『ピンクの猫』としての活動

じんです。
前の「ロープを背負うということ」で少し書いたんですが、僕が最近になって所属した『ピンクの猫』のことについて書きます。

『ピンクの猫』とは?
集団です。ある活動をやっていく人たちのことです。その人たちに僕が勝手に名前を付けて、同志ということにしました。

どのような活動をやっていく人たちか、を簡単に言うと、《ジャグリングにおける「良さ」と呼ばれる「”それ”」へたどり着くために、言葉からアプローチしていく活動をする集団》である。

僕は(ジャグラーは皆、と言ってもいい)、ジャグリングがもっている価値を、言葉にならないような「”それ”」の魅力を、感覚的に知っている。
「それ」は、「良さ」とか、少し違うが「エモ」とかいう語で呼ばれている。

「それ」を追い求める者として僕のなかに二人いて、そのうちの一人は”ジャグラーとしての”僕(ジャグリングをする僕、ジャグリングルーチン創作者としての僕)である。
ジャグラーとしての僕はジャグリングをすることで、ルーチンを/作品を作ることで、「それ」に辿り着きたいとおもっている。
「ジャグラー」全体が、《ジャグリングにおける「良さ」と呼ばれる「それ」へたどり着くために、ジャグリング/運動からアプローチしていく活動をする集団》と言って良いかは分からないが、少なくとも、ジャグリングルーチン/作品の創作者はそうだといえる。

「それ」を追い求めるもうひとりの僕が、”論者としての”僕だ。『ピンクの猫』にいる僕である。
こちらの僕は、ジャグリングにおける「良さ」と呼ばれる「それ」へたどり着くために、言葉からアプローチしていく活動をする。(※1)
僕が、「良さ」と呼ばれている「それ」について言葉からアプローチしていくのは、「それ」にたどり着くためであり、「良さ」の正体を見たいからであるが、あるいは、「それ」は言語化が不可能であるということも考えられる。(※2)
それは逆説的なたどり着き方、つまり、言葉による解体・分解をやり尽くした先に、語りえぬものとして「それ」の輪郭がはっきりするというものかもしれない。

とにかく、『ピンクの猫』がやるべきはジャグリングの価値についての言葉の探求だ。
それは、現在ジャグリングの価値がどのように言語化されているのか、今までにされてきたのか、ということの発掘・発見、収集、それらの整理、分類、だけではなく、
新しく「語」を作る、名付ける、言語化されてなかった価値軸を言葉で打ち立てる、といったことも含む。

『ピンクの猫』に入る/所属するには?
あなたが思い立った瞬間に入ることができます。
加入手続なし、入会金・年会費なし、所属メンバーの名簿もなし、思い思いに各自が名乗ったり名乗らなかったりして、それぞれに活動する。

じゃあ、『ピンクの猫』って名付けた意味ないのでは?
何も連帯しないのならば名付けた意味ないじゃん、とお思いのあなた、ご明察。
という訳にもいかないので、いくつか書く。

まず、僕の個人的事情として、先ほど述べたようにジャグラーとしての自分と、そうでない自分とが二人併存していたのに、後者の僕が名付けられてないという問題があり、名乗りにくかった、という問題があった。
「ジャグラー」概念をこれ以上広げるわけにもいかず、「ジャグリング界のインターネット論者」とかなんとか名乗るのもありなのだが、まあ、固有名詞として『ピンクの猫』の一員であると名乗っていくことにした。
後者の僕のように、ジャグリングをしないがジャグリングの価値についての言葉をやっていく者が名乗りやすくなればいいと思う。また、ジャグラーであっても、ジャグラーが皆『ピンクの猫』に所属する訳ではないだろうから、ジャグリングをする、以外のジャグリングにまつわる活動の分類として分かりやすいものになれば、と思う。

次に、ジャグリングの価値、「良さ」についての文章に『ピンクの猫』という語を混ぜておくことで、後々(Twitter等で)検索しやすくなるかも、という思いつきからだ。
『ピンクの猫』という語がどれだけググラビリティ(Googlability:Googlable グーグル検索によるヒットしやすさ)が高いかは不明だが、特にインターネットで複数人がアーカイブを残していくことを考えた一つの結果だ。

そして最後に、現在はメンバーの把握を含め、連帯・連携は全く取れていないが、今後も全くないとは限らない。
まず手始めに、僕のnoteに、「『ピンクの猫』の活動関連」というマガジンを作成しておいた。
noteで書かれた文章(ちなみにnoteには音声や動画も投稿できる)に限るが、『ピンクの猫』の活動としてのものであれば、ここに追加していきたい。
(マガジンっていうのは複数のnote投稿物をまとめておけるやつ。メンバーという制度もあり、マガジンのメンバーは自分のノートを当該マガジンに自由に追加できるっぽい。希望者は追加するんで言ってください。)

『ピンクの猫』の一員として
『ピンクの猫』には代表者はいないのもあって、『ピンクの猫』の構成員はみな対等である。ただ言葉をやっていき、ときに言葉でやりあい、誤りは指摘され、語を生み出し、少しずつ「それ」に向かって漸進する。

とりあえず、目印に旗は立てました。
解散。
各自、好きな方向に走ったり、歩いたり、掘り進めたり、探索したり、旅行したり、空飛んだりしてください。
僕はとりあえずチョコレートを食べます。
やっていきましょう。




(※1 言葉からアプローチする、といっても、常にジャグリング/運動が先に存在し、その「良さ」という「それ」を言葉にしていく、という先後関係がある。
この点において、『ピンクの猫』は詩人ではなく、批評家でなければならない 参照:https://twitter.com/jin00_Seiron/status/1029799450288377856)

(※2 勿論、もともと「それ」は言葉の形としてあるものではないので、厳密な意味での言語化は不可能である。
「りんご」という語が、物体としてのりんごをどれだけ表しているかを考えよ。それは「丸くて赤い」などとどれだけ説明しても同じで、「赤」という語が赤色を表すことがないためである。
むしろここは、「翻訳不可能性」(翻訳に際して常に起こる問題。訳文の意味と原文に込められた意味(ニュアンス含む)に違いが生じ、こぼれ落ちるものがあるということ)か。
「りんご」という語で、異なる言葉(ここでは感覚か)を持つ私たちがどれだけ同じものを考えられるか、(イメージを)共有できるか、という問題か)

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