第30話 みぃちゃんとネッラ
洞窟の奥、地底湖のほとりに長老が一人立っていた。三角ペイント兄さんは澄んだ湖面を見つめるその三角ペイント長老をやっと見つけて、話しかけた。
「アセン長老、こちらでしたか。」
アセンはじっと湖を眺めている。少しして、声の方へ振り返った。
「ここを見つめていると、いつでもあちらの世界に行けるようなそんな気がする。なあ、ガイアスよ、私たちの星は遠いの。」
アセンは瞳をうるうるさせた気弱な表情でガイアスを見た。
「あちらの世界?何をいっているんですか、長老。我々の祖先がケイロンを捨てて800年。今はもう誰も、ここが自分の星だという者ばかりですよ。」
「そうか……。お主らはもう昔のケイロンを知らんのじゃな。当然か。そうじゃ、あの二人はどうしておる。」
「食堂で食事をとっていますよ。もう落ち着いているようです。度胸があるのでしょうかね。」
「ふむ。あの男の娘だからな。」
アセン長老はまた地底湖の方へ向きなおる。
「長老、本当に彼らが我々とともに戦うのですか。一人はまだ小学生ですし、もう一人は体も心も弱そうな少女ですよ。もちろん、長老を疑うわけではありませんが。」
ガイアスがうやうやしく問いただす。が、アセン長老はなにも答えない。
「わかりました。いいのです。のちのち、わかることですから。ところで、日の国の外務員が長老と話したいと。即刻断っておきましたが、抜け目ない者どもですから、今後何をしてくるか。」
ガイアスが答えをあきらめて外務員の話をしたとたん、長老が振り向く。
「なにっ、外務員が。確かに、今彼らが我々と真っ当に交渉するとは思えぬ。なにがあるやも知れぬ、皆に戦闘態勢を維持するように伝えてくれ。」
アセン長老の表情が少し険しくなる。
「わかりました、長老。みなに伝えます。龍師隊はパターンD6で哨戒します。では私はこれで。」
ガイアスはそう言うとゆっくりとした足取りで、地底湖を背に歩きだした。アセン長老はまた地底湖を見ていた。
「しくしくしく、しくしくしく。」
みぃちゃんがずっと泣いている。もう、ぼくまでみぃちゃんの悲しみに呑み込まれそうだ。人生二回目なんて、ろくに役に立たない。天国にも行けないし。そんなふうにぼくが途方にくれていると、
「ぼくのかわいこちゃん、どうしてそんなに悲しそうにするのかな。君たち地球人の人生なんて100年もすれば終わっちまうんだ。楽しく過ごさなきゃ損だぜ。」
ネッラがみぃちゃんを変なテンションで励ます。
「きもい」
みいこがののしる。
「きもいは言っちゃダメでしょ。いじめよりひどいよ。だめだよ、きもいは。きもいは言わないで。」
ネッラは余程トラウマでもあるのか、きもいという言葉に必死に焦って反発している。いじめにも動じないネッラなのに、きもいと言われた途端、この慌てようだ。やはり『きもい』は禁句なのだと、ぼくは思ったのだ。それでも、ネッラの慌てたさまは滑稽で、人生ってなんだか面白い。
みぃちゃんが顔を上げた。
「ねえ、ネッラの太陽の王国って、いじめもないの?」
「ないさ。いじめもないし、国境もない。みんなのものはみんなのものだし、教育も平等さ。そして言語も統一されているんだ。」
みぃちゃんが信じられないって顔をした。
「はっ、なによっ、そんなの夢物語よ。英語とか、みんなが話せるようになるわけないし。いじめだってあるし、きもい、だって言うもん。」
「だめだよ、きもいって言っちゃ。」
ネッラは強迫観念的に『きもい』と言われるのを怖れている。ユートピアどころじゃない。必死で『きもい』を否定している。ほんとに何があったのかな。
ああ、それなのに、みぃちゃんはきもいきもいって何度も繰り返しているし、ネッラがかわいそうだよ。それでもみぃちゃんが、『きもい』を言論弾圧しちゃダメ、とか言って、もう人権って難しいよ。
二人はずっとそんな調子で話している。ぼくはそんなみぃちゃんとネッラのユートピア論争を見て、うらやましくなる。ほとんどユートピアの話じゃなくなっちゃってるけれど、二人はなんだか息ぴったりだ。
そして、ぼくにはユートピアの話はとても難しくて、だんだん眠くなってきたんだ。
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