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サッカー・アジアカップとマンサフ

AFC(アジアサッカー連盟)アジアカップ2023が1月中旬よりカタル・ドーハで開催され、日々熱戦が繰り広げられている。カタルでの開催、中東勢の活躍から、日本国内でも中東諸国に関心が向く機会となっていることだろう。大会は総当たりのグループステージが終わり、1月28日より決勝トーナメントに入っている。

そんな中、決勝トーナメント1回戦としてイラク対ヨルダンの一戦が1月29日に行われた。逆転に逆転を重ねる熱戦の末、ヨルダンが3対2でイラクを下した。ヨルダンからしてみれば、直近(2023年12月21日付)のFIFAランキングにおけるイラク63位、ヨルダン87位という評価を覆す、会心の勝利であったといえよう。ヨルダンにとっては2011年以来3度目の準々決勝進出となった(もう1回は2004年)。

ヨルダン政治研究に携わる筆者にとっては、思わぬところでヨルダンという語が日本のメディアに登場して嬉しくなる機会であった。さらに予想外のことに、この一戦ではヨルダンの伝統料理、マンサフに光が当たることとなった―ここでは少し、それについて書いてみたい。


マンサフの話に入る前に、なぜこの一戦でマンサフが脚光を浴びることとなったか、簡単に解説しておこう。

結果だけ見れば前述のようにきれいにまとめられるイラクvsヨルダンであったが、スポーツにはルールがあり、その判定がゲームを動かすことは少なくない、そのことを再確認させられる一戦でもあった。前半をイラク0-1ヨルダンで折り返した後半、イラクは67分にサアド・ナーティク・ナージーのヘディングで同点に追いつき、75分にエースストライカー、アイマン・フサインの一発で逆転に成功した。フサインはこれで今大会のゴール数を6に伸ばし、得点ランキングトップを走っている。

だが、フサインはこの得点時のゴールセレブレーションでイエローカードを受け、前半に既に1枚イエローカードを提示されていたことから、レッドカードで退場となってしまった。イラクは残りの時間、10人での戦いを強いられることとなり、これが後半アディショナルタイムでの逆転劇に大きな影響を与えたと考えられる。

フサインのゴールセレブレーションは芝生に座り、手を使って草を食べる仕草をする、というものであった(参考: beIN SPORTSのX投稿)。これだけ見るとその意味合いはよく分からないだろう―実はこの仕草は前半のヨルダンのゴール時のパフォーマンスを真似たものであったのである。ヨルダンは前半アディショナルタイムでのゴール後、5名の選手が座って輪を作り、何かを手で食べる仕草をしてゴールを祝ったのである。

このパフォーマンスはヨルダンの「伝統料理」、マンサフを食べる様子を模したものであった。マンサフは結婚式などお祝いごとで振舞われ、複数人で皿を囲んで食べるものであるから、ゴールセレブレーションにもぴったりであると言えよう。他方、敵チームであるフサインがこれを真似たことは、ヨルダンチームに対する挑発に値するとしてイエローカードとなった、というのが専らの見解である(例:1月29日付CNN記事 "Asian Cup: Jordan produces stunning late comeback to beat Iraq following red card controversy")。なお、イラクチームに気を遣ったか、ヨルダンのJordannewsの記事はゴールセレブレーションの内容にははっきりとは触れず、「過剰なセレブレーションと時間の浪費」をイエローカードの理由として挙げている。


前置きが長くなったが、本題に戻って、マンサフである。

前述のようにマンサフはヨルダンの伝統料理として有名であり、今日では広くヨルダンでお祝い料理として食べられている。薄いパンの上に炊いた米、さらにはヨーグルトで煮た羊肉が乗り、アーモンドや松の実が散りばめられた、豪華な料理である。さらに、上からヨーグルトソースをふんだんにかけ、非常に味わい深いものとなる。

アンマン市内のレストランでのマンサフ
(注:本稿掲載の写真は全て筆者撮影)

ここで使われるヨーグルトはジャミードと呼ばれる乾燥ヨーグルトで、独特な味わいである。言葉を選ばずに言えば、非常に癖が強く、日本人には食べ慣れない味である。筆者が初めてヨルダン・アンマンの観光客レストランでこれを食べた時は、独特の風味に目を白黒とさせたものであった。しかし2回目以降はこの味が癖になり、喜んで食べるようになった。人間不思議なものである。

観光客向けレストランでは椅子に座り、カトラリーを使って食べることができるが、前述のように、マンサフは手を使い、皿を囲んで食べるのが通例である。筆者がこれを初めて経験したのは現地で結婚式のパーティーに招いて頂いた時だった。こうやって右手で握って、口に運ぶんだよ、と教えて頂き、慣れない手つきで見よう見まねで食べてみたが、ちょうどよく丸めるための米・肉・ヨーグルトの比率がなかなか分からず、四苦八苦したものだった。そんな私の姿を見てみんな笑ってくれたからいいとしよう。

右手で器用に米を握る人々。
なお、皿の中央に羊のお頭が供されることもしばしばである。

結婚式のほかにも、選挙集会でマンサフが振舞われるのを目にしたこともある。多くの人が集まる場であり、客をもてなす場であると考えれば、自然な成り行きであろう。

なお、マンサフは手で食べるものであるから、当然手が汚れることとなる。したがって、結婚式や選挙集会などの大規模な場では、手洗い所も合わせて設営されていた。大人数の食事を用意するだけでも大変なのだが、このような追加の作業も必要となるのはロジ担当者の苦労がしのばれる。

会場の外に設けられた仮設手洗い場

マンサフがいかに今日の形態のヨルダン「伝統料理」となったのか、それがヨルダン国家とどのような関係を持っているのかといった主題から、優れた論考が様々に存在している。ここで紹介したいところだが、長くなってしまうのでまた別の機会とさせて頂ければと思う。英語版Wikipediaにも色々と書かれているほか、近年の論考としてFrederick Wojnarowski & Jennifer Williams (2020) Making mansaf: the interplay of identity and political economy in Jordan's ‘national dish’, Contemporary Levant, 5:2, 161-177も注目される。ご関心のある方は目を通してみてほしい。

最後に、なぜイラクのアイマン・フサインのゴールパフォーマンスは挑発となってしまったのだろうか?マンサフはヨルダンの国民食であるとはいえ、米と羊肉を使った料理、あるいは手を使った食べ方は東アラブ地域、あるいはアラビア半島地域に広く見られており、ヨルダンの隣国イラクの人々がこれを知らないとは考えにくく、それを揶揄する気持ちは分からない。1点、フサインが右手ではなく、左手を使って食べる姿をしていた点は引っ掛かるのだが、食事は右手という文化規範はフサインも共有しているだろうと思われるところ、不思議である(しかも、前半のヨルダン選手のパフォーマンスでも左手を使っている選手がいるように見える)。

好意的に見ればフサインがヨルダンへのリスペクトを示したと捉えてもよさそうな気もするのだが、判定を見る限り、そうではなかったようだ。このような見方をしてしまうのは、ピッチ上の空気、さらには会場の空気が分からない、画面越しの視聴者の限界である。地域研究にフィールドワークが一番なのと同様、スポーツもライブが一番であるということを再確認する機会となった。

いずれにせよ、今回のサッカー・アジアカップ、日本代表とともにヨルダン代表の活躍も目が離せない。

(渡邊駿)

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