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ジモカン日記vol.5 龍のように

サーブ

 小学生の時、ちょっとだけバレーボールをやっていました。
ちょっと想像してみてほしいんですが、バレーボールでサーブを打つ前、ボール回したりして、願掛けみたいにボールのいつもの位置を確認して、フゥゥゥーって息吐いて集中する、みたいな瞬間ってあるじゃないですか。

たいしてうまい選手ではなかったし、チビだったので出来ることは限られていたけれど、私、あの感じがすごく好きだったんです。
わかります?イメージしてくださいね、サーブする前のバレーボーラー。

仲間の声援が静まり返って、「ピーッ」と笛がなり、ボールをくるくる回してピタッと止めたら「フゥゥゥー」って息を吐いて、サーブを打つ。ボンッ。ボールが着地するまで訪れる一瞬の静寂。ギリギリインのところを狙っていけるかもしれないし、ラインを超えてアウトになってしまうかもしれないし、もちろんネットにかかるかもしれない。どきどきしながら打ち込む瞬間ってたまらないですよね。

でも最近、あの「フゥゥゥー」にいまいち集中できないな、と感じることが続いていたんです。雑念がはいって心がざわつく。ボールのいつもの位置がわからない。どうしてだろうって、ここ数ヶ月ずっと考えていました。

1年半前に入社したときやその前と、今は一体何が違うんだろう。
ジモカン創業10周年の節目ということもありますし、今回はここ最近の自分の変化を会社の変化に着目して解体してみようと思います。

出会い

児玉さんに初めて会った日のことを、今でもよく覚えている。
結婚して以来4年間、完全なる専業主婦に専念していたが、2013年、地域で非営利のコミュニティ運営を試みた。まわりに仲間の当てもない中、暗中模索でSNSのページをつくったところ、かなり早い段階で「いいね」をして応援してくれたのが、児玉さんだった。

なんとなく一番顔が広そうだった児玉さんに会いに行ってみよう!と考えた私は、ダイレクトメッセージを送って突撃。夏休みの子どもたちを実家に預けて、当時絶賛準備中だった上田市のオフィス「CAMP」に出向いた。まだオフィスというのは名ばかりで、いろんなところが工事途中でガランとした空間に、児玉さんはサンダルに短パンという姿で自転車に乗って登場した。

(な、なんかすごくラフな人だな・・・!)

というのが第一印象。東大卒、ベンチャー企業社長、野球部、いかついイメージ像に手に汗握って緊張していた自分が一瞬であほらしくなった。

話をしてみて気がついたのだが、児玉さんは何故かあまり目を合わせようとしない人だった。ワンフレーズ喋り終わるたび、申し訳程度にチラッとこちらを見るんだけど、ほとんど目をあわさない。そしてなんかフラフラしている。
それなのに、なぜだろう、絶対的な自信みたいなものが伝わってきた。でも、なんていうんだろう、攻撃してこない自信。こちらが負傷しない自信。むしろさり気なくこちらに伝染するような、不思議な自信。
そして繰り広げられる「とにかく起業したほうがいいよ!」という謎のススメ。

(な、なんだこの変わった人は・・・!)

児玉さんは、それまで田舎で主婦業しかやったことがない私にも、壁を感じさせない人だった。ご近所付き合いとか子どもの絵本とか料理とか洗濯とか草取りとか、そういうものの延長線上に児玉さんがいるような、不思議な感覚だった。

組織とは

20年前(!)、18歳の私は、将来像を明確にイメージできないままヤワなハートで大学に入学し、上京した。入学してみると、少数の頭のいい人たちが、自分たちが世の中を動かしているような気になって発言したり、難しい言葉を沢山並べ立てて満足しているような印象をうけ、ひどく嫌悪感を抱いた。

「頭のいい人たちが頭のいいことを自分たちだけで言い合っているのは単なるマスターベーションでは」
「どんなに素晴らしい研究や理論も、世の中に橋渡ししていかないと、なんの意味もないのでは」

若かった私は勝手に憤りを感じて大学に行くのが苦痛になった。同種の人たちがあつまる「組織」に否定的な感情をいだき始めたのもこの頃だ。今考えると、地方の高校生時代には考えられなかったくらい頭のいい人たちがたくさんいる場所で、敗北感を味わっていただけなのかもしれない。

その後なんとか取り付けた内定先の研修でのこと。自分の企画をどんどん提案できることは楽しかったが、飲み会の席でいわゆるタテの組織構造を目の当たりにした時、後先考えずに内定を辞退した。辞退したのは、もちろん組織への嫌悪感みたいなものだけではなく、自分自身の心身の弱さや未熟さも大いにある。もう少しあの頃の自分が強くあれば、また違った人生だったのかもしれないと思いつつ、それでもやっぱり、組織に所属することの難しさみたいなものと、そこはかとない敗北感のようなものをずっと自覚しながら生きてきた。

2013年に児玉さんに会ったとき、学生時代に感じていた頭のいい人にありがちな視野狭窄的な印象を全く感じなかった。むしろ感じたのは、生活感あふれる自分と地続きの安心感。身なりを整えなくても、ありのままで対峙できるような適度な隙。

その後も何度か会う機会があったが、高学歴なのに破天荒で、ふざけているようで社会性があり、バカっぽいのに切れ者で、怠け者なのに何故か面白く、子どもたちはなぜか大ウケ。自分が持っていた「起業家」「スタートアップ」のイメージと児玉さんは別物に思えた。

存在しているだけで面白い児玉さんと、なんかいつも面白そうなことをしていて、面白そうな人たちが集まっている地元カンパニー。

昼休みにダンボールの上で何かをする一部の社員たち

長いことそんな印象で地元カンパニーを眺めていた。

もしかして、ここなら自分もストレスなく働けるんじゃないか。そんな想いが、コロナ禍をきっかけに実を結び、2021年、ついに入社。学生時代以来ずっと抱えてきた敗北感みたいなものを、ここでなら克服できるかもしれないという淡い期待もあった。

しかし、私は一体何に敗北していたんだろう。

「私」がたまたま社員である

「こうあるべき」に縛られず、「こうしてみよう」が短い距離感ですぐに効果を発揮する地元カンパニーは、居心地がよかった。みんなと一緒に何かをするという共同作業は楽しかったし、よくわからない何かを追いかけるのもいい。社会と地続きで働きかけができるのは、なんかすごく嬉しい。

組織らしい組織ではなかったからこそ飛びこんだ地元カンパニーだったけれど、入社から1年半で、20人ほどの社員が増えるというスピード感でどんどん規模が大きくなっている。カオスだった部分が秩序をもち、なかったルールが出来上がり、曖昧だった線が明確に引かれていく。良いとか悪いとかいう話ではないし、私自身も、地元カンパニーが目指す未来にとって必要だと感じてきたことだ。

喜んだ方がいい。創業10周年。急速に成長する中でこういうフェーズを迎えて、そこに居合わせる事ができるのは、シンプルに貴重だ。
おめでとう。ありがとう。

しかし。

移転統合して会社っぽくなったオフィス

地元カンパニーは私が敗北感を感じていた「組織」になっていくのだろうか。そして私は、このままどんどん「社員」になっていくのだろうか。いや、社員なんだけど。私はこのままこの中に本当にいていいんだっけ、というなんとも不思議な感覚がある。組織になっていくこの会社で、私はどうやって自分らしくあり続けられるだろうか。

私は何者でもない「私」だった状態から、この1年半でどんどん「社員」になり、「児玉さん」は、どんどん「社長」になっていっている。いや、私は社員だし、児玉さんは社長なんだけど。

地元カンパニーという組織に属する社員なんだけど、「社員である私」ではなく、「『私』がたまたま社員である」という状態でありたいんだよなぁ。

組織に所属していても、「私である」ことを優先したいし、例えば同僚も、「同僚である藤本くん」とかじゃなくて「藤本くんである」と思って接したい。うーん、何を言っているんだ私は。でも、なんとなく、わかりますかね?

龍のように

そもそも、20年前うまく社会のレールに乗り切れなかった私は、本当に組織に「敗北して」いたんだろうか。そして私が敗北していたのは、本当に「組織」だったのか。

仮に、所属することでその人自身のアイデンティティになり、精神的な安心感を支えるものが「組織」だとすると、それは「地元」みたいなもので、それって私にとっても他の人にとっても大切な気がする。

じゃあ私が「組織」というものに感じていた嫌悪感は何だったかと改めて考えてみると、「同種の人たちが同種の人同士のみでわかりあっている」ことや、「同種の人たちが自分たちの過去を惰性的·形式的に続けていく」こと、あとは、「その組織の枠組みが個人の存在を凌駕してしまうこと」。いわば、多様性に欠けた状態で内や過去ばかりに向いている体質や、個人に対する支配的な性質だったのかもしれない。

私が戦っていたのは、そして私が「敗北した」と思っていたのは、組織そのものではなく、強固で分厚い画一性と閉鎖性と支配、だったのだ。(いやもちろん、自分自身の思い込みや弱さもあったと思う。)

組織の地元っぽい感じは残したまま、画一性や内向き体質を取り除いていくことができれば、私も組織に所属することを自分で肯定できるのではないだろうか。つまり、私にとって組織を地元に出来るのではないだろうか!(だんだん何を言っているのかわからなくなってきた。)

組織が何なのか、結局はよくわからない。それでも、内側や過去を向くのではなく、外を向いて風通しのよい方が、私は好きだ。 向かう先は、内ではなく、外に。過去ではなく、未来に。枠組みではなく、自分が。
 
そう、龍のように。

10周年、おめでとうございます。
でも、龍って一体なんだろう…。
とりあえず、今日もサーブ、打ってきますよ。

いつも答えのない思考にお付き合いくださり、ありがとうございます。このエッセイに関するご感想をくださる貴重な方がいらっしゃいましたら、zakoji@jimo.co.jp までお願い致します。泣いて喜びます。


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