38話 みぃちゃんとキャンボディアの星たち

  「ハルくん、むきゃむにゃ。」

 「みぃちゃん、むにゃむにゃ。」 

 王都寺院のそばの木にもたれて、ぼくたち二人はうとうとと、まどろんでいた。沈む太陽の残したぬくもりと、乾いた空気が心地いい。 

 「ソームトーホ。」

 誰かがぼくたちに声をかけた。ぼくが眠い目をこすって顔を上げると一人の男性が目の前に立っていた。キャンボディア国の青年みたいだ。

 それで、ぼくはなにか言おうと思ったんだけれど、不意に言葉がでなくなった。それはさっきの言葉の意味がわからなくて、何を答えたらと思い迷ったためだった。ぼくは木になったかのように押し黙ってしまっていたのだった。

 すると、その青年は

 「あの、日の国の方、ですか?もう寺院の観覧時間は終了しましたよ。」

 と言ったのだった。ぼくは外国人の口からスラスラと出る日ひの国語くにごに驚いた。

 「どうしたの、ハルくん。」

 みぃちゃんが目を覚まして、ぼくを見る。

 「もう観覧時間が終了しましたので、みなさん寺院から出ないといけません。ホテルはどこですか。必要ならトゥクトゥクを呼びますか?」

 みぃちゃんの声に反応したように青年はそう説明を繰り返した。ぼくたちを海外旅行客だと思って心配しているようだった。

 「あの、私たち。えっと、その、ホテル、じゃなくて、洞窟に住んでいるんです。それで、そこには寺院の地下から帰れるんです。」

 みぃちゃんはそう答えた。だけど青年は驚いたような笑うような困惑した表情になって、こう言うのだった。

 「ドウクツ、ですか?うーん。私は公認の観光ガイドですが、寺院の地下からそんなところには行けませんよ。聞いたこともありません。何かの間違いではないのですか。」

 日の国語をすらすらと話すキャンボディア青年は落ち着いてそう言った。

 「そうなの。じゃあ、ねぇ、見せてあげるよ。それで、これからは洞窟も観光客に見せてあげてね。」

 そう言って、みぃちゃんは立ち上がり、寺院の方へ歩き始めた。

 ぼくとその青年は顔を見合わせてから、一緒にみぃちゃんの後ろをついていった。

 「あの、ガイドさん。」

 歩き始めて少ししてから、ぼくはおそるおそる、青年に話しかけた。

 「はい。トゥーと呼んでください。みなさんにもそう呼んでもらっています。それで、なんですか。」

 「うん。あのね、トゥーさん、この寺院にはたくさんの神様の絵が彫られているんだよね。それで、その神様のことなんだけど、ガイドさんだから詳しい?」

 「ええ、いつも案内していますから。ビシュヌ神やブラフマン神や、それに地球を造る乳海撹拌にゅうかいかくはんのお話のあるマハーバーラタの話もできますよ。」

 青年はそう言って、ぼくにとても親切に答えてくれた。でも、にゅうかいかくはんって何だろう……

 まっ、いっか。

 そう言えばみぃちゃんはぼくたちの少し前をぐんぐんと歩いている。もしかして、外国人に話しかけられて照れてるのかも知れなかった。

 そんなみぃちゃんを横目に、ぼくはトゥーさんに質問を続けた。 

 「その、あの、それで、ハムスターの神様っているのかな。」

 ぼくは勢い込んで、早口で聞いた。そうでもしないと恥ずかしくって。

 「ハムスターですか。神様の。うーん聞いたことないですけど。でも、蛇の神様や象の神様もいますし、猿の神様もいますからね。あっ、ほら、見てください。ここの壁にも彫られているでしょ。」

 トゥーさんが寺院の外壁を指差して言う。気づけばぼくたちは王都寺院の中心部にある建物まで歩いてきていたのだった。

 「ほんとだ。昼に見たときはよくわからなかったけれど、猿の神様なんだね。」

 「ええ。そうです。だから、ハムスターの神様もいるかもしれませんよ。」

 トゥーさんはそう言うと、温かい微笑ほほえみでぼくに頷うなづくのだった。ぼくはその声と表情で、とてもほっとしたのだった。

 「なになに、二人で何話してるの。みいこも交まぜてよぉ。」

 前を歩いていたみぃちゃんが、いつのまにかぼくたちのそばに来ていた。

 「みぃちゃん、あのね。象とか蛇とかいろんな動物の神様がいるって、トゥーさんから教えてもらってたの。あっ、トゥーさんっていうのはお兄さんの愛称なんだって。」

 ぼくがそう言うと、みぃちゃんは感心したような目でトゥーさんを見た。

 「へー、トゥーさんって本当にガイドさんなんだね。意外。」

 「そうですよ。」

 トゥーさんは笑って返事をした。

 「ちょっと、みぃちゃん、だめだよそんな言い方しちゃ。トゥーさんに謝って。」

 ぼくは慌ててそう言ったんだけれど、トゥーさんが笑って、まあいいですからと言うのだった。

 彼は本当にとても温かい青年だった。前世のぼくもこんな風になりたかったな。人格者ってどうやったらなれるのかな。

 そんなことをぼくが考え込んでいると、

 「あっ、この象の神様の下。ほら、これ。ネズミじゃない。そうだよ、おっきなネズミだよ。ネズミもいるのねぇ。」

  と言うみぃちゃんの元気な声がした。

 「ああ、そうですね。このガネーシャ神が乗っている乗り物はネズミですね。よくみつけましたね、みぃちゃんさん。」

 トゥーさんは手を叩いて、みぃちゃんをほめた。えへへと照れて、みぃちゃんは右手で髪を撫でた。

 「ハムスターの神様がいてもおかしくないんだね。あのね、トゥーさん。この前ね、不思議なことがあったの。誰かの願い事をハムスターの神様が笑ってたの。それをぼくたち見たんだ。それでさ、みぃちゃんが、神様にまでいじめられるんだあー、って。天国にいってもいじめられるんだあー、って。とっても悲しんで。悲しい悲しいって。」

 ぼくがそこまで話すと、トゥーさんが、

 「大丈夫ですよ。神様がいじめるわけありません。それに大切な願い事を笑うなんて考えられませんよ。きっと、そのハムスター神様は見習いの神様だったんですよ。見習いなら間違いも失敗も多いですからね。きっと今ごろ、偉いハムスター神様におしかりを受けているでしょう。」

 そう言って、ぼくたちの肩をぽんっとタッチするのだった。

 「うん。」

 と小さく言ったみぃちゃんはうれし泣きのような顔で一つぶだけ涙を頬に伝わせていた。

 ぼくはトゥーさんの言葉とみぃちゃんの不思議と穏やかな泣き顔に安心して、とてもリラックスした気分になった。トゥーさんの親切はみぃちゃんの心も治していくようだった。

 「トゥーさんはほんとっ、ものすごいガイドさんだね。」

 「そんなこと、ありませんよ。ほんとひどいガイドですよ。夜の寺院を歩き回ったりね。」

 ぼくが言うとトゥーさんはそんな冗談のようなことを話して笑うのだった。

 ふと、空を見上げるとたくさんの星がひらひらと輝いていた。キャンボディア国でみる星も、みぃちゃん家ちで見た星のように悲しい光を瞬またたかせていた。

 ぼくたちの地球ほしはあの一つ一つのように小さくて儚はかないんだ。

 だけど、星と星と違って、国と国は近いから、こうやって同じ星空が見られたんだ。こうやって温かい異国の青年に会うことができたんだ。ぼくはそれがうれしくてうれしくて、少し星たちに謝ったのだった。

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