37話 みぃちゃんとパラレルワールド
「ふむふむ、仕事ができる人間になりますように、か。ほう、人間もおかしなことをお祈りするもんですな。」
白い雲の上、淡あわい光に包まれたハムスターがつぶやいている。
「はーん。仕事ができる人間になれますようにってか。おいおい、たまさん、そりゃ、おもしろいじゃねえか。さっそく、これは他の神さまに教えてやらないとな。」
そう言うと、隣で聞いていたもう一匹の光るハムスターが走っていった。とっとことー。
ここはどこだろうか。薄青い光が照らす白い大地に二匹の光り輝くハムスターが立っている。二本足で。
「み、みぃちゃん。ここはいったい。いったい、どこなの。」
ワームホールを通って出てきた先は見たこともない広いふわふわの綿雲が広がる明るい世界だったのだ。
「うーん、よくわからないけど、あれかな、天国?」
「て、て、て、て、て、天国うぅぅ。」
驚いたぼくは大声を出した。
「ハルくん、しっー。気づかれちゃうよ。とりあえず、天国には死んでから来るとして、今日は帰ろう。」
みぃちゃんはそう言うと、すぐさまワームホールの方へ引き返した。すると、
「おっ、新入りかい?な、ちょっとこれ、見てくれよ、この護ご・摩ま・木ぎ。『仕事ができる人間になれますように』だってよ。笑っちゃうよな。もう俺たち神さま仲間の間で噂が広まって、笑いがとまらんのよ。」
そう言って大声で笑って二本足で歩く変なハムスターがぼくたちに話しかけてきた。
みぃちゃんはそのハムスターをチラッと見て、
「はあ、まあ、人生いろいろありますからね。」
とかなんとか言って、ワームホールに入っていった。
「というわけなんで、さよなら、さよならっ。」
ぼくもあわててそう言って、みぃちゃんに続いた。
ぐよんぐよんぐよん
「やばやばやば、ゃばいよ、ハルくん。あれ、天国だよ。ハムスターの神さまだよ。護摩木、持ってたよ。」
みぃちゃんはそう言うと、パネルを操作してワームホールの出口を閉じたみたいだった。いったい、今見てきたのは何だったのか、いったいなにがヤバイのか、ぼくにはさっぱりわからなかった。
「だけど、護摩木のお祈りを笑う神様がいるなんて、みいこ悲しい。みいこは天国に行ってもいじめられるのかな。」
みぃちゃんふそう言って、少し落ち込んでいた。
ぼくは慰なぐさめようと思った時、パッとみぃちゃんは顔を上げた。
「そっか、天国ってあんな感じなのね。それなら仕方ないわ。おもしろそうだし。でも、ハムスターしかいなかったね。ハルくん。」
「うん。ハムスターの世界の神様かな。あれだよ、パラレルワールドだよ。みぃちゃんがワームホールを適当に触るから、時空の歪みが発生して、変なところに出ちゃったんだよ。変なところの神様だからお祈りを笑うのかも。ても、ほんとに、みぃちゃん、もう勝手にワームホールを触っちゃだめだよ。」
ぼくはみぃちゃんに念を押して、そして、部屋に帰ろうときびすを返した。
「うんうん、わかった、わかった。今度からはちゃんとやるわね。まーかせて。」
そう言ったみぃちゃんはさっそく、壁面の操作パネルを呼び出して、ボタンを押し始めた。
「あっー、何も聞いてないじゃんかあ。みぃちゃんのばか。」
「ばかじゃないわよ。かいこいの。私は賢いひきこもり少女なの。根拠はないけど。」
振り返ってみぃちゃんはそう言った。
ポチポチポチとみぃちゃんが操作パネルを触っていると、小さな液晶画面に文字が浮かんできた。
「シー、エー、エム、うーん、読めないけどどこかにつながったみたいよ。さっそく行ってみよう。」
「う、うん。」
ぐよんぐよんぐよん
びょん、とぼくたちはワームホールから飛び出た。
「うー、みぃちゃん。ぼく、もう、酔っ払ってきちゃったよ。ワームホールって、とってもぐよぐよしているんだもの。」
そう言ってぼくはワームホールの出口でふらふらしていた。だけど、そんなぼくを放って、みぃちゃんは辺りを探索しはじめたのだった。
「うーん、また洞窟の中かしら。薄暗いわねー。」
また洞窟か。ケイロン人はどうして、洞窟が好きなんだろうな。もぐらが祖先なのかな。
「みぃちゃん、待ってよ、怖いんだから。」
ぼくはみぃちゃんに走りよって、後ろからみぃちゃんの手首を握って呼び止めた。
「もう、またなの。怖がりなんだからっ。」
みぃちゃんはそう言って、僕の手を握った。言葉は冷たいのに、ぼくの手をしっかりと握ったみぃちゃんの手は少し暖かくて、ぼくはなんだか、ほっとしたのだった。
「あっ、見て、あそこになにかあるよ。」
ぼくたち二人がゆっくり歩いていたら、みぃちゃんが何かを見つけた。歩みを早めてぼくたちは何かに近づく。
そのなにかはとても大きな何かで、ぼくたち二人はそっと触れてみた。
「すべすべだよ。それに少し冷たい。気持ちいいね。色は茶色ね。なんだろう。床から天井まであるよ。」
「うん、ひんやりしてすべすべだね。でもこれ、石の柱に引っ付いてるよ。」
「ほんとだ。石の柱に絡まってるみたい。」
「そっか、ぼく、これ見たことあるよ。タ・プロームっていうんだよ。木の根っこで、成長しながら柱に巻き付いていったんだ。」
「へー、柱に木の根っこ。ハルくんは結構物知りなんだね。あっ、そうだ、タ・プロームって、みいこにひっついてるハルくんみたいだね。」
みぃちゃんはそう言ってぼくに微笑ほほえむ。ふわふわしたみぃちゃんの笑顔にドキッとしたぼくはとっさに下を向いた。
「どうしたの、ハルくん。」
「な、なんでもないよ。それより、ここは地下みたいだから階段を探して地上に出ようよ。暗いし狭いし。」
ぼくはそう言って、みぃちゃんの手を握り返して歩きだした。
歩いていると、周りが石の壁でできていて、床も石でできていて、天井も石でできていて、ずいぶん昔に作られたものだとぼくは感じた。あちらこちらで壁の一部が崩れているんだけど、壁全体は強固に造られているみたいだ。
「ねぇ、ハルくん、これ見て、壁に何か書いてあるよ。」
みぃちゃんに言われて、ぼくは天井の隙間から漏れる灯りを頼りに壁に顔を近づけた。
「ほんとだね。なんだかたくさんの人が……。あっ、これは彫ほっているんだね。壁を彫って、絵を描いてるんだ。」
「ほぇー、すごいのね。壁全体にたくさんの人と猿の顔した人が彫られてる。あっ、みんなの担かついだ板の上に乗っている人もいるよ。これは偉い人だね。だけど……、どうせみいこには縁のない人だよね。」
みぃちゃんは急に拗すねたけれど、いつものことなので気にしないで、ぼくらは前に進んだ。
しばらく歩くと、木でできた梯子はしごがあった。ぼくが先に登り、みぃちゃんがあとに続く。パンツが見えちゃうから先に登って、ってみぃちゃんは言ったけれど、そもそもみぃちゃんはスカートを履いていない。
きっと、この腐りかけた梯子が怖くて、ぼくを先に登らせたのだ。やっぱり長女は侮あなどれないなとぼくはひっそり笑ったのだった。
「やったー、ハルくん。明るいじゃん。私みたいに明るいじゃん。」
みぃちゃんのどこが明るいのかはまた今度聞くことにして、ぼくたちは建物から外にでた。
そこは辺り一面背の高い木々に囲まれていて、その木々と建物の間には池のような大きな堀がぐるりと設もうけられていた。
「おっ、おっ、おっ王都寺院おうとじいんだあ。ほら、知ってる?あの、キャンボディアの王都寺院だよ。世界遺産のっ。すっごーいっね。」
みぃちゃんは興奮して、両腕をバタバタ上下に動かしている。
「みぃちゃん、良かったね。来たかったんだね、ここに。」
「ううん。べつに。」
「そ、そう。なの。」
みぃちゃんとまともに話そうと思ったぼくが間違いだったのだ。
「さっ、キャンボディアの探検しようよ。」
「探検って、外国だから危ないよ。言葉もわからないし、食べ物も買えないから、すぐ帰らないと。」
「何言ってるのよ、大丈夫だよ。ほら、観光客の人がたくさんいるよ。日の国の人もいるかもよ。それに、王都寺院、じっくりみたいじゃん。あれだよ、スーラヤヴァルマン二世だよ。すごいんだよ。地球をかき混ぜたんだよ。」
みぃちゃんは興奮して一息に喋しゃべった。
「地球をかき混ぜたのは神様で、スーラヤヴァルマンって人は王さまじゃなかったかなあ。」
ぼくは小さく呟つぶやいたけれど、みぃちゃんには聞こえなかったみたい。
キャンボディアの大地は暖かくて、空はとても明るくて気持ちがいい。ぼくとみぃちゃんは土の上を歩いたり、寺院の外側や中庭や石造りの通路を歩いたりした。
「いっぱい歩いたね。」
みぃちゃんはそう言って、寺院からずいぶん離れたところにある大きな木の幹にもたれ掛かった。
「ねえ、みぃちゃん。外国って楽しいね。」
ぼくはその木から横に延びる太い太い枝をジャンプして掴み、ぶら下がった。
「あっ、なにそれ、良いじゃん。私もやる。」
みぃちゃんはそう言うと、ぼくの隣に立って、跳び上がった。
「やった、これで私たち木になれたね。」
「そ、そうだね。」
ぼくは意味がわからないけれど同意した。
「ねえ、ハルくん。どうして前歯二本が大きい人はとてもエネルギッシュで社会で活躍するような人になるんだろうね。わたし、前から不思議だったの。前歯二本が大きい人はそういう人が多いもの。もしかして、前歯の遺伝子とエネルギーの遺伝子が同じなのかも。人間の遺伝子に隠されているネズミの遺伝子が強く出ると、ネズミのように前歯二本が大きくなって、ネズミのように活発で活動的になるということなのかも。ねえ、どう思う、ハルくん。」
ぼくたちはぶら下がったまま会話を続けた。
「う、うん。そうかもね。ハムスターはいつも動き回っているものね。だけど、みぃちゃんはひきこもりでいつも家にいて動き回らないから、うらやましいんだね。活発な人が」
「うん、そうなの。うらやましいの。活発になりたいの。大きな前歯もかわいいし。ハムスターの神様、いたでしょ、それでなんだかそんなこと考えちゃって。」
そんな会話をしながら、ぼくたちはキャンボディアの夕日をずっと眺ながめていたのだった。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?