記憶までにたどりつけるまでのすじみちが異なるかもしれない

はじめに 年齢をかさねるにつれてなかなかむずかしいなと感じることがひとつある。パスワードにもちいる無意味な英文字や数字、記号などの羅列の記憶を周囲のヒトなみにあきらかにできないほうだと知った。そこでさまざまなくふうを要するようになる。 ほかにもありそうで小中学生のころにはあらたな漢字などは何度か書き取りをくりかえすうちにおぼえるまでにそれほどの労苦を要しなかったような。わたしにとり漢字とくらべて英単語のつづりはおぼえにくいなと気づいた。 きょうはそんな話。 わかくても

ふつうは人力でやらないほどもっともたくさんの数の種子を蒔いた日のことを思い返してみる

(2024.3.25加筆) はじめに 6年ほどはたけをつかいやさいづくりをした経験のなかからもっともたくさんやったことのいくつかが思いうかぶ。そのうちのひとつについて。 おそらくお読みいただくとあきれられると思う。もちろんひろいはたけをお持ちのかたにはおすすめしない方法。 きょうはそんな話。 (タイトル写真はその当時の麦秋のようす) 麦まきのはたけ 地理で習った方もおいでだろう。せかいをながめると冬に麦がつくれる比較的温暖な土地と、春あたたかくならないとつくれないと

やさいのたねまきと苗の水まきを年中つづけられるたのしさ

はじめに やさいづくりをしていたころ、玄関先の軒下で苗をそだてていた。ここは適度に陽があたり風のとおりがいい。陽あたりと水やり、そして適度な風。これがそろうとよく育つ。 この場所ならば日々何度か出入りするのでそのついでに水やりできる。何年ものあいだとぎれることなくその習慣をつづけられる。 きょうはそんな話。 やさいをつくるには 基本的に苗を買わない。いずれも可能なかぎり種子を購入して蒔くところからはじめる。やさいをそだてるにはいい苗さえそだてられればさほどそのあとはむ

春分の日が近づき早朝の台所の窓からはいる朝日が部屋の奥まで射すようすから宇宙のダイナミクスに思いを馳せる

はじめに このところ日の出とともにめざめてキッチンに立つ。ねぼけまなこにごくひくい地平線のむこうからあがるオレンジいろの太陽がまぶしい。 そういえば3月も中旬。春分の日まであと数日。ほぼ真東から日がのぼる。赤道の真上で太陽がみえるのかと大スケールで想像する。 きょうはそんな話。 春の陽ざし このところつづけて晴天。朝もやにつつまれた街のようすには清々しさとともにいとおしい。夕やみせまるたそがれどきとともにわたしのいちばんのお気にいりの頃。まさにこのМVの後半のような早