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中途半端な自由



■自由は、案外辛いもの
幸運なことに、現代の私たちは、何者にでもなれる自由を持っている。ただ、だからこそ、何者にかになれなかった時非常に辛い。何のために生きているのか?自分の人生にどんな意味があるのか考えてしまう。人類至上こんなに幸運な時代はないとわかっていても、私たちは、どうして苦しみのか?メカニズムを哲学者サルトルがすでに説明してくれているので、なるべく簡潔に紹介してみる。

■私たちの自由は、中途半端
苦しみの原因は、簡単に言えば、自分の存在証明が自分だけで完結しないことだ。確かに、私たちは何にでもなれる権利と可能性を持っている。しかし「おれは、イケメン俳優だ!」と主張しても、残念ながらイケメン俳優にはなれない。当たり前だが、「イケメン俳優」になるには、まず自分を「イケメン俳優」と認めてくれる他人が必要だからだ。自由は、自分だけの専売特許ではなく例外なく他人にも持っている。だから、他人があなたは、「イケメン俳優じゃない」という権利はある。だから私たちは、自由だが、他人の自由までを奪うことはできない。とはいえ、相手の言いなりになった、自分の人生の自由度が、消えてしまう。ここに私たちは不自由さを感じ、葛藤している。

■他人の考える自由を引き受けろ
この自由の苦しみとしての、サルトル先生が言うに次のような解決策を提示してくれている。他人が考えている自由を引き受けなさい、と。つまり他人が、あなたのことをイケメン俳優ではなく、お笑い芸人だと思っているなら、お笑い芸人になることを自ら引き受ける姿勢を取ることで、自分の人生の自由度を取り戻せということだ。たしかに一理あるが、結局イケメン俳優にはなれない。

■自由は、思ったほど自由じゃない
現代にある自由は、自分の人生を何と定義づけるか?それだけが唯一それだけだ。残念ながら、やりたい放題できるほどの自由はない。自由が許されている時代だからこそ、自分の自由を優先させたくなるが、他人の自由を奪う権利まではない。自由という響きだけは、良い印象を与えるが、案外中途半端な権利が自由と思っておいた方が勘違いで苦しまずに済む。

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