39話 みぃちゃんと王都寺院の赤い空
「ほら、この階段を降りて進んだ先に洞窟へ繋つながるワームホールがあるのよ。」
みぃちゃんはトゥーにそう言うと、階段を降り始めた。
「ワームホール、ですか。ワームホールって、あのワームホールですか。」
トゥーは進もうとせずに突っ立ったまま、驚いたように言う。
「そうよ。ワームホールよ。……。あの、ワームホールよ。それがどうかしたの。」
みぃちゃんが振り返り言った。
「どうかしたの、ですって。そんな、ワームホールが地球上に存在するわけないじゃないですか。そんなものがここにあったら、寺院も木も森もなにもかも吸いとってしまうじゃないですか。キャンボディアも地球もなくなっちゃいますよ。」
トゥーは何をおかしなことを言うんだという顔をして、信じられないという仕草をキャンボディア風にやって見せた。たぶん。
「えっー、そうなの!だけど……。でも大丈夫みたいだよ。ぼくたち吸い込まれたりしなかったもの。」
ぼくはトゥーを安心させたいかのように言った。でも内心ぼくも、少しビックリしていた。もしかして、ワームホールを使っている、あのケイロン人たちの技術力って、とってもすごいのかな。
そんな話をしたあと、ぼくたちは階段を降りていった。
「ほら、これよ。ワームホール。どお。ねっ、ちゃんと、あるでしょ。吸い込まれたりしないし。ふふふ、わたしの勝ちね。」
みぃちゃんはそう言って上を向いて笑った。みぃちゃんの負けず嫌い癖ぐせがでたみたい。
「ほわー。これは、ほんとに、確かに、ブラックホールですねえ。信じられません。ワームホールが地球上にあるだなんて。見たところ周辺に時空の歪みもないし、吸い込まれもしないし。こんな安定したワームホールが地球上に。しかも環境にまったく影響を与えずに存在しているなんて。とても信じられません。」
トムは大変驚いているみたいだ。今まで、ぼくたちは気安くこれを使っていたけれど、これってやっぱり、とっーてもすごいものなのかもっ。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴーーー。
ぼくが感心していた時、不気味な地鳴りが地下道の壁と天上と足下から伝わり、ぼくたちを押しつぶすかのように鳴り轟とどろいたのだった。
「きゃあー!今のなにぃ。」
「わかりません。でも、一度地上に出て確認しましょう。」
「うん、それがいいよ。」
トゥーが走って地上に向かう。
「みぃちゃん、行こう。」
ぼくはみぃちゃんの手を取って、地下の暗く乾いた道を走った。
ぼくたちより早く地下階段の出口に来たトゥーが外に出ようとした瞬間、彼は半身をひるがえし石柱の影に隠れた。
「はあ、はあ、はあ。トゥーさん、どうしたの。」
追い付いたぼくが声をかけると、トゥーさんはぼくたちに伏せるようにと手で示した。
その時。外の風景をわずかにぼくの目がとらえた。月明かりの中に、戸惑いなから必死に走る人々がはっきりと見えたのだった。彼らはキャンボディア人だった。たぶん王都寺院の敷地内で観光客相手の露店を出している人たちだ。屋台を引いて走る人影もあったから。
空を見ると悠然ゆうぜんと飛び回るコンドルが見えた。かっこいいなあ。ぼくは一瞬そらに見とれた。
そして、みぃちゃんに言った。
「どうしたんだろう。みんな。」
「わかんな、」
みぃちゃんの答えた声が、轟音ごうおんにかき消された。
ド、ドドド、ドド、ドドドドドドー。
キャンボディア人たちが走る少し後ろから、何かの砂ぼこりが上がる。
「ハニャヌ、ホンニキャニフ。ノアッヤ!!!!」
トゥーさんが突然大声で叫んだ。それはキャンボディア語みたいで、ぼくたちには何を言っているかわからなかった。だけど、トゥーさんの表情はとてもとても悲痛なものだった。
ぼくはトゥーさんから目を離し、キャンボディア人たちの方をよく見た。すると、何人か地面に倒れている人がいる。それはしかし、ただ倒れているだけではなかったのだ。
後になって、ぼくは知ったのだった。この時、キャンボディアの広い大地の空には西のライス国と東のツュ国、その他数多の国からなるランツュ連合軍が来襲していたのだった。そして王都寺院の上空にも最新鋭のステルス攻撃機が飛び交っていた。
ぼくが見たコンドルはコンドルだったのか、攻撃機だったのか、わからなかった。
各国から飛んできた黒く光る翼はキャンボディアの大地に、貴重な遺跡群の壊れることになんの躊躇もないかのように、無数のナパーム弾を叩きつけていたのだ。
「みぃーちゃーん!?」
トゥーさんの悲鳴に呼び寄せられるようにみぃちゃんはトゥーさんに駆け寄っていた。ぼくが呼んでもみぃちゃんは振り向かない。
視線の先には突然の悲劇に思考力を失ったトゥーさんが機銃の打ち付ける大地の中に走り出していくのが見えた。そして、みぃちゃんもそれを追って行ったのだった。
「みぃちゃーん、トゥーさーん、そっちは危ないよおー。戻ってきてー。」
二人を呼び止めようと絞り出したぼくの大声は周辺に打ち付けられるナパーム弾のその鳴りやむことのない爆撃音にかき消されていた。
ぼくの目の前で寺院を囲む森の木が大地が燃えていた。夜の闇を照らすその赤い光はぼくをひどく渇いた気持ちにさせたのだった。
ネッラは日課のように、今日もまたケイロン洞窟のある山の上を歩いていた。日は高く昇り、少し冷たい風の中にもほのかに若芽の香りがする、そんな日だった。
「ふぅ。そろそろ休むとするか。洞窟を出発してから二時間くらいたったかな。」
ネッラは時計を見ながら呟つぶやいた。もう昼の三時だった。ふと空を見上げる。雲はほとんどない。
今日は朝からおかしなことが多かった。日の国の民が各地からケイロンの洞窟へと移住してきたのだ。北から南まで日の国中から、ふるさとを捨ててケイロン人の元で生きようとやってきたのだ。
「いったい、何が起こっているんだぜ。」
ネッラは不思議な気持ちだった。隠れ住んでいた自分たちケイロンの元に人々が集まってくるのだ。無理もない。
だが、日の国の人々にとってそれは賢明な判断だった。宇宙線にさらされたこの地球上で人類が暮らすにはここケイロンに頼る他なかったのだから。
「ユートピアを作ろうと俺はずっと色々考えていたが、日の国の人たちにとっちゃあ、どうやらここがもうユートピアらしいな。」
モゴモゴと独り言を言うとネッラは辺りを見回した。
いくつかの龍が飛翔ひしょうし、今はケイロンの統治下となった月山市つきやましの警戒にあたっている。
あの日以来、日の国からの攻撃はぱったりとやんだ。また元の穏やかな日々を取り戻したと思った。が、代わりに日の国の軍部の弱体化に託かこつけてか、どこか他の国の哨戒機が飛ぶのを見ることがとても多くなっていたのだった。
「どくどくしいこったねえ。」
ネッラはあきれたように言うと、空から視線を落とし、目を瞑つむる。
まどろむ頭の中で、不意に声がした。
「ネッラ、みいこたちを知らない?朝から姿が見えないのよ。」
少し眠っていたネッラは頭がはっきりするまで少し時間がかかり、目をしょぼしょぼしていた。
見上げると、センディ姉が慌てたようにネッラの返事を待っている。
センディはネッラより年上の美人さんだ。頭も良いのか、ネッラの執拗しつようなアプローチもさらっとかわして、飄々《ひょうひょう》としている。ある意味女ネッラだ。
「みぃちゃんたちかい。さあね。知らないけどさ。二人ともふらふらするのが性分しょうぶんなんだ。二人みたいにさ、人間ってのは治らないものを抱えて生きていくのさ。俺もみいこもハルも放浪して生きていく運命だ。この星みたいに。」
ネッラはそう言うと立ち上がり、
「センディ姉も俺とふらふら遊びに行こうぜ。」
とセンディに言ったのだった。
「はっ、何言ってんの。私があんたなんかと遊ぶほど暇なわけないじゃない。ダンゴムシと戯たわむれてるほうがまだマシよっ。」
ふんっと、センディはネッラを見おろした。気まずいのかネッラは笑ってごまかす。
ぎこちなく笑ったそこネッラの顔はこころなしか泣いているように見えた。
言いすぎたかな、とセンディは少し戸惑い、ネッラの手を取った。
「そんなことより、二人を探しに行くよ。ほら、あんたも手伝って。」
とネッラを引っ張っていった。
二人を包つつむ空はすでに赤く染まり、闇の来襲を感じさせたのだった。
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