ジャグリングの多様性、(「ピンクの猫」がやるべき事の覚書)

ちょっと考えたことを書き留めておく。

「ジャグリングの多様性」と雑に言うとき、その意味には3つ考えられる。

ジャグリングそのものの多様性 (これが比較的語義通りの意味)
ジャグリング運動の多様性、ジャグリング道具の多様性、ジャグリング技術の多様性
 純ジャグリング技術(mani-tech=モノ×ルール)の多様性
 https://note.mu/jin00_seiron/n/n559ad980a5da
 文体styleの多様性

ジャグリングとの関係性の多様性
〈私〉はジャグリングとどう付き合っているか、どう向き合っているか、
https://note.mu/jin00_seiron/n/n610876816f60
 ジャグリングそのものの多様性というより、ジャグリングに対して〈私が〉どのような矢印の向け方をするか、という多様性
 職業として/趣味として/ 競技として/エンタメとして/アートとして/ 

ジャグリングの評価軸の多様性
ジャグリングを評価するときに、どのようなジャグリングを「良い」とするか、という評価軸、価値軸の多様性


ジャグリングに纏わる言葉はこの3つに大別されるといってもいいかもしれない。
①ジャグリングについての言葉。技術体系の説明や、技術を教える/学ぶときに、また、ルーチンにおける記譜の問題においても必要。
②関係性についての言葉。どちらかといえば、ジャグリングというより、〈私〉について語るときに必要。言説がprivate領域で話されることが多いかも。
③評価軸についての言葉。良いジャグリングというものがあっても、それの良さが言語化される場面というのはあまりない。それは言語化が不可能であるから、ということも考えられる。

「〈私〉のジャグリング」と言うとき、①②③のどの意味で言っているのか、ということが曖昧になりがちで、気をつけたい。
(特に、文体論は①を②から切り離して考えるもの)

「ピンクの猫」がやるべきは③についての言葉の探求だ。
それは、現在ジャグリングの価値がどのように言語化されているのか、(今までにされてきたのか、)ということの発掘・発見、収集、それらの整理、だけではなく、
新しく「語」を作る、名付ける、価値軸を打ち立てる、といったことも含む。

以上。

過去のnote
https://note.mu/jin00_seiron/n/n0db8b6ead4bc
https://note.mu/jin00_seiron/n/ncd379a644b0b

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