エッセイ:ラーメン

夜だ。

たとえば一人の夜のお供には
ラーメンが食べたくなる。

や  た  ら  こ  っ  て  り  し  た  ラ  ー  メ  ン  が  食  べ  た  く  な  る  。

それは、昼間ネクタイを緩められなかったビジネスマンができる精一杯のやんちゃであり、或いは叩かれてガタイが育つ土方のあんちゃんにとってのティータイムでもある。最近では、インスタのストーリーよろしく脈絡なく話を延々と楽しむ女子にも受けが良いらしい。ほらそこ、麺が伸びるぞ。

ラーメン一丁を置く、重量感のある鈍い音に我々の緊張が走る。ギラギラと主張する脂。攻撃力の高いチャーシュー。メンマ・ネギなどの野菜は花のごとく散らされている。寝る間も手間も惜しんで煮込まれたスープを掬えば、活力を湛えたように震える。間違いなくこいつは生きている。さあ、麺を持ち上げる。千切れない。当たり前だと思うかもしれないが、改めて強調しておきたい。己の重みで千切れない麺こそ、絶対的強者の証と言うべきなのだ。

麺をすするこの無呼吸の一瞬に、意識を飛ばさないのがやっとなくらいの快感が襲い来る。遡る大音響が、ベートーヴェンさえも膝から崩れ落ちるようなその大音響が脳をとよもすほんの数秒の間に、我々は昼間の憂いの全てを忘れ、脱力する。そこに広がる余韻は、嗚呼、紛れもなく麦畑だ。これは無為なる消費などではない。喜ぶべきを喜ぶ、幸福なる精神の収穫なのだ。

ごちそうさまでした。
ありがとうございます。

店を出る。身体に毒なのはラーメンか、はたまた生きづらい現実か。とりあえず、明日も食うことにしよう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?