第26話 みぃちゃんと風

「みぃちゃん、風が気持ちいいね。」

 龍の背の上で僕の体はとても強い風を受けていた。みぃちゃんも隣で肩まである髪をなびかせている。太陽の強い光が反射してみぃちゃんの髪はきらきらしている。さっと吹いた風を顔で受けてみぃちゃんが微笑む。その横顔には僕が初めて見る輝きがあった。

 「はるくん、なに見てるの。あっ、髪に何かついてる?」

 ばさばさっとみぃちゃんは右手で髪を払った。髪が波のようにふわっと広がる。

 「私、龍ってね神社で見たことあるよ。手を洗うところとか、境内の屋根の正面とか。そういうのと、この子って似てるよね。」

 みぃちゃんは両手で龍の鱗をぽんっぽんって叩く。

 「それに、私が見た中で一番大きかった龍は表面に銅かなにかが塗られてて光沢があるの。お髭も二つびよーんってあって、口がぐわって開いてたの。」

 みぃちゃんが口を大きく開けて「ぐわっ」ってする。僕はそれを見て笑った。みぃちゃんもあははっと笑った。そして僕たちは眼下の緑の山々を眺めていた。


 「きゃっ」

 みぃちゃんの小さい悲鳴が聞こえてすぐ、僕たちは地面に向かって垂直に顔を向けていた。

 ぐいーんと龍が急降下する。僕とみぃちゃんは龍のするどい鱗をつかんで、

 「うわーーーーーー。」

 「きゃーーーーーーー。」

 と、二人で絶叫していた。もう吹き飛ばされそうだ。

 「ジェットコースターーー、みたいーーー。」

 隣でみぃちゃんがはしゃぐ。片手を上げて空中でぶんぶん振り回している。僕は半分目をつむりながら聞いた、

 「みぃちゃん、こわくないのーーー。わわわわわー。」

 「たのしいーーー。はゃひゃひゃひゃひゃ。」

 と、変な声で笑うみぃちゃん。僕はその時みぃちゃんが怖いもの知らずの引きこもりだと知った。もし僕がこのあと無事に地上に降りられたら、すぐにでもこのことをひきこもり文化研究家の歴史・民族学者の誰かに教えてあげなければと思った。きっと新発見だから。新種発見だから。

 僕はひどいブラックジョークを思い付いた自分を恥ながら必死に龍にしがみつく。

 その時僕たちの乗った龍は戦闘機の突進と機銃掃射をよけていたんだ。戦闘機は僕たちの乗った龍を執拗に追いかけてくる。

 機銃が僕たちの龍を捉えたその時、あの三角ペイントのおじさんの乗った龍が戦闘機の後ろに廻り込んだ。戦闘機の尾翼に接近するかというその瞬間、目にも見えない勢いで龍が大きく輪を描くように回転し、その腹と腹の間に戦闘機を巻き込んだ。

 そうして僕は戦闘機の残骸が、山の麓へバラバラと落ちていくのを見たのだった。

 気づいたときには他の戦闘機もいつの間にかいなくなっていた。追い返したのか、それとも全て粉々にされたのか、僕にはわからなかった。みぃちゃんも僕もただ目を見張ってそれを見ていた。

 しばらくののち、僕たちの乗った龍はゆっくりと地面に着地して、そのまま動かなくなった。立ち上がって足元を見ると、龍の体はすでに周りの景色と一体化している。

 「擬態だ。」

 「擬態って、あの葉っぱに見える虫のあれ?」

 「うん。龍が地面になってるんだ。」

 みぃちゃんも地面をまじまじと見て、スッとしゃがんで手で撫でる。

 「ほんと、土よ。鱗じゃない。」

 僕たちは目を見合わせた。

 みぃちゃんがうらやましそうな目をして言う。

 「私もこうやって、好きなときに地面になったり、葉っぱになったり、空を飛べたらいいのに。きっと楽しいよね。それに、嫌なことがあっても忘れられる。トマトもそう思うよね。」

 みぃちゃんと僕がトマトのゲージを見る。トマトはさっきまで硬直していたけれど、今はカラカラと回し車をまわしている。

 「だけど。空を飛んでも忘れられないこともあるのよね。宇宙線もあの戦闘機も。いったい何が起きてるの。昔も今も世界は悲しいことや恐ろしいことがいっぱいあって涙がでる。ぐすっ。」

 みぃちゃんが小さな涙を目に浮かべた。

 「みぃちゃん。」

 僕はみぃちゃんの手をとった。

 「人間の世界は犠牲も不幸も悲しみも、幸せも暴力も美しさもみんな一つなんだよ。苦しいけど、みんな一つなんだよ。」

 「ひとつ?」

 「うん、なにもかも、一つの星の営みなの。」

 「そう、はるくんは難しいこと言うのね。だけど、悲しいのは悲しいよ。暴力はいやだし、犠牲も悲しい。」

 「うん。そうだよね。僕も悲しい。」

 そう言って僕たちは宇宙線の漂う星の上で二人、手を繋いだまま空を見上げていた。風が二人の頬をなでた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?