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地元エナジー物語 2 リストランテ・地元

 静かなジャズの音に紛れてナイフとフォークの音が響く店内。窓の外には夜景が広がり、ライトアップされた東京タワーのオレンジ色が存在感を放っている。秋田から上京して20年、スカイツリーもいいが、東京タワーはやはり特別だ。

 順番に運ばれてくるアート作品のような料理をスマートに食べ終えると、ワタルは大きなタメ息をついた。

 若くもないが、おじさんとは言われたくない、吉田ワタル、38才。大手商社のやり手営業マンとして不動の地位を築いてきた。時間を見つけて都内の有名店で食事をするのが生きがいだ。三ツ星レストランも、一見様お断りの寿司屋も、新進気鋭のスイーツショップも、大抵の有名店は足を運んだ。
 社内のみならず、取引先にも美食家としてその名を知られ、食事場所の相談をされるたび、自尊心がくすぐられた。プライベートで更新しているブログは評判を呼び、有名雑誌の取材を受けたこともある。

 ところがここ最近、どんな美食を味わっても、誰と食べても、どこか満たされなさを感じていた。物足りなさについて、ワタルは「料理人の腕が落ちた」とブログで表現したが、違和感を抱えていた。

 ある時、変わった名前の謎の店がSNS上で話題になった。店の情報は限られており、外観もメニューも料理の写真も出回っていない。にも関わらず、「価値観がゆさぶられました」など、大げさな感想がSNSに多数寄せられており、ワタルは美食家として、食指が動いた。

 予約時に指示された通り、港区地藻都町(じもとちょう)の小さな路地を入ると、まるでレストランとは思えない、瓦屋根の民家にたどり着いた。

 築50年ほどだろうか、どこかで見たような不思議な感覚を覚えながら引き戸を開けると、小さな丸テーブルと、古ぼけた木製の椅子が3脚、さみしげに置かれている。人がいる気配はない。

 つきまとう既視感を携えながら、ワタルは無意識に真ん中の椅子を引き、小さな丸テーブルの前に腰掛けた。よく見ると、丸テーブルには見覚えのある5センチほどの傷があり、はっとした。これは、幼い頃住んでいた実家の丸テーブルだ。買ってもらった彫刻刀で家中の木製家具を削り、母親にこっぴどく叱られたんだった。間違いない。そういえばこの家は、幼い頃過ごした秋田の実家そのままだ。

ーなぜ?どうして?ここは港区だぞ?そもそも実家は、中学の頃取り壊したはずだぞ?

 慌てて辺りを見渡すが、やはり誰もいない。
 混乱しながらもう一度テーブルに目線を落とすと、いつのまにか卓上には白い皿が運ばれていた。皿の上にはポストカード大の箱がのっている。手に取ると、中には20枚ほどのカードが入っており、どうやらワタルの地元、秋田の特産品を集めたカタログギフトになっているようだ。

 一枚一枚めくっていくと、子供の頃よく食べたババヘラや親父が好きだった地酒、いぶりがっこなど、懐かしい商品が紹介されている。一緒に掲載されているつくり手たちの自信に満ちた表情をみていると、秋田の突き抜けるような青空が思い出された。
 最後のカードをめくったとき、ワタルは「あ!」と声をあげた。

「本気の米づくりで伝えたい、滋味あふれる味わい」

 泥臭いキャッチコピーとともに秋田県産米のつくり手としてカードの中で泥臭く笑っていたのは、ワタルの同級生、シゲオだった。

 シゲオは、小さいころから不器用なやつだった。勉強もスポーツもそれなりにできたワタルは、何かにつけてシゲオを馬鹿にしていた。

「わっくんは、すごいね。」

 どんなにワタルが馬鹿にしても、シゲオはいつもそう言ってニコニコした。野球部だったワタルは、中学2年の夏、試合直前に肩を壊し、試合に出場できなくなった。チームは試合に負け、ワタルは居ずらくなってそのまま退部した。

 実家を取り壊したのは、この頃だったような気がする。取り壊す直前の実家に最後に遊びにきたのが、シゲオだった。退部して一人家にこもり、親と喧嘩ばかりしていたワタルに、シゲオは相変わらずニコニコ笑って言った。

「わっくんは、すごいね。」

 その後、駅前のマンションに引っ越してからシゲオとは会っていないが、今、あの頃の笑顔のまま、ワタルはニコニコとカードに収まっていた。

 カードから顔をあげると、白い箱はいつの間にか消えてなくなり、大きな塩むすびが皿に乗っていた。

 ワタルはもはや混乱を通り越して、不思議な確信をもってその塩むすびを手に取ると、じっと見つめた後、大口をあけてかぶりついた。
 大きくて不格好な塩むすびを夢中で食べながら、たぶんこれはシゲオの米だ、と感じた。腹の底から、シゲオの笑顔のようなじんわりと温かい感情が湧き上がり、満たされていった。

 野球を続けられなくなり、親に暴言ばかり吐き、何者でもなかったオレにシゲオが言った「わっくんは、すごいね。」が、時空を越えて染み渡ってくるようだった。

 仕事ができるオレ、有名店をすべて制覇するオレ。
 でも、何も知らなくても、きっとシゲオは今でも「わっくんは、すごいね。」と言うんだろう。

 食べ終わると、ふと、机の横に一枚の紙が掲示されているのが目に入った。

この店は、訪れた人の思い出の建物でお出迎えします。ご着席頂くと、思い出の地域の食品カタログをまずはご覧いただきます。お客様に最も必要な商品をお選びください。商品を調理したものをサーブ致します。
お客様がその時必要としていているお食事が、きっとみつかるはずです。
なお、店内の撮影や、この店の仕組についての発信は固くお控えください。
                        ーリストランテ・地元

 ふっと笑いがこみ上げてきた。

 ワタルは建物を出ると、スマホを開き、来週予約していた新しいフレンチの店をキャンセルし、そのまま秋田行きの新幹線のチケットを購入した。

 今頃、ちょうど秋田は稲刈りの時期だろうか。シゲオの笑った顔と黄色くたわわに頭をたれた稲穂を見たら、「シゲオはすごいな」と言ってやろう。

(完)



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