寄稿用紀行記

PONTEに寄稿するための文。
10/28-11/25の五週にわたって五回、週刊PONTEのメルマガで寄稿をしていたのをまとめておく。

寄稿用紀行記 1

先日、人生で四度目の東京へ旅したので、そのことについて書く。

夜行バスで東京駅へ、10/11早朝、東京はなんと迷子になりごたえのない街かと思う。街並みは、建築、看板、人、などから成るがどれもピンと来ない。
午後、秋葉原の街を歩く。アキバ、文化的欲望、何とも言えない街、歩くだけでフィールドワークのようで楽しい。知らない街、看板に情報。アキバは日本でも有数の看板街だと思う。セガ3号館でVRゲーム体験、外国人観光客。
台風用に夜コンビニでお菓子と水だけ買い込んでゲストハウスへ。初のドミトリー。外国語話者、ギリギリ聞き取れるが内容理解が追いつかない英語での会話をBGMに、上妻世海の「制作へ」を読む。http://10plus1.jp/monthly/2017/09/issue-05.php

明けて12日、JJFは中止らしい。引きこもって本読み、文を書く。強まる風、引きこもって本を読んでいると、廊下で酒盛りが始まっている。途中の地震の揺れも気にせず、16時から23時まで。
2:23に緊急速報メール、河川氾濫のおそれ、さいたまの荒川の治水橋付近、とのこと。3:00に眠りにつく。

13日、JJFの会場で、全国ジャグリング懇談会に出席。今回の旅の目的の一つ。はじめましての出会いと、重要な言葉。JJF、観光地、違和感、差異を暴き立てること、
朝さんとは正直しばらくすれ違う予定だったので、”出会ってしまった”感はあったが、何かの縁なのだろうと思う。
そのまま機会に恵まれてゲストステージを見る。https://note.mu/jin00_seiron/n/n4ead0d19acb2
宿は変わって浅草のゲストハウスへ。浅草の町もちゃんと歩いていないが面白い町なのだろうな、と思った。少なくとも、ここにしか無い景色はある。雷門あたりは外国人が多く、観光地だと思った。


寄稿用紀行記 2

14日、現代サーカス研究サークル「CouCou」(ククー)のスタジオ見学へ向かう。https://www.circus-coucou.com/
今回の旅の目的の一つ。埼玉県新座へ向かう電車の中で、川の水が溢れている地を見かける。「北朝霞(きたあさか)」と聞こえてくる駅名で検索してようやく、ああ、今のが荒川か、と気づく。二日越しに災害の警告メールを受け取った気分。
地図記号、看板、情報を情報として受け取ること、見落とす/見過ごすこと、そこに載っていないこと、
雨の中、喫茶店もモスバーガーも非常に混んでいて、何も回転していない回転寿司屋で昼食をとる。
歩いてスタジオに向かう途中で警察に通報する一幕があり、「えーーっと、ここはどこなんでしょうか、ちょっと待ってくださいね」 GoogleMapsのアプリで現在地名表示ってどうやるんだ? と仕方なく近くの電柱に貼ってある地名を読む。
ここがどこか分かっていなくてもそこを旅することはできる。情報なき旅、迷子。そこで見つけるもの、見えるもの。
警察官の女性に近くの美味しいラーメン屋を教えてもらう。トランポリンパーク「トランポランド」の存在も。GoogleMapにピンが二つ立つ。
結局、スタジオの資料室を二時間半ほど見せてもらって帰ってくる。

その後、両国で人と会う。今回の旅の目的の一つ。はじめましての出会いと、重要な言葉、これからの展望はどうなるか分からないが、何かにつながるかもしれないから。

15日、私用で一日アキバに。

16日、北千住での るき(岡本晃樹)さんの個展へ。https://senjugeijutsumura.wixsite.com/rojibi
今回の旅の目的の一つ。
住宅街、東口の商店街、路地裏、ここ数日の東京都会とは違って生活が近く感じられる街。


寄稿用紀行記 3

16日の夜はサーカス学会ゼミへ。今回の旅の目的の一つ。くしゃまんべ(https://cafekmb.jimdofree.com/)という古書カフェに10人以上。個々のトピックは僕のテーマからは外れていたが、やっている人がいて、このような集まりがあるということを確認。
0時過ぎ新宿発の夜行バスで17日朝に帰ってくる。一週間ほどの旅の終わり。僕の生活へ帰っていく。

今、帰ってきてから少し経っても、何を得て帰ってきたのかはまだうまく言語化できない。いくつかの出会い(と出会わなさ)があったのも確かで、いくつか思ったことがあるのも確かだ。
行った場所や行ったことについていくら述べたって仕方ない。思ったことをいくつか、書く。

僕が旅先について一番初めにやることは、迷子になることだ。
思うに、僕にとって旅というのは、知らない町に行くというのは、誰かの「げんふうけい」を歩くことだった。
旅先で迷子になる、歩いて街を見る。迷子において行き先を決めるのは、現在地に立っている自分が感じる“触感”(hunch)だけだ。思考とはどこか別の自分の感覚に誘われる。重い荷物を引きずって身体で街を感じる。行き場所と居場所を探す。観光・旅(非日常)と生活(日常)が交じり合う場所。
芸術/芸能と生活の距離(または関係)をふと思う。前者が非日常で、後者が日常なのだろうか。大道芸人と観客の距離、ジャグリングと生活の距離。

地図上からは立ち上らない情報、景色、匂い、触感、また頭の中で自分の地図が出来上がる。僕の東京にはいくつかの街しかない。東京駅、アキバ、(埼玉県新座)、浅草、北千住、バスタ新宿。地理上の位置関係はなく、線路と所要時間で街同士はつながっている。
出会って、感じて、またピンが立つ。地図になる。
前に書いた文章を思い出す。https://note.mu/jin00_seiron/n/n8bd1360aa1d4


寄稿用紀行記 4

紀行記は終わりだが、本題は『ピンクの猫』の宣伝だ。
ようやく、はじめまして。僕の名前は「じん」と申します。『ピンクの猫』に所属しています。
『ピンクの猫』とは、ここ2年ほどで僕が発見して所属している集団なのだが、詳しくはnoteの方を見て欲しい。
https://note.mu/jin00_seiron/n/n147279cdd38b
https://note.mu/jin00_seiron/n/ne1c84b1cd549

紀行記との関連で言えば、『ピンクの猫』はジャグリングの(価値についての)言わば「地図」をつくろうとしている。地図があった方が良い理由はいくつかある。
一つは、自分がどこにいるか、自分が何者かを言葉にできるようにするため。
自分のやっているジャグリング、または自分の好きなジャグリングを他者に説明するには、言葉が必要だ。ジャグリングが多様化して価値も多様化し、ジャグリングの土地は拡がっているはずなのに、ジャグリングには共通の言葉がない。
僕が通報時に現在地住所を言えずに困ったことのように、自分がここに立っているというのに自分の現在地を表す言葉を知らない。地名が定まっておらず「都道府県」や「市」の概念もない。
他者と出会って、自己紹介のときにどこの人か(出身)をいうのはなぜだろう。もし地図がなく、それを表す言葉がなかったら。喋った時の方言の感じや食べるもの等の生活上の文化的振る舞いから自分と相手は違う土地の人だと解るかもしれないが、それでは振る舞いに実際に現れてくるときの自分との差異からしか相手のことを知れない。コミュニケーションに文化的振る舞いではなく「言語」が必要な場面はある。
実際にジャグリングをしてみせる/してもらうことでしか自分のジャグリングの価値について相手に伝えることができない/相手を知ることができないのだとすれば、それは出会いの機会の喪失ではないか。


寄稿用紀行記 5

『ピンクの猫』の存在意義の話。
ジャグリングの(価値についての)言わば「地図」があったほうが良い理由のもう一つは、ジャグリングの世界が豊かになるようにするため。
言葉によって、ジャグリングの見方の違ったもう一つを得ることがある。知(言葉・概念)によって、世界は拡大するのではなく、世界を異なる視点から複層的にみられるようになる。
東京が一つの「東京」という街でなく、アキバや浅草や北千住(や渋谷や新宿や原宿や下北沢)といった様々な街から成る複合体の都市であると知るには、「東京」は“ここ”だけじゃないと知る必要がある。本当は実際に歩き回るのが良いのだろうが、地図を眺めることでも代用できる。
同じく、ジャグリングも“これ”だけじゃないと知ると、世界は広がる。「世界が広がる」というのは、東京から/日本から外のことを知ることで物理的距離が広がるのではなく、「東京」という街の認識が変化するということだ。「東京」をアキバ的(価値観の)視点からも渋谷的視点からもみられるようになるということが、世界が豊かになるということだ。

僕が考えることは、ジャグリングの土地にはどのような価値があるのか、その価値を一体どのように「言葉にする」のがいいのか、ということだ。四角く切って何番地、とすればいい訳ではない。ジャグリングの世界の価値を、ジャグリングという土地の地図を、どのように描いたら、この街を上手く表せるのだろうか。
地図からこぼれ落ちる情報はある、ということを僕は知っている。迷子の時の僕の“触感”が知っている。GoogleMapsのストリートビューだって完全ではない。それでも、それでも。

『ピンクの猫』はジャグリングをsophisticateする言葉を、やっていきます。
以上、『ピンクの猫』所属、じんでした。以後お見知りおきを。

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