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きまぐれエッセイ

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日頃の行動にもとづいたちょっとしたこと、興味の転々とするようすをきままにきまぐれにしたためました。
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2023年8月の記事一覧

となりにおいた色とのあいだで相乗作用がうまれることがある

(2023.9.4加筆) はじめに 絵をえがいているとさまさまな気づきがある。絵のせかいだけでなく服の色をえらぶなど生活に身近なところでもおなじかもしれない。かたちをキャンバスの上にうつすデッサンしかり。さらにそののちの色をのせていく段階でもそう。 単色の下がきからはじめていよいよ対象の色をそれぞれの場所においていく。ここがいちばん試行錯誤の連続。ああでもないこうでもないととなりどおうしにこころもち実際より彩度のたかめの色をおいてみる。するとあることに気づく。 きょうは

ようやく朝晩のかぜのごくごく一部に秋の気配を感じとれた

はじめに 通勤帰りの信号待ちのフロントウインドウごしに夕空を見あげるとまあるい月。もうすこしだけ見ていたいなあというところで信号がかわる。月が満ちていくようすから時は確実にまえにすすんでいる。 夏になり3か月がすぎようとしている。こよみのうえではもうじき月が変わる。ひるまの暑さはめいっぱい夏の季節を主張。いつもの年ならばお盆があける頃、朝夕しのぎやすくなるはずと期待していたのにからぶり。もうすこしのがまん。 きょうはそんな話。 「夏」の主張 よるをどうすごすか。家のな

通勤をべつの手段にかえることはできそうかまずは想定してみた

はじめに 現在ふたつのしごとをもつ。山間地へとむかうしごとには当面のあいだくるまが必須。交通機関がおぼつかない点でいたしかたない。そこに住む老親の病院の送迎にも必要。だがもう片方の仕事場は中心市街地へと行き来する。 このところガソリンが高騰。両手段の差が縮まりつつある。時間、手間、費用を考えるともしかしたら車を運転せずとも行き来できるのではないか。 きょうはそんな話。 へき地でしごと 中山間地のもとの家のあった場所ちかくでおもにおこなう学習サポートと、中心市街地にしご

なにも問題ない新品の100%の状態からそののちのメンテナンスでなるべくよい状態でPCを維持していくたいせつさ

はじめに いまのノートPCをつかいはじめてすでに3年10か月。そろそろなにかあるかもしれないなあとバックアップに余念がない。もちろんしごとで必要なので複数台のノートとデスクトップの予備機を準備している。 購入時を100%とすると、その翌日にはすでにその数値を期待することはできない。時は経ち保証期間やそののちの長期保証サービスすらいつのまにか切れてしまった。これからは自己責任でそれらの余命をひきのばすか。 きょうはそんな話。 いままでのものは これまで家や仕事でつかって

もしかしたらひきたて役以上かもしれない額縁を見るために美術館にむかうこともある

(2023.8.29加筆あり) はじめに 絵を描いたり見たりでおちつける。たまに時間があると美術館や展覧会場にむかう。もちろん絵を見るのがおもな目的。それ以外に興味をしめすことがある。 きょうはそんな話。 絵とともに 絵を見るのはたのしい。風景や人物、そして身のまわりのものから空想画や抽象画まで。絵の対象はかぎりない。どんなテーマの絵でもとりあえず興味をしめして見るほう。なかにはそのせかいにひきこまれる作品に出会えることも。絵画それぞれのせかいの入り口に立ち、そこからな

ムンクの「叫び」を模写したところさまざまな描法や画材を駆使して表現していると気づいた

はじめに 油絵の模写をこれまでやってきたことは数週間まえに記事にした。さまざまな画家の絵を対象にした。なかでも描いてそれまで以上に関心をつよくした画家が何人かいる。そのひとりがムンク。 代表作といっていい「叫び」を模写。あれこれあらたな気づきがありとてもひきつけられた。 きょうはそんな話。 それまでの絵とのちがい ずいぶんまえの話になる。友人がある画家に興味があるという。その画家はエドヴァルド・ムンク。そして代表作は「叫び」一度でもみるとそのインパクトのつよさに目に焼

脳に渾身の力をこめるときどんな物質の移動や変化がおこっているのか

はじめに 将棋のタイトル戦をみていたとき。解説者が対戦中の棋士のようすを見つつ「しらみつぶしにさきの手を読んでいますね。」といった。それにつづいて聞き手が「おそらくこれだけ集中をつづけていると大量のエネルギーを消耗するんでしょうね。」という。なるほどなあ、あたまをつかう作業で根をつめるとハラがすくかもしれない。 プロのしかもタイトルのかかる対戦ならばきっとハンパじゃないだろう。しぜんとあまいものをほしくなるという。それにしてもどうやってこれほど効率よく手を読みつづけること

このところほぼ日々づかいでたべるものをリストアップしてみた

(2023.8.29加筆あり) はじめに からだはたべものでできている。これはほぼまちがいない。あとは呼吸でとりいれる酸素と水など。からだをかたちづくるたべものたちとは。 こうしていつもとちがう距離感でたべものについてかんがえると見えかたがちがう。どう行動するかも見えてくるかも。 きょうはそんな話。 ほんとうに数キロのエリア? ぱっとおもいうかべると日々づかいの食品を数キロのエリアの店で買う。なんだわたしはこんなせまい領域でかたちづくられているのかと短絡的に思ってしま

休日の昼間に暑さをさけられてすずしくておちつける場所をさがしてみようか

はじめに ようやくからだがこの暑さをふつうじゃんと思えるようになった。ふつうにじっとしていても汗がふきだしてくる。タオルが手放せない。汗をかけるようになれたのはさいわい。ただし昼間のどこかねじがはずれた高温を回避できる場所はないかとあたりをみわたしてみる。 きょうはそんな話。 家のなかでは このところの暑さは尋常でない。夜なかでもなかなか気温が下がらないのはごくあたりまえ。以前住んでいた郊外ですらそう。まして移り住んだここは街中。コンクリートにおおわれ、クーラーの排熱だ

せっかく街中に移り住んだのだからさまざま享受していいものがありそう

はじめに ひっこして19日目。ようやく家から四方の道のつながりがわかりはじめた。するとそのまわりにはさまざまなものがあるのに気づく。歩きはその点はいってくる情報量と密度がちがう。ヒトの気配や生活感がよくつたわってくる。そのひとつひとつが新鮮に感じられる。 なかには興味がわいたり、関心をひくものも。たいてい用事がありそばをとおりすぎるだけ。「いずれたちよるからね。」と思いつつ。そういえばいまどきめずらしく駅ちかくに書店ができたらしく行ってみたい。長年くるまで信号待ちの停車の

つねにうつろう空を見あげて気にしつつせんたくするタイミングを見計らう

はじめに 日々生きているとせんたくものが必然的にでる。これはいたしかたない。すくないと手あらい。汗をかくぐらいの量だと洗濯機のおせわになる。 それよりもなによりも空もよう。せんたくにふみきるかどうかはここ3~5時間の雲のようすをあるていどじぶんなりに予測。このところうまくいっているのできぶんがいい。 きょうはそんな話。 日和がよく ひっこしまえは梅雨や台風でほんろうされた。業者さんにたのんだ大がかりなひっこし。当日の作業にあてる午前の数時間のあいだ雨がほとんど降らな

徒歩圏内で日常の買いものがふつうになるとしたら…以前のくらしはなんだったのか

はじめに ひっこして11日目。つくづくべんりな場所だなと思う。知っているようで知らなかったことばかり。たとえばほんの数日まえには家からあるいて2分ほどの場所にスーパーができていた。おとなりにはおしゃれなカフェや菓子店がならぶターミナル駅の目のまえ。 気づくのがおそかっただけですでに何か月もまえにオープンしたらしい。この街はいったいどれだけひらけていくのか。ひっこすまえの郊外の家では同系列の店まで行こうとすると3駅さき。ようやく来た列車に乗り降りし、そこからさらにあるいて2

そういえばくるまで行き来するばかりでこの地をまともに歩いていなかった

はじめに ひっこしてきて8日目。1週間がすぎた。これまで天候が不順だったせいで出歩いていない。休日はへやにこもっている。なにかだいじなことをやっていないとふりかえると、新居をでてひだりの道を一度も歩いていないと気づいた。 これはよくない。万が一災害に見舞われたとしたら、どちらににげたらいいか判断しないとならないはずなのに、わが家からすぐそこの場所のさきすら知らないなんて。道をおぼえなきゃ。 きょうはそんな話。 ようやくまわりをみわたす 朝からすばらしい青空。もしかした

からだが慣れるか、あたまが順応するか、はたまたこころがついてこれるか

はじめに ひっこしてひとりぐらしを賃貸ではじめて1週間。たまたまお盆の時期にむかう。このところ家族の健康のようすが安定しているので、こころなしか安心。もっぱらわが身をゆっくりとあたらしい生活に慣れさせるチャンス。 うごくにはいま一度だんどりをひととおり思いうかべないとならない。つまりまだ慣れていない。 きょうはそんな話。 雨風はどうか このクニはふたつの台風に翻弄されている。ちょうどそんなときにわたしはすみかを変えた。雨にたたられるかと案じたがなんとかやりすごせた。あ