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きまぐれエッセイ

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日頃の行動にもとづいたちょっとしたこと、興味の転々とするようすをきままにきまぐれにしたためました。
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2023年5月の記事一覧

けっきょくのところ、もちがよいのはしっかりした木でつくられた製品だった

はじめに ひっこしをするにあたり、持っていく、処分する、保留のモノにわけている。保留の裁定は1週間ほどのち。そののちに結論がでなければ捨てる。 これでなんとかなりそう。選別の結果、もちがよくて持っていくものは何でつくられたものが多かったか。 きょうはそんな話。 持ちモノ検査 ながく生きるとモノがたまる。どちらかというと物質にまわりを囲まれていると安心するほうらしい。ひさびさのひっこしであきらかになりつつある。 たしかに4畳半ひとまの学生時代は快適だった。へやのまんなか

梅雨入りをまえに:このところ傘をさして出歩くことがほとんどないと気づいた

はじめに もうすぐ梅雨いり。天気情報では太陽マークが見えるのはきょうあたりまで。星空を見あげるのはしばらくないかもと家族とはなした。 そんな雨を避けては通れない生活にもかかわらず、傘をさして周囲を歩きまわることをしなくなったと気づいた。 きょうはそんな話。 車にたよる生活 ふだんから通勤、買い物、病院通いなどに車を運転する生活が習慣に。たとえば買い物。日用品を買うばあい、時間さえじゅうぶんあれば自動車にたよらなくても目的は果たせる。代替可能。 いま住んでいる場所で所要

指紋や顔の認証にパスワードやID以上のわずらわしさをかんじてしまうとき

はじめに いろいろつぎつぎとでてくる認証のやりかた。スマホやPCにかぎらず生活やしごとのさまざまな場面でつかう。べんりな方式もあるがたびたびおこるトラブルに遭遇すると、ふだんとちがうあたまの部分をひっぱりだしてきてつかわなくてはならない。まえむきな試行錯誤のなかでふと感じるちいさなわずらわしさ。 きょうはそんな話。 ひとつ前のスマホから スマホをつかうたびのパスワード(以下pw)の入力はなかなかやっかい。ここでは内容はふれられないが、わすれないようにある複雑なみちびき方法

のこりの時間をどう使う:しごととプライベートへの割りふりとバランス

はじめに いきものであるかぎり寿命がある。しかもうごけるあいだをどうすごしていくか。これはなやましい。さいわいにもどこも人手不足。声があちらこちらからかかってくる。じつはきのうも。ちょこちょこはたらいて極力むだづかいせずにいれば地方ではなんとかやっていけそうだが。 かといって時間ばかりとられるのもしゃく。せっかくならばやりたいことをしごとにできればやりがいにもなる。そう空想して後ろ髪をひかれる感触と現実を思い知る。 これはけっこう切実なことかもしれない。 きょうはそんな

イギリスの画家コンスタブルのえがく風景のなかに湧き起こる追憶の想い

はじめに この画家にはじめて接したのは学生のころ。地方の図書館にありがちなほのかなふるい本から発する空気のなかで、ページを開いた。 ロマン主義の絵にありがちなどこかとりつくろったようすはかんじられず、ありのままというか素朴。よそよそしさをかんじない。そこにひかれてしばらく彼の絵をさがした時期があった。 きょうはそんな話。 絵をえがく一方で 大学の美術部のとびらをたたいて油絵に接した。もちろんいちばん安価な画材一式のはいったセット品をなけなしのてもちのなかからひねりだした

ズボラなわたしは翌週のごみ処分日をめざして整理をするとうまくいくらしい

はじめに このところ家のかたづけを急ピッチですすめている。はずかしながらここで白状する。よくもまあこれだけのもの(≒ほぼゴミ)をためていたのか。この整理に着手するにあたり、ごくかんたんに文字どおり視点をかえて見えてきたことが。 きょうはそんな話。 呪縛からのがれたい 家に長いあいだ居ついている品々。ふだんどうしても目のかたすみにちらりと見えてしまう。ああ、見なかったことにしよう。ズボラの極致を地でいくわたしにとって視野の外のかすみとおなじ。そう解釈してきた。 だが、こと

飲むのにつかうカップのたぐいの選択にむとんちゃくなまますごしていたと気づいた

はじめに こだわりだすと際限がなく、はまると抜け出せない世界なのかもしれない。それは湯のみやコーヒーカップ、コップのたぐい。ぐいのみなどの選択。こだわりの一品を見つけはじめるとひとつではすまなくなると思う。おそらくそう。 きょうはそんな話。 推理小説は… たしか小学5年生ぐらいのころ。学校の図書室の本を1冊ずつ順番に読んでいた。それがつづきいくつかの棚についてあっさり読み終わった。そしてつぎの場所。なにかシリーズらしくおなじ体裁の本がずらりとならぶ。推理小説だった。 海

オートミールとミューズリーを半々に、そこへ豆乳をくわえるのがわたしの朝食の定番に

はじめに どうも世のなかはオートミールが流行っているらしい。それを知らないで昨年の秋から使っていた。 いろいろつづくようにくふうして半年。どうやら結論が出たもよう。 きょうはそんな話。 朝食になる 家族の体調をみてはじめたオートミール。昨年の秋からパン食だった朝ごはんを1日おきにオートミールにきりかえた。「これならばつづきそう。」という返事。じゃあ、ついでにと食べはじめたわたしの行動に視点をあてる。 それまで朝食にはパンをオーブントースターで焼いてジャムかメープルシロ

台所にある根菜と大豆加工品でつくる和風の煮物は家計とからだにやさしい

はじめに そういえばこのところつくってなかった煮物。あたたかさとうすら寒さが共存するこの時期にちょうどいい。やっぱり食べるとほっとする。この「ほっとする」きもちになれて、そのままじんわりと身につく栄養になりそう。 きょうはそんな話。 洋風がつづいたので このところこどもの好物がつづいていた。そこでバランスをとりつつキッチンにころがる食料の整理をかねてきのうは煮物に。 といっても材料のありふれたもの。たまたまあるものをくみあわせて。これをつくる目的で買うものはほとんどない

寝台列車であじわえる:日常とちがう雰囲気とこれからむかうさきへの期待感

はじめに 以前は時間さえ融通がきけば寝台つきの夜行列車で旅をしていた。この独特の雰囲気を体験した結果、わたしはやみつきになるほうだった。 そして見知らぬまちにたどりつく。こちらはこちらでべつの非日常の場。つまり乗りものの体験と旅先での出会い。このふたつをひとつの旅であじわえる。 きょうはこんな話。 列車でむかう 昼間の列車で眠りこまない。うとうとする程度がやっと。いすのせいかな。のりものはちがうが、たしかに遠い国にむかう十数時間のあいだですらエコノミーの席ではほぼ一睡も

クーラーのない頃と場所でどのように過ごしていたか思い起こしてみる

はじめに このところ昼間の車内は暑い。ところが朝の通勤時はさむい。あさの学習サポートでは暖房。昼にべつの場所へ車で移動するには上着をぬいで冷房。なんともいそがしい。 車の窓を開ければよさそうだが、このところ黄砂やPMなどの粉塵が舞う。車内の掃除をかんがえると開けずにがまんするか、あたまがぼうっとするほどならばやむなく空調をいれる。 きょうはそんな話。 おおきな日較差 これから梅雨本番をむかえる。体感だけでなく実際に気温と湿度が高くどうしようもない。そんなときにはクーラー

ふだんづかいの食器の大胆な整理とつかいやすい棚での再配置をこころみた

はじめに きょうはすでに起きるまえにnoteにこの内容で書こうと決めていた。ところが朝食の準備をしてぽつねんと食べていると、あれっ何のテーマだったけ?と思い出せない。ふたつほど思いついていたはず。このところ頭のなかからポロポロとこぼれおちてどこかへ行ってしまう。やれやれと思いながらついさきほどやっていた行動について書こうと決めた。 きょうはそんな話。 毎日つかうもの みずからの身のまわりのほとんどはそうだが、「テキトウ」がすき。なかでもさらや茶碗に関して「食べものをのせら

食べられるものがごくみじかな庭先で手にはいるありがたさをあらためて知る

はじめに 起きると食べてしごとをしてねる。生活のきほんのぶぶん。そこには家のまわりの植物がふかくかかわる。 食べものがそれとなく手をのばせば(この場合は勝手口から数歩でという意味)手にはいる。それがあるとないではおおちがい。 きょうはそんな話。 あたらしい生活に 郊外住まい。まもなくそれも終わろうとしている。これから街でのあたらしいくらしが待っている。あと数か月かな。まだはっきりしないがここでの生活を満喫しておかないと。あっさり離れてしまうと思い出したくてもポンコツのあ

わが家のモノを整理しているとこれまでの時間の蓄積をかんじる

はじめに こんなものがまだ家にあったのかと思い知らされる。モノを所持することに安心し、そのうちもっていることをわすれてわたしたちは生きている。それをつくづく感じる作業。 現在の進捗率35%ぐらい。 きょうはそんな話。 整理はつづくよ、どこまでも 先日来、おなじ目的でわが家のモノの整理をすすめている。まだ3割程度といったところか。テレビの処分を皮切りに、つかえそうなものは知りあいなどにゆずる。究極の理想としてはかばんひとつで、「じゃあ。」と片手をひょいとあげてわが家をあと