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ハルノートが開戦の原因?!

アメリカと戦争したのは、理不尽な条件だったハルノートが原因
という言説。

肯定派の主張

ハルノートという理不尽な条件を突き付けられたため
やむを得ず日本は開戦した

反証1:ハルノートの前から、アメリカ、イギリス、オランダに
対して開戦準備を決めていた

1941年9月6日、第6回御前会議が開かれ、ここにきてイギリス、アメリカとの
開戦が不可避であるとの認識が強まり、10月末を目処として戦争の準備を
進めることが決定される。

戦争準備をしながら日米交渉を続け、日本の求める形で決着しない場合には
直ちに開戦に踏み切る方針が確立された。
それが以下の「帝国国策遂行要領」である。

1941年9月6日 帝国国策遂行要領
原文:国立公文書館アジア歴史資料センター Ref. C12120238900

帝国は自存自衛を全うする為対米、(英、蘭)戦争を辞せざる決意の下
概ね十月下旬を目途とし戦争準備を完整す

帝国は右に平行して米、英に対し外交の手段を尽して帝国の要求貫徹に努む
対米(英)交渉に於て帝国の達成すべき最少限度の要求事項ならびに之に
関連し帝国の約諾し得る限度は別紙の如し
前号外交交渉に依り十月上旬頃に至るも尚我要求を貫徹し得る目途なき場合に於ては、直ちに対米(英蘭)開戦を決意す
対南方以外の施策は既定国策に基き之を行ひ、特に米「ソ」の対日連合戦線を
結成せしめざるに勉む

簡単にまとめると
(1)日本は「自存自衛」を全うするため、イギリス及びアメリカとの戦争を
辞さない覚悟
(2)10月末を目処に、戦争準備を終えること
(3)戦争準備と並行し、アメリカ(イギリス)と交渉を続けること
(4)10月上旬頃までに日本の要求が通らない場合は、直ちにアメリカ
(イギリス・オランダ)に対する開戦を決意する

日本が何を要求していたのかというと

日本の要求
(1)日中戦争に口出しするな、手出しするな、撤兵しない。
(2)アメリカ、イギリスは、極東でこれ以上、軍事的に拡大するな。
(3)アメリカ、イギリスは日本の資源獲得などに協力し、供給すること。

ここでも「アジア解放」など要求していないこともわかり、嘘だった
ことがはっきりとわかる。

反証2:交渉の期限を一方的に決め、開戦準備を進める

1941年10月18日 東條内閣が成立し、先述した同年9月6日の
「帝国国策遂行要領」が白紙に戻り、同年10月23日から、再検討が
行われた。それが、以下の資料である。

1941年11月5日 帝国国策遂行要領
原文:国立公文書館アジア歴史資料センター Ref. C12120186200

一、 帝国は現下の危局を打開して自存自衛を完うし大東亜の新秩序を
建設する為、比の際対米英蘭戦争を決意し左記処置を採る

武力発動の時機を十二月初旬と定め、陸海軍は作戦準備を完整す
2 対米交渉は別紙要領に依り之を行う
3 独伊との提携強化を図る
4 武力発動の直前、泰との間に軍事的緊密関係を樹立す
ニ、 対米交渉が十二月一日午前零時迄に成功せば武力発動を中止す

日本の要求
まず「甲案」を提示して交渉を進め、これが受け容れられない場合は
より譲歩の度合いを強めた「乙案」を提示してゆく方針決定される。

◆甲案
(1)撤兵問題について、中国からの撤退では華北及びモンゴルの一部と
海南島に関しては、日本、中国間の平和条約成立後およそ25年※を
目処として駐屯するが、それ以外の地では、2年以内の完全撤退を目指し
仏領インドシナの領土主権を尊重し、日中戦争が解決するか、極東の
平和が確立ししだい直ちに撤退すること
※ 25年というのは、アメリカに質問された場合に答えるつもりだった。

(2)日本は、通商の無差別原則が全世界に適用されるという前提の下に
太平洋全域及び中国における通商の無差別原則の適用を求めること

(3)日独伊三国同盟の解釈については、「自衛権」のみだりな拡大を
しないことを明確化するとともに、従来通り日本政府独自の解釈に
基づくこと

◆乙案
(1)日本、アメリカ両国は仏領インドシナ以外の東南アジア及び南太平洋
地域に武力的進出を行なわないこと

(2)両国は蘭領インドシナにおいて物資獲得が保障されるように相互
協力すること

(3)両国は通商関係を在アメリカ日本資産凍結以前の状態に復帰させること
アメリカは日本へ石油を供給すること

(4)アメリカは日本、中国の和平の努力に支障を与える行動をしないこと

4点が成立すれば必要に応じて南部仏領インドシナに駐屯する日本軍は
フランスの了解を得て、北部仏領インドシナに引き揚げる用意がある。

戦争をしたかった軍部
1941年10月30日 午後の部長会議において、参謀本部は

即時対米交渉断念開戦決意。十二月初頭戦争発起、今後の対米交渉は
偽装外交とす

機密戦争日誌 其の三

という結論に達している。
また、「一面戦争一面交渉」の方針をとるが

海外(海軍と外務省のこと)を戦争に引きずり戦争へと誘導する為の政治的含み
 
機密戦争日誌 其の三

とする案であったことが記されている。

同年11月1日 東条総理大臣(兼陸軍大臣)と杉山参謀総長が会談。

杉山「外交交渉の成功により準備した兵力を撤退させることは兵の士気に
関わることなので、連絡会議では
(イ)国交調整ハ断念スル
(ロ)戦争決意ヲスル
(ハ)戦争発起ハ十二月初旬トス
(ニ)作戦準備ヲスル
(ホ)外交ハ戦争有利ニナル様ニ行フ
と主張するつもりである、と発言。
これに対し、東条は「統帥部が主張することを止めることはしないが
天皇に納得してもらうことは容易ではないと思う」と答えている。

杉山メモ

交渉期限を一方的に日本が決める
同年11月1日、大本営政府連絡会議が開かれ、以下の4つが決定された。
(1)開戦準備を完整すると共に、外交施策を続行すること
(2)日米交渉の期限を12月1日午前0時(東京時間)
(3)日米交渉における「甲案」「乙案」
(4)日米交渉が成立すれば、武力行使を中止すること

交渉期限に関して、杉山メモ(会議録)によると

賀屋大蔵大臣、東郷外務大臣は最後まで外交を行ないたいと訴え
「外交ヲ誤魔化シテヤレト言フノハ余リヒドイ」と述べた。

外交交渉の期限について、海軍は11月20日まで、陸軍は11月13日までと
するようそれぞれ求める。
これに対し、東郷外務大臣が期日、条件ともに見込がない状態では
外交交渉は、不可能であると述べたところ、外交交渉の期日や条件などの
議論の必要性が生じた。

できるかぎり長く外交をやりたいとして東条が12月1日期限を提案したのに
対し、塚田参謀次長は、11月30日以降の期限を断固として拒絶。
ここで嶋田海軍大臣が30日の夜12時までならばよいだろうと述べたところ
塚田もこれに同意。
外交交渉の期限は12月1日午前0時(東京時間)と決定。

反証3:ハルノートを受け取る前に真珠湾へ出撃

ハルノートが手交されたのが11月27日。その前の26日にハワイへ出撃
している。
1941年11月5日、大本営海軍部は、連合艦隊に対し対米英蘭作戦を
準備することを命令。
同時に、連合艦隊に対し、作戦開始前の準備地点に移動することも指示。

11月21日、作戦待機海面に移動することを命令。
南雲忠一中将指揮下の機動部隊は、瀬戸内海より行動を起こし
11月22日には千島列島の択捉島ヒトカップ湾(単冠湾)に集結。

11月26日早朝、ハワイへ向けて出撃。しかし、アメリカとの交渉が
妥結した場合は、作戦を中止して引き揚げるよう指示。
また、マレー作戦(マレー半島奇襲上陸)を目指す陸軍の大輸送船団も
南方に向けて航行中だった。

さらに、ハルノートよりも前に、東南アジアを占領するよう決定している
作戦が以下の資料にある。
1941年11月20日 南方占領地行政実施要領
原文:国立公文書館アジア歴史資料センター Ref.C12120152100

ハルノートの内容

ハル・ノートの前段には

Strictly Confidential, tentative and without commitment
(厳秘、一時的にして拘束力なし)

と記述されていた。

(1)日米英「ソ」蘭支泰国間の相互不可侵条約締結
(2)日米英蘭支泰国間の仏印不可侵並仏印に於ける経済上の均等待遇
に対する協定取扱
(3)支那及び全仏印より日本軍の全面撤兵
(4)日米両国に於て支那に於ける蒋政権以外の政権を支持せさる確約
(5)支那に於ける治外法権及租界の撤廃
(6)最恵国待遇ヲ基礎とする日米間互恵通商条約締結
(7)日米相互凍結令解除
(8)円「ドル」為替安定
(9)日米両国カ第三国との間に締結せる如何なる協定も本件協定及び
太平洋平和維持の目的に反するものと解せられさるへきものを約す

「ハル四原則」
1:全ての国家の領土保全と主権尊重
2:他国に対する内政不干渉
3:通商を含めた機会均等
4:平和的手段以外の太平洋の現状不変更

ハルノートを喜んだ者たち
ハルノートが手交された後の機密戦争日誌には、以下の記述がある。

11月27日
之にて帝国の開戦決意は踏切り容易となれり芽出度芽出度(めでたし めでたし)
之れ天佑とも云ふべし

これで「非戦派」を黙らせ、アメリカとの戦争に踏み切れることを
喜んでいる様がわかる。ハルノートはまさに「天の助け」だった。

まとめ

◆ハルノートが手交される前から開戦を決意し、準備を進めてきた
◆ハルノートが手交される前から、占領地に関しての方針を決定し
ハワイ、マレー半島に向け出撃していた
◆ハルノートに関係なく、交渉期限を一方的に決め、交渉不成立なら
開戦予定だった
◆日米交渉は難航しており、ハルノートがなくても、期限切れで
開戦した可能性は高い(つまり、太平洋戦争は予定通りだった)
◆開戦派は、ハルノートを「天の助け」と思い、喜んだ

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