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地元エナジー物語4 稲穂とイナホ

 チャシロ。ライオン。きなこ。レオ。ごまドレ。しゃぶしゃぶ。

 オレにはいくつもの名前がある。まあまあどれも気に入ったふりをしてゴロゴロ喉をならしてやるが、しゃぶしゃぶってえのはいったいなんだ。あれだけはどうも慣れない。

 坂の上にある緑の屋根の軒下が、オレ様のお気に入りだ。紫色の髪をした上品なばあちゃんが一人で住んでいる。ばあちゃんはオレを「チャシロ」と呼ぶ。最近は夕方になると、家の隣にある田んぼのまだ若い稲穂を取ってきては遊べとばかりに差し出してくるので、オレは飛びついてやるんだ。そうやってひとしきり稲穂と遊んでみせると、ばあちゃんは目を細めて餌をくれる。
 ノラ歴十年以上の品格あるオレはともかくとして、気のいいばあちゃんはノラデビューしたばかりの粋がったやつらにまで誰彼構わず遊んでやっては餌をくれて目を細めていやがるんだ。はんっ。もうちょっと猫を見る目を磨かないと、そのうち悲鳴をあげるに決まってら。
 坂を下った池の横にある黒い瓦屋根の家には、やかましい二人の子どもとおとなしい夫婦が住んでいる。ここの子どもたちはオレのことを「ライオン」と呼ぶ。オレのゴージャスな毛並みがライオンのように勇ましく見えるので無理もないが、子どもたちがやたらと撫で回すのが少々うっとおしい。
 それから竹藪の裏にある木造の家にはハゲたオヤジと老夫婦が三人で住んでいて、台所の引き出しにはいつも上等な鰹節がしまってあるのをオレは知っている。毎朝早くからその上等な鰹節を削るのがハゲオヤジの日課で、オレはその削りかすを頂戴するのが楽しみなんだが、勝率は五勝五敗といったところ。うまくいってもいかなくても、ハゲオヤジは手に持っていた削り器を振り回してカンカンに怒りやがる。あいつはオレの敵だから、オレに名前なんてつけない。

 いつからだろう、ハゲオヤジは鰹節を削ることなく早朝から家をあけることが続いた。かわりに老夫婦が並んで台所に立っては、袋から出した削り節で出汁をとる。この老夫婦はハゲオヤジと違ってオレのことを「きなこ」と呼ぶ。
「こっちゃ来う、きなこ。」
 老夫婦は優しく、オレにそっと削り節を分け与えてくれた。
「かんにんな。料理人の端くれとして、誇りがあるんじゃろ……」
 腰の曲がったばあさんがそういってオレの背中をなでた。
「そうはいっても、最近はめっきり客が来んらしい。泣く泣く包丁をハンドルに持ち替えて朝はタクシー運転手の仕事をはじめたんだと。」
 じいさんがそう言って今度はオレのあごをなでるので、ゴロンと横になってみせる。
「あの子の別れた嫁さんは、出汁を丁寧にとった味噌汁が好きだったからな。ほいじゃけどこんな田舎にはおれんちゅうて、子ども連れて東京に戻っちまった……」

 翌朝、オレはいつもよりうんと早くハゲオヤジの家に行った。
 台所をのぞくと、上等な鰹節が入っていた引き出しを見つめながら、思い詰めた表情をしているハゲオヤジがいた。
「ニャア」
 オレはわざと声をだして煽ってやった。きっといつもみたいに「こりゃあ、泥棒猫め!」と言ってハゲオヤジが追いかけてくるんじゃないかと思ったんだが、今日のオヤジはどういうわけかこちらを向いたまま何も言わない。
 見ると、引き出しの中にあったはずの上等な鰹節はもうほんの僅かしか残っていなかった。 
 再び力なくうつむくハゲオヤジを前にオレは戦意を喪失して、そのままその場を後にした。今まで鰹節を盗み食いしすぎたせいで、あいつはあんなになっちまったのかもしれない。

 その次の朝、オレは田んぼから稲穂を一本かっさらってきて、ハゲオヤジの家の勝手口に置いておいた。鰹節を食いすぎた詫びのつもりだ。
 その翌朝も、そのまた翌朝も、稲穂を一本ずつくわえてきては、勝手口に置いた。日を追うごとに稲穂の色は黄金に変化し、そのふくらみは少しずつ大きくなっていた。

 十日ほど毎日稲穂を届けた後の朝、もう間もなく刈り取られちまうんじゃないかというくらい、たわわに実った稲穂をくわえていくと、ハゲオヤジが勝手口で仁王立ちをしていた。
「お前、何のつもりだよ。」
 ハゲオヤジはどすを効かせた声で言った。
「ニャア」
 オレはわざと弱々しい声で鳴いてやった。
「お前、何のつもりだよ。」
 ハゲオヤジはもう一度言ったけど、今度は声が震えていた。
「ニャア」
 オレは今度は少し甘い声で鳴いた。
「なんとか言えよ……」
 そう言ったハゲオヤジの拳は固く握りしめられていた。
「ニャア」
 オレはとびっきり甘い声を出してやった。何故か、あの硬い拳を開いてやりたい衝動にかられたのだ。台所の出窓を見上げると、これまでオレが運んできた稲穂が束ねられ、グラスに飾ってあった。
 ハゲオヤジは観念してその拳を開き、オレを抱き上げて座り込んだ。そうしてそのはち切れそうな腹の上にオレをのせ、ワシワシとオレのゴージャスな毛を掻きむしりやがった。
「新米を思うと、包丁を捨てられないじゃねぇか……」
 ハゲオヤジの雑な扱いのせいで、オレのライオンみたいなゴージャスな毛並みが台無しだ。やっぱりこいつはいつだってオレの敵なんだ。鰹節の詫びはもう終わりだ。明日からまた戦いだぜ。

 翌朝、戦闘モードでハゲオヤジの家にいくと、引き出しから新しい鰹節の塊を取り出したハゲオヤジが、その塊を削っていた。思ったとおり、今日はごちそうにありつけるぞ。
 オレはその削りかすを狙って体勢を整え、猛スピードで突進し、狙った削りかすをくわえて逃げ去ろうとして、勝手口で振り返った。
「イナホ!コンニャロがぁ!」
 そう言って削り器をふりかざしたハゲオヤジの目元はでも、ちょっと笑っている。

 オレにはまた、新しい名前が一つ増えたみたいだ。

(完)

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