見出し画像

ジモカン日記 vol.1 道路が人生なのだから

画像4

拝啓、お父さん、お母さん。

お久しぶりです。子供を介さず話をするのは久しぶりですね。
10ヶ月前、当時住んでいたインドで、日本に帰国するべきかどうか悩んでいたとき、「旦那と離れてお前が一人でちゃんと働けるわけがない」と言い放たれたことは、きっと一生忘れません。

小さい頃、バレーボールに打ち込んでいたとき、「バレーで食ってけるわけがない」と言われたことも、文章を書くのが大好きだったのに「そんなもので食ってけるわけはない」と言われたことも、認められたくて受験勉強をして志望校に受かったときにも、褒め言葉もなく一人で東京に上京し、家を借りるのも引っ越しも一人ぼっちでやったことも、きっとずっと忘れません。

子供の頃は、言われたダメージをそのまま吸収していたけれど、36歳になった私になお「お前が一人で働けるはずがない」という言葉をかけたお父さんとお母さんに対し、36年分の人生の蓄積のある私は、見返してやる、と思えるようになりました。

今、こうして手紙を書こうと思えているのは、その目的を、もはや十分に達成できていると自分で思えているからにほかなりません。

夫と離れても子どもたちとなんとかやってます。会社の中でもまあまあ普通に働いています。愛すべき友人たちと、愛すべき仕事仲間に囲まれて、リベラルな会社の制度にも支えられ、私はわたしとして生きている。私はもう、お父さんとお母さんだけの私ではないし、私だけの私でもない。知らないところで、色んな人からいろんなものを受け取って、生きています。

どうだ。へっへーん。べろべろばー。
そろそろ許してあげるから、お前はすごいって言ってみそ。たまには頼ってあげてもいいよ。私の人生、なんくるない。くるしゅうない。マイペンライ。トラトラチャレンゲ。

敬具

高揚

2021年5月19日、よる9時。私は今、震えている。高揚して眠れそうにない。
5時間前、「営みの息遣いが感じられる」を目標にしたこの通信を作るための打ち合わせをした。

社長の児玉さんから「ザコウジで書いていいよ」と言われて、なんというか、ピーンときてしまった。古い電子レンジの、あのぐるぐる回るタブがチーンと鳴るように、本当に頭の中で「ピーン」とずれていたなにかが合致した音がして、高揚感が抑えきれなくなった。

これならイケる。

思い浮かんだのはそんな言葉だ。
やりたいことを堂々とできなかったり、学びたいことを堂々と学べないもどかしさを抱えていた専業主婦時代を経て、とにかくお金を稼いでみようと会社に入った。しかし当然ながら、会社の仕事と自分が本当に打ち込みたいことにはズレがあって、それをどう埋めていくかを考えていた矢先のことだった。

児玉さんの言葉を聞いて、なんだかふっきれた。
仕事の中に、ザコウジの「シゴト」を体現していっていいなら、このままずっと会社で仕事をしていけるんじゃないか、という気持ちが、単純に「イケる」という直感的な言葉になった。仕事がシゴトになりうるということを掴んだ瞬間だったのかもしれない。
全然まだ実績はないけれど、今まさに書いている、この文章が、一つの試金石になるとよいと願っている。

生きやすさと引き換えに失ったドジョウ

36歳、夫は自由人(今はマニラに住んでいる)で子供4人。第三子は生まれつき重症心身障害児で要全介助。もとガリ勉、もとメンヘラ、大学は2留。そんな私が人生で初めてちゃんと会社員になって、5ヶ月が経過した。
昨年秋、当時家族で住んでいたインドから日本に帰国して、家族としての今後を散々話し合い、夫は重心児の第三子を連れてインドに戻り(その3ヶ月後にはマニラに異動)、私は子ども3人と日本に残って仕事を始めることに決めた。

仕事を始めることに決めたと書いたけれど、いわゆる大組織の中で働く気持ちはなかったし、大組織様も私などお呼びではないことはじゅうじゅう承知していた。自分の中にこれから先を生きるエネルギーを蓄積できる仕事がしたかった。単純に、コロナ禍のインドで、ロックダウン生活を続ける中でむき出しになった「自分」を見つめることにに疲れ果てていたのかもしれない。社会の中に自分をポジショニングしたかった。

とはいえワンオペで家事と仕事をフルで両立させる日々は、まじで分刻みである。食事作りや掃除洗濯はもちろん、子供3人の学校や保育園の準備物や連絡、喧嘩の仲裁やそれぞれの宿題やメンタルフォローなどなど一つ一つ書き出すときりがないけれど、とにかく5:30に起きてから夜21:00過ぎに寝かしつけるまでノンストップフル回転、御飯作りしながら娘の話を聞いて末っ子のおしっこ連れてきながら長男の宿題見る、といった具体に常に同時進行で複数プロジェクトをマネージメントしている。

画像3

ここで、一つ言っておきたいことがある。
「ワンオペで3人の育児をしながら仕事もしてすごいね/偉いね」とここ数ヶ月よく言われるのだけれど、むしろワンオペで3人見ながら仕事をしない方がしんどいのではないか、というのが私の正直な感想である。仕事がなかったら四六時中子どもたちと向き合い続けねばならないし、四六時中子供のことを考えて自分の首をしめてしまいそうで、想像しただけでガクブルである。

何が言いたいかと言うと、仕事をして家事をすればいい今の私のポジションは、実に楽ちんだということ。私は、ただひたすら毎日仕事をこなし、家に帰ったら家事をしている、それだけである。

で、毎日が秒で過ぎていく。
自分の思考を深めようとか、読みたい本をじっくり読もうとか、考えたことをまとめておこうとか、そういう時間が皆無になった。私の時間はつるんと手中から抜け出すドジョウに消費されているかのようだ。つかめそうでつかめないドジョウ。つるつると滑っては目の前で手の中から逃げ出していく。
ふと我に返ると虚しいくらいに手元には何も残っていない。もちろん毎日必死で捕まえようとしているのだけれど。

ひるがえって子どもたちはどうだ。
この5ヶ月の間に、3歳の末っ子はいつのまにかおむつが外れたし(まだ夜は失敗ばかり)、保育園の転園を難なくクリアして、日本語の語彙力も格段に増えた。4年生の長女は余裕で英検に合格したし、人生初の告白も経験したらしい。5年生の長男にいたってはロックダウンのインドで日々フラストレーションを爆発させていたのが嘘のように穏やかになり(むしろ私のほうが日々爆発している)、放課後には複雑な友人関係を日々リア充しているし、なにより苦手な学校にまあまあ通っている。給食食べて帰ってくるだけで100点、と伝えてあるので、今の所彼の日々は300点だ。その割にはガミガミ言うことが多い気もするが、そうだ、300点だぞ、あいつ。ガミガミ言うな、私。

子どもの成長は著しい。
子どもたちが蓄積している経験値や成長に比べると、今の私は空っぽだし、前進している感じがあんまりない(多少はある)。やることがはっきりしていて生きやすいのだけれど、いまだかつてこんなに生きやすい毎日を過ごしたことがないので、ちょっと怖い。

社会の中で自分が明確にタグ付けされるポジションで生きることが、こんなに楽ちんで生きやすいとは想像していなかった。

しかし同時に、生きやすい毎日は、いくら時間を過ごしても、ひたすら空気を割っているだけの薪割りみたいに手応えがない。悩みがないということはいいようでいて、結局感じることの底の浅さの裏返しでもある。何かをこなしているようで、結果的には何もこないしていない。名付けて空気割り状態。もしくはドジョウ掴み。

悩みたい。苦しみたい。

おかしいな。インドでロックダウン中、あんなにしんどかったのに。あんなに社会の中に自分のポジションをタグ付けしたかったのに。


自分がタグ付けされる安心感や生きやすさと引き換えに失ったのは、悩み苦しみもがきながら捕まえる、自分の手の中に収まるドジョウなのかもしれない。あるいは、前に進む実感。確かに薪が割れているという実感。(なんだそれ)

道路が人生なのだから

ここで冒頭の児玉さんの話に戻る。
会社員としての仕事の中に、私が確実に手応えを獲得したい「シゴト」を体現していくことで、生きやすさと生きる手応えは両立できると考えた時、会社の社長である児玉さんから「ザコウジでいっていいよ」と言われたことは、願ってもないことだったことを、おわかりいただけるだろうか。

伝えたいのは、児玉光史という人物が、そういう人であるということ。
たぶん自身も、「生きやすくあればよい」と考えるよりは、「生きる手応えを最大限に味わって生きたい」と思っているのだろうし、関わる人達がみんな「生きる手応えをもって生きてほしい」と願ってしまう人なのだ。

先日、3歳の末っ子と10歳の長男とともに、実に何年かぶりに映画館で映画を見た。歴史ある街の小さな映画館で上映されていた、森山大道という写真家のドキュメンタリー映画である。「過去はいつも新しく未来は常に懐かしい」というタイトルもさることながら、作中に登場するジャック・ケルアックの「路上」の一節が胸に突き刺さった。

「前途は遠かった。しかし、そんなことはどうでもいい。道路が人生なのだから。」

児玉さんは、目的地そのものよりも、その道路を最大限に楽しみ尽くして歩く方法を模索する人物だと私は思っている。そして、彼の隣で歩く人達にも、道を歩くこと自体を楽しんでほしいと願っているに違いない。(推測です)

画像4

生鮮品を扱うカタログギフト事業は複雑だ。お金を払う人と商品を受け取る人が別であること、天候や環境に左右される農水産物を相手にしていること、少し考えただけでも複雑さは想像していただけるかと思うけれど、複雑であるが故に、さまざまな可能性も秘めている。

児玉さんが考える哲学を斜め下から見つめるザコウジの見解や、複雑なカタログギフト事業に秘められた可能性についてなど、次回以降、順次書いていきたい。

そして、このエッセイが、このエッセイを読む人たちと、私自身の歩く道路を楽しいものにしてくれることを願っています。ひいては、私の父と母が、私の歩く道路を楽しそうだねと言いながら、これからも一緒に歩いてくれることも、願って。

最後に。
「興奮して眠れそうにない」と冒頭に書いた、5月19日の夜、子供を寝かしつけながらその後5分で眠りについたことをここに告白しておきます。ずこー。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?