マガジンのカバー画像

いのちのふしぎ

173
生命科学の研究に従事した経験、農業、学習サポートをつうじた教育など生業をつうじて、いのちのふしぎについて感じたことを中心に記します。
運営しているクリエイター

記事一覧

ヒトが目のまえで成長するようすを見られるのはなによりうれしい

はじめに 日ごろ研究パートと学習サポートのしごとで感じることのひとつをあげたい。前者はボランティアなのでパートではなく支援かもしれない。むしろ研究サポートと今後は記そう。いずれのサポートもつづける原動力は若いヒトビトの日々の成長をながめられることにあると言っていい。これはよろこびだしほかに代えがたい。 きょうはそんな話。 1年前とは しごと場で接する生徒たちや学生たち。日ごろは多くの授業や講義のかたわら週に何度か顔を合わせて会話する。ちょうどこのくらいの間をあけて接する

歯ブラシはふつうのもののほかにすきまと奥のほうにとどくものが必要だった

(注意喚起:歯科治療のようすを記しています) はじめに 歯のメンテナンスに定期的に通いはじめて1年が過ぎる。きっかけは歯の詰めものがとれたこと。それ以降、虫歯一歩手前の横向きに生えかけたままの親知らず(つくづく名称に納得)を抜き、歯ぐきのポケットのなかの歯石までとりのぞいた。 これでようやくスッキリ。あとはみずからによる歯みがきとともに半年に1回ほど歯科に通い、点検とメンテナンスを受けるだけ。見違えるほど歯はきれいになり、歯ぐきも健全に。ズボラなわたしでもやればできもんだ

うでをあげるうごきが足りていない?肩こりがとれない・とれにくい状況から脱するには

はじめに まだ若いつもりでもじつはからだは悲鳴をあげているのかも。ここ2,3か月の就寝中のできごと。寝返りをしたくてもなかなかできない。下にした側のあまりの肩の痛さに参ってしまう。 なぜだろう。日ごろ上半身を動かせていないからか。それにしてもこんなに長くつづくなんて。 きょうはそんな話。 再発か? そういえば40代後半に一度「四十肩」とおぼしき状態になった。そのあいだデスクワーク中心。運動らしきものはしていなかった。腕がある高さより上に上げられない。5年ほどそんな状態

歌詞のない音楽でも旋律だけでこころをゆさぶられる感覚が湧き起こる

はじめに けっこう音楽を聴く。もっぱら歌詞よりもメロディー中心。家でも車でもBGМとして聞き流す。海外の曲でも構わない。今はいながらにして世界中から好きな曲をみつけられる。現在でも過去でも、手あたりしだいにさがせてそれなりにみつかる。 ヒトの好みの楽曲とはおなじ人類であるかぎりそんなにちがいはない気がしてくる。曲の雰囲気から湧き起こる感情が奏でる楽器からつたわるからふしぎなもの。 きょうはそんな話。 ロックこそ このところよく聞くのはロック。しかもけっこうハードなもの。

おぼえておきたいことを24時間以内にあたまのなかで復唱するとわすれにくい

はじめに ズボラなわたし。高校時代に本性が露呈した。数学がふとわからなくなった。勝手な興味からやらないでいい脇道にそれてそればかり考えているうちに2日が過ぎ本筋をきれいさっぱり忘れ、その日の授業あたりからとたんに混乱しはじめた。予習よりも復習がだいじだと気づいたのは大学に入ってしばらく経ってから。時すでに遅し。後悔先に立たず。 きょうはそんな話。 学習サポートの教室で 中学生・高校生を対象にいっしょに学習している。ここはポイントだから、「つぎにつかうからおぼえといてね。

体力を維持するうえで中学・高校で運動部の活動を経験していまおもうこと

はじめに 日ごろどのくらいの活動をおこなうと体力を維持できるか。それを感覚で把握するには過去の運動の経験が役にたつ。ずっとむかしの運動をさかんにやっていたころから、わりと最近の農業をやった時期までうごきの内容はさまざま。 それ相応にからだをつかいうごかした。どのくらいうごけて、限界はいかほどか否応なく把握できる。その延長線上にいまがあると気づける。 きょうはそんな話。 そこそこの運動 それにしても中学そして高校まで部活で運動した。おかげで無理がたたり後遺症がひざや肩な

それぞれの時季ごとにからだにとって必要なものをたべたくなるようにできているのでは

はじめに 急に夏から一足とびに冬の準備をはじめたくなる季節が訪れた感じ。そろそろさむさにそなえた支度をすべきときかも。灯油を高くなるまえに買っておこうとか、からだをあたためるたべものは…とか、血圧のくすりをそろそろ出してもらえるか主治医の先生に相談しないと、とか。 きょうはそんな話。 たべたくなるもの 北風が冷気を連れてきた。そのとたんいすわったままの夏がしぶしぶ台風などともに南の遠方へとあとずさり。とはいえいまだに昼間はけっこう汗ばむぐらいで朝晩に急激に気温が下がる。

ある植物の組織の顕微鏡像をのぞき見て息をのむほどうつくしいと感じた

はじめに しごとがら顕微鏡をつかってさまざまな組織を拡大して観察する。同時にこれまで学術論文や専門書でもほかの研究者たちのよりすぐりの像をながめてきた。 たいていは光学像や電子顕微鏡像にすぎないが、それでも想像し得ないほどの試料に出会う場面に遭遇する。ひとりで見るのにはもったいなく、だれでもいいから共有したい、それほどため息の出るほどのものに遭遇する。 きょうはそんな話。 あまりにも多様 顕微鏡下の世界。それはわたしたちがふだん目にする風景とはおおかた予想もつかいない

真夏のような室温の下がらない寝床のなかでちょっと興味深い夢をみた

(2024.11.4加筆) はじめに よく夢をみる。けさのは比較的覚えている。たいてい乗りものに乗り遅れたり、つまづいてころんだりなどとるにたらないもの。それでもたまに起きたあともそれなりに考えさせられる内容のものが出現する。 きょうはそんな話。 ねむりが浅くて 寝るころでも室内が下がらずじまいのせいか。どうも寝た感じがしない日がつづく。雨つづきで外出せず日中にからだをあまり動かさない、それほど疲れていない日がたまたまつづくからかもしれない。もっとからだをうごかさないと

純品の酵素そのものをとりあつかいこの目で見た経験のある生化学者のひとりとして

(2024.11.1加筆) はじめに  もはや時代は1分子のタンパク質やひとつの細胞の内外の小器官などの挙動をつぶさに探ろうというところまできた。特殊な顕微鏡、高性能の装置や手法を駆使してなんとか(ごく一部ではあるが)情報を得つつある。そんななかグラム単位もの純品の酵素の固体をこの目で見たことのある「古い世代」のひとりとして経験したことを記しておきたい。 きょうはそんな話。 身近な酵素の例 酵素といえば洗剤の容器のおもて面に「酵素入り」との表示を目にする機会をおもちで

いま吸っている空気のちがいにあらためて思いを寄せるとすれば

はじめに 18歳までくらした北九州。列車をおりるとあきらかに人工的な「におい」がして、ここちよいものでなかった。そう感じるのはひと息だけでかなしいかなすぐあとはすっかりわすれてしまう。その土地ごとに最初のひと息にはちがいが。ロンドンの降りたった駅はなんと灯油の燃える(ヒーターだろうか)においだったし、その土地の印象をなかば決めかねない。 きょうはそんな話。 くらした街 当時の八幡はにぎわっていた典型的な企業城下町。わたしはこの街で生まれ18までくらした。黒崎駅にほどちか

じつは日ごろの家事やしごとなどでけっこう運動になっているのでは

はじめに 世のなか、健康増進のため運動せよとの声がさまざまなところから聞こえてくる。たしかにそのとおりなのかもしれない。かといってわたしの生まれながらのズボラな性格と、経済状況はさかだちしても変わらない。だとすればつね日ごろの思考法を変えればどうだろう。 いいわけするつもりはないがうごかなくちゃとやっているのは散歩程度。じつは動かないようでほんとうは「かくれ運動」が日々けっこうあるのではないか。なにも形式ばったことを費用をかけてする必要がどのくらいあるのかとすこしだけ思う

生命科学の領域はここしばらくは混沌の世界へと分け入っている感じがする

はじめに まだ3割もわかっていないとしたら…。あくまでもわたし個人の感覚では、からだにそなわるしくみのうち、いまのところ学者が論文で発表し、「専門家」とよばれるヒトビトのあいだでひとまずコンセンサスが得られている部分はそれにも満たない気がする。いまだ混沌の世界がひろがっているような感じ。 きょうはそんな話。 このところのまなびで 科学は急速に進歩している、はずだった。ところがこのところ開催が予定される万博のなかみの報道を知るにつれて、わたしのなかではどうもそれに?がつい

へんな時間に目がさめてしまうと起きる時間がうしろにずれがちだと知った

はじめに きのうは夜半すぎに首すじの汗で目が覚めてしまった。こうした夜が何日かつづく。しごとから家にもどり夕食と風呂を出てしばらく汗がひくまでのあいだ30℃でクーラーを稼働。そのあと外気温が30℃をきるタイミングで窓を開け放ち、室内の空気と混ぜる。 きょうはそんな話。 ひとくふう 上記の行動で、クーラー稼働時の電力消費を抑えるつもり。室内外の温度差はなくムダがないはず。つけるときもほぼいっしょ。自動設定にしてあとはエアコンにまかせる。予定される室内温度(つまり30℃)に