博多の義父母の心意気。

認知が進行した義母の様子をみるために

久々に福岡にある家内の実家を訪れた。

確かに同じ質問を10分の間に5回ほど投げかけられる。

ついさっきとった昼食のことを思い出せない。

そして冷蔵庫の中には何か月もまえに残されたと思われる食材が

うずたかく積み上げられている。。。。

状況は家内から聞いていたが、

目の当たりにして改めてなるほどこれが症状なのかと納得する。

いっぽう義父も頭ははっきりしているものの耳が遠くなっており、

大声で話さないと会話が成立しない。

根っからの昭和一桁九州男児であるため、

認知の妻を前にしても特にそれをフォローする気もないらしく、

買い物や炊事洗濯は任せきり。物忘れを容赦なく叱責する。

「今話したばかりやろ!」「お前はもうわからんけん、だまっとけ!」

「今まで通りたい!」

少し前まではそんな父に向って、母も言い返しもしていたのだが、

今はもう何を言われても菩薩のような微笑みを浮かべているだけである。

認知症にもいろんなタイプがあるらしく、

攻撃的になる人もいるそうだが、母の場合幸いにもそうはならず、

何を言われても穏やかにやり過ごすようになる系統らしい。

まあ叱責されたこともすぐに忘れてしまうのだから、

幸福なのかもと思うのだが。

義父は地元で著名な博多人形師で、

作品は内閣総理大臣賞をはじめ数々の賞をもらい、

かつては非常に羽振りの良い時期があったそうである。

が、昨今の伝統工芸界の例外にもれず、

日に日に業況は厳しいものになってきている。

そして。

87歳となった今年を最後に義父は人形作りを引退すると宣言した。

寄る年波にかなわず、もう体がついていかないのだという。

肺気腫を患い、

ぜいぜいと息を切らしながら着替えをするやせ細った父の体つきをみて、

無理もないと感じる。

父が人形を作り、母が家庭と家計を切り盛りする。

結婚以来ずっと二人三脚でやってきた博多の二人の「今まで通り」が

少しずつ終焉を迎えようとしている。

耳と肺の不自由な父と、認知の進行する母。

家計的にもこの先どうするのかと危惧し、

私と妻がやんわりと、

この先、我々とともに神奈川県へ越してくる意思はないかと問うてみる。

「住み慣れたところが、よか」と父。

そうも言っていられないだろうと妻が食い下がるが、耳の遠いふりをする。

「誰にも迷惑はかけとらんけん」と母。

心配する妻は絶句するが、母は正しいのかもしれない。

誰にも迷惑をかけず、3人の子供を大学まで進学させ、

二人でこれまで生きてきた。

彼らの今が迷惑と感じられることこそ、

彼らにとっての最大の迷惑なのではないかと思うのだ。

きっと最後の光が消えるまで、

二人はこの地で「今まで通り」を貫くのだろう。

私たちの帰京の日。飛行場まで父が車を運転して見送ってくれた。

助手席には母がいつもの通りに腰を下ろす。

我々を車から降ろし笑顔で手を振ると、

おんぼろの軽自動車はぜいぜいと息を切らして車の流れに消えていった。

父がぽつりとつぶやいたのを思い出す。

「まあワシもよう頑張ったと。。。」

はい、もちろんですとも。ゆっくり休んでください。

ひとつだけ贈る言葉があるのなら、

そろそろ子供たちを頼ってくれてもいいのですよ。


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