第31話 みぃちゃんと脱走ハムスター

 「おやすみ、みぃちゃん。」

 「おやすみぃこ。みいこだけに。」

 そう言うとすぐに、みぃちゃんは寝てしまった。

 食堂でご飯を食べた後、ぼくたちは蟻の巣みたいに要り組んだ洞窟内をガイアスに案内されて、この部屋で寝ることになった。みぃちゃんと二人きりで。

 みぃちゃんはかわいいなあ。ぼくは隣のベッドのみぃちゃんの寝顔を見つめて、今日あったことを思い出していた。

 そういえば洞窟内をここまで来る途中で、湖面のようなものが見えた。あれはなんだったんだろう。そんなことをぼっーと考えているうちにぼくは眠った。

 「みぃちゃん、どんじゃら。むにゃむにゃ。」



 「トマトッー。」

 みぃちゃんの大声でぼくは起きた。ハムスターのトマトがいなくなったのだと言う。

 「大変よ。トマトがいないの。」

 みぃちゃんはそう言ったあと、空になったハムスターゲージをあとにして、洞窟の中を走って探し始めた。ぼくもみぃちゃんの後ろを追いかける。食堂の隅とか、廊下の柱の隙間とかをのぞいたけれど、どこにもいない。それでも、洞窟内部をみぃちゃんは走り、ぼくは追いかける。

 その途中、あの地底湖を見た。水面が光を反射して青く光っている。底はとっても深そうだ。それはそれはものすごい景色だったけど、みぃちゃんはトマトのことばかり心配していてそれどころじゃなかったみたい。一瞥して、また走る。

 「どこにもいない。トマト。トマト。」

 みぃちゃんはとっても悲しそうにそうつぶやく。「とってもとっても悲しい。」、という声が聞こえてくるようだ。それも当然なのだ。だって、トマトはみぃちゃんの唯一の友達だから。えっ、ぼく。ぼくはみぃちゃんの友達じゃないよ。ご近所さんだよ。


 「みいこたちは何をしているんだ。」

 通路の向こう側から、そんな二人の様子を眺めていたガイアスがいじめっ子のファシルに話しかけた。

 「さあ、トマトがないとか。パスタを作りたいとか。」

 ファシルは興味もないのか、適当に答える。

 「食堂にトマトくらいあるぞ。あんなに慌ててどうしたんだ。もしや、またなにか意地悪したんじゃないだろうな、ファシル。」

 ガイアスがファシルをとがめるように言うと、ファシルはとんでもないという身ぶりで答えた。

 「そんなことしないよ、ガイアス。人聞きが悪いなー。だいたい、意地悪するのはネッラの方さ。じゃあね、ガイアス。いこうぜ、みんな。」

 そう言ってファシルとその仲間たちはみいこたちのいる方とは反対方向に歩いていった。



 「みいこ、トマトなら調理場にあるだろう。」

 ガイアスがみいこのそばに来てそう言う。

 「えっ、ほんと、ありがとうガイちゃん。」

 と言うやいなや、みぃちゃんはお礼を言う間も惜しむように走り出した。

 洞窟内をすごい勢いで縦横無尽に走るみぃちゃんはなんだかハムスターみたいだ。元気いっぱいでかわいいな。もしかして、みぃちゃんもハムスターなのかな。ハムスターの生まれ変わり、なのかな。


 「居ないじゃん。トマト。あの三角ペイントの嘘つき。」

 みぃちゃんがまた失礼な呼び方をしている。

 トマトが見つからないじれったさでみぃちゃんの口が悪くなってきたのかも。いや、もしかして、これはひきこもりの副作用なのかな。やっぱり、中学には行っ、

 「二人とも、外に来いよ。すごいものが見られるぜ。」

 ぼくがお決まりのセリフを思い浮かべようとしていたその時、ネッラが走ってきたのだ。

 そして、ネッラは興奮ぎみに、両手をバタバタ振りながら続ける。

 「戦車とか飛行機とか、機動隊とか、たくさん集まってるんだ。なんでも、日の国の軍隊らしい。今、龍師隊のみんなもあわてて洞窟の外に出ていったんだぜ。」

 みぃちゃんとぼくは驚いて言葉もでない。そんなぼくたちを見て、ネッラは上気させた顔でみぃちゃんの手をとって促した。

 「早く見に行こうぜ。」

 ネッラはなんだか嬉しそうだ。

 「うん、行く。ハルくんも行こう。」

 みぃちゃんまで嬉しそうだ。トマトのことはどうするんだよ。

 「トマトはいいの?」

 「いいのいいの。ハムスターなんだから隅っこで上手に隠れてるよ。心配いらないわ。行こう、ネッラ。」

 さっきと言ってることが、全っ然っ、違うっ。ぼくはみぃちゃんとネッラの後ろ姿を追いながら、トマトと自分を不憫に思っていた。



 「ケイロンの民よ。おとなしく、我々に協力しなさい。この地球は今、宇宙線に汚染され、我々も君たちもただでは済まされない。だが、ケイロンの龍と長老と我々の科学技術があれば宇宙線の影響を押さえることができるのだ。今、我々に協力するならば、君たちケイロン人に日の国の市民権を与えてもいい。」

 スピーカーで増幅された声が山全体に響き渡る。時おり、その声が山にこだまし、いくつも重なって聞こえてきた。

 ケイロンのみんなが外に集まってその声を聞いている。そのなかでも、なめした革でできた前掛けとブーツを履いた屈強そうなケイロン人たちの一団が今にも麓へ向かって飛び掛かりそうにしていた。そのなかにガイアスがいるのも見えた。

 「あれが龍師隊さ。いつも夜はあの戦闘服は脱いでいるのに、昨晩から今朝までずっと着ていたんだぜ。」

 ネッラがぼくの視線を追って教えてくれる。

 ビュンッ、と音がした。ぼくらの頭上を黒い三角のステルス機が横切るのが見えた。


 「ねぇ、あの人、大統領だよ。」

 みぃちゃんがスピーカーの声がする方を指して言う。見ると、みぃちゃんはどこからかぼくの持ってきた双眼鏡を出してきて山の麓を眺めている。

 「大統領って、足我部(あしかべ)大統領?」

 「うん。そうそう、テレビで見たことあるもん。間違いないよ。刺すような声もそっくりだし。」

 大統領がもうここに来るなんて。確かに昨日みぃちゃんのお父さんがそんなようなことを言っていたけれど。

 ぼくはみぃちゃんから双眼鏡を借りて、下を見た。

 そこには戦車が列をなしていた。それは緑色と黄土色の迷彩装甲で、タイヤが八輪もついている。速そうだ。

 その戦車の周囲には小銃を持った軍の歩兵がとり囲み、辺りを睨んでいる。そして、大統領の前方には機動隊の一団が透明の盾を構えて並んでいる。ネッラの言うとおりだ。軍隊も機動隊もいる。

 近くの低空を戦闘ヘリや報道ヘリが飛んでいて、プロペラの音がどぅるるるるるると、騒がしい。ぼくは双眼鏡から目を離した。


 「ケイロンの長老、私は月山荘(つきやまのしょう)を統治していた領主、月山基鳴(つきやまのもとなり)の子孫です。月山基(つきやまはじめ)といいます。八百年前、私の祖先たちがあなたたちにしたことを許せないのは知っています。しかし、今は」

 「ドゴォーーーン」

 爆音と共に地面が震えた。僕たちのいるところから数十メートル下の斜面にあった灌木が、戦車の砲撃で吹き飛んだのだ。

 みぃちゃんのお父さんは何を言おうとしていたのだろう。いったい昔、何があったんだろう。


 「大統領、なんてことを。これでは宇宙線を浄化するすべを失ってしまいますよっ。」

 あわてた月山が大統領に駆け寄る。怒りもあらわだ。

 「月山よ。貴様はいったいどっちの味方なのだ。だいたい、お前は甘いのだ。それだから、昨日も奴等にいいようにされて帰ってきたんだろう。今だってやつらはなんの返答もよこさん。おそらく、あの宇宙線はあいつらが撒いたのだ。我々への宣戦布告なんだ。やつらを滅ぼして地球もこの国も綺麗にしなければ私の大統領としての職責が果たせん。」

 足我部はそう言うと月山からマイクを奪った。

 「おい、ケイロン人。この山は月山市が所有権を有する土地だ。境界消失前ならともかく、境界を失った今。貴様たちは不法占拠状態にある。即時明け渡しなさい。命令に従わないのならばお前たちは全員、滅びることになるぞ。」

 足我部大統領の声がケイロン人たちの住む山に轟いたとき、ガイアスたち龍師隊は洞窟と外を往復していた。

 「長老、龍が全員、昏睡させられています。何者かが忍び込んで龍たちに強い薬か香を嗅がせたのでしょう。ともかく今、我々は無防備です。」

 ガイアスがあわてた様子で報告する。

 「なに、まさか。それではまるで八百年前と同じではないか。地球人め、また卑怯な手を使うのか。」

 長老アセンはそこまで言うと、うつむいた。黙りこんだ長老を見てガイアスがあとを続ける。

 「長老、こんなことができるのは月山荘の忍びの者だけです。今もまだ、奴等がいるというのですか。」

 ガイアスは長老に食って掛かるも、長老は返事をせずに考え込んでいる。

 「長老、私が月山と話してきます。」

 「待て、ガイアス。みいこを呼んでくれ。」

 「みいこを。なぜ、月山の娘だからですか。」

 「そんなところだ。」 

 その間、麓でも言い争いが起きていた。

 「大統領は本気で戦争をするつもりなんですか。長老の力が必要なのは大統領も十分ご承知のはずでしょう。どうか、話し合いの場を持ってください。」

 みいこの父が説得するも、大統領は大隊の大佐に戦闘指揮をとりはじめた。

 「大佐、龍の方はうまくいったのか。」

 制服の左胸に勲章をいくつもつけた初老の大佐に足我部が聞くと、その大佐は妙にかしこまって答える。

 「はっ。月山荘の武士の末裔からの報告では全ての龍を昏睡状態にしたと聞いております。」

 つきやまはじめが目を見開く。

 「なんですと、月山荘の人間がこの作戦に協力しているなんて私は聞いていない。私は交渉のためについてきただけです。」

 「ふふっ、月山荘も一枚岩ではないようだな、月山よ。」

 大統領は月山基を見下すようにわらった。そして、全軍に突撃体制に入るよう命令した。

 


 「長老さん、私に用って、なーに?」

 みぃちゃんがガイアスに呼ばれて、ぼくとみぃちゃんはガイアスと一緒に長老のそばに来た。

 「ふむ。みいこよ。ハムスターは一緒か?」

 「えっ?トマト。うーん、玄関のあしもとにでも隠れてるのかなー。いなくなっちゃったの。今日起きたら、いなかったの。脱走ハムスターよ。」

 みぃちゃんはふざけてるみたいに答える。

 「なんと、そうか。まあ、よい。みいこよ、私たちと一緒に彼ら日の国の民と戦えるか?」

 長老はそんな馬鹿馬鹿しいことを真面目くさって話す。

 「いいよ。」

 と、みぃちゃんはあっさり答えた。

 「えぇーーー。みぃちゃん、みぃちゃん。日の国と戦うの?お父さんもいるんだよ。それに、ケイロン人はこの山を不法占拠しているんだよ。みぃちゃんのお父さんもその事で話し合いたいって言ってたし。ケイロン人も話し合うべきだよ。お父さんと戦いたくないでしょ、みぃちゃん。」

 ぼくはこの国で戦争が起きるなんて嫌で、みぃちゃんが心配で、必死で話した。

 「お父さんと戦いたくはないけど。だけど、だけど、いやよ。私はいそうろうの味方よ。だって、ひきこもりの私が居候の味方をしないで、誰が居候の味方になるって言うの。でしょ。だいたいね、はるくん。地球人が私たちの敵なのよ。私をひきこもりにした地球に日の国に復讐してやるっ。」 

 そう言ってみぃちゃんは拳を頭上へ上げて、嬉しそうに笑った。マイケル・コリンズやチェ・ゲバラになったつもりなのだろうか。とっても心配だ。

 その場の高揚感からくる興奮のあまりか、みぃちゃんはおかしなことを言っているけれど、それがみぃちゃんだから仕方がない。だけど、ぼくはその時、やっぱり中学校には行こうと固く決意したのだった。

 「ちょっと、はるくん。今、私を見ながら、中学校には行こう、とかって考えてたんじゃないでしょうね。学校なんてね、私の頭を良くすることなんてできなかったんだから、私が馬鹿なのと中学校に行かないことはなにも関係ないんだからね。因果関係ゼロなんだからね。私は悪くないんだからね。」

 みぃちゃんがぼくにせまってくる。

 「わかったよー。みぃちゃんは中学校に行かない。ぼくは小学校に行かない。それで二人でいつも一緒。」

 降参だ。

 「わかってんじゃん。さすが、はるくんだね。」

 そう言って、みぃちゃんがぼくを抱きすくめた。

 「こほんっ、こほん。お取り込み中悪いんだがの、みいこ、ハムスターは私が今ここに呼んだ。」

 みると、長老の手にトマトがいる。

 「おーーー。トマトー。かわいいねーーー。よしよしよしよしよち。」

 みぃちゃんは長老からトマトをすくい取り、トマトの頭を指でなでなでして笑っている。


 「トマトよ、お前の使命を果たせ。」

 突如、長老がそう唱えて、トマトの上に片手をかざした。

 みぃちゃんの手の上でぐんぐんとトマトが大きくなっていく。ぐんぐんとまとだ。ぐんぐんぐんぐん。ぐんぐんぐんぐん。

 「わーー、きゃーーー。」

 みぃちゃんが驚いて、トマトを手から落としてしまった。足下に落ちたトマトは地面に転がったまま、ますます大きくなっていく。

 「翼が生えてるー。」

 みぃちゃんが叫ぶ。

 見るとトマトの背中から二つの翼が生えてきている。

 ぼくたちの足下でぐんぐんと大きくなるトマト。ぐんぐんとまと。長老とガイアスとみぃちゃんとぼくはいつの間にか、大きくなるトマトのその背中に乗っていた。

 まもなくしてトマトの巨大化は止まった。それはどのくらいの大きさだろうか。あのガイアスの龍より大きいのではないだろうか。

 気付いたときにはその巨大な翼と体を持つハムスターの背中に乗って、ぼくたち四人は空を飛んでいたのだった。

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