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まっすぐな国境線1

 中東の地図を見ていると、国境線がまっすぐなことに気づきませんか?たとえば、エジプトの地図を見てみましょう。エジプトは南はスーダン、西はリビアに接していますが、それぞれの国境がほとんど直線であることがわかるでしょう。ご存知のかたも多いと思いますが、実はエジプトとスーダンの国境線は北緯22度の緯線上に引かれており、エジプトとリビアの国境線は東経25度の経線上に引かれています。つまり、西欧列強が地図上の緯線・経線に沿って適当に線を引いたからなわけですね。ところどころグニュグニュとなっているのは遊牧民が移動するので、それに合わせたといわれています。

 国境線はちょっとずれただけで、大問題になり、場合によっては戦争にもなりかねません。1980年に勃発したイラン・イラク戦争しかりです。この戦争自体、いろいろな原因がありますが、両国の国境になっているシャットルアラブ川の領有権・航行権が原因の一つになっていました。

 また、産油国の場合、その下に油田があったりするとまたやっかいで、たとえば、イラクとクウェートの国境にまたがるルメイラ油田もまた、1990年の湾岸危機の原因の一つとされています。この場合、イラクは、クウェートがルメイラ油田の石油を盗掘していると主張しましたが、クウェートはもちろんクウェート側の油井から生産しているので、知ったことかということでしょう。

 中東の国境線は、西欧列強によって歴史や文化、民族や宗派をほとんど無視したかたちで引かれることが多かったので、当然、さまざまな矛盾をはらんでいます。しかし、中東の場合、もともと国境線を引くということ自体、歴史的にはほとんどなく、むしろ属人的なかたちで領域が認識されていたことのほうが多かったのかもしれません。具体的にいうと、自分のところに税金を支払っていたり、忠誠を誓っていたりする人たちが住んでいるところが自分の領土という考えかたです。

 しかし、近現代になり、西欧型の領域概念、つまり主権国家はすべからく領域を有し、したがって領域と領域の接点に線を引かねばならないという考えかたが中東に無理やり当てはめられることになりました。そのため、従来の属人主義的な領域概念とのあいだで矛盾が生じてしまったということになります。

 また、隣国同士が仲がいいというのは、日韓関係でもそうですが、実はまれで、むしろさまざまなしがらみで拗れる関係になるほうが一般的でしょう。英仏、英独関係でも歴史的にみれば、むしろ良好な時期のほうが少なかったかもしれません。たとえば、イラクは長く、クウェートがイラク領だと主張していました。イラク・クウェートの国境は湾岸戦争後、国連の調停で画定しましたが、画定したといっても、歴史に根づいた感情的な部分までは解決できません。そのあたりがむずかしいところです。

 バハレーンとカタルも同じです。バハレーンの王族であるハリーファ家はもともとアラビア半島中部からクウェートに移動し、その後、カタル半島北部のズバーラを拠点に支配を現在のバハレーン島にまで拡大しました。その後、ワッハーブ派の攻撃があり、ハリーファ家はズバーラから離れてしまい、その間に現在のカタルの首長家であるサーニー家がカタル半島に支配権を確立します。しかし、ハリーファ家はその後もカタル半島奪還を目指し、しばしば攻撃をしかけます。両国のあいだにはそういう因縁があるわけです。両国国境が画定したのは2001年、国際司法裁判所の裁定を両国が受け入れてからです。この裁定でバハレーンはカタルとの係争地だったハワール諸島をバハレーン領として認められ、カタルはズバーラをカタル領として認められました。

 また、たとえば、サウジアラビアとUAE(アブダビ)の国境は1974年に署名されたジェッダ協定で画定したことになっています。UAEが英国から独立したのは1971年ですが、サウジアラビアはUAE(アブダビ)と国境問題を抱えていたので、UAEを国家承認せず、ようやく1974年のジェッダ協定を契機にUAEを承認したのです。さて、では両国国境はどうなったのかというと、実はまだ解決していません。まず次の地図はGoogle Mapのものです。

 それから下の画像は、筆者がその昔、UAEで購入した教育用の地図帳に出ていたUAEの地図です。違いがわかりますか?上のGoogle Mapの地図だと、カタル半島の付け根の東側でUAEとカタルのあいだに割り込むかたちでサウジアラビア領が入っていて、UAEとカタルは国境を接していません。ところが、下のUAEで発行された地図では、ちょうど同じ場所でサウジアラビアがカタルと国境を接しているところが、UAE領になっています。つまり、この地図ではUAEとカタルが国境を接しているわけです(الاطلس العربي لمناهج الدراسات الاجتماعية في الامارات العربية المتحدة)。

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 カタル半島の付け根の東側にホウル・ウデイドと呼ばれる湾があるのですが、そこがカタルとUAEの国境になっています。そして次の地図は1980年に出版されたサウジアラビアの地図帳(英語)から取ってきたものです。

IMG_20210923_0001 パノラマ写真 (2)

 こちらは一目で違いがわかるでしょう。アブダビの半分以上がサウジ領となっています(Hussein Hamza Bindagji 1980. Atlas of Saudi Arabia, Oxford: Oxford University Press)。当然、ブレイミーの一部もサウジ領になっています。ただし、カタルとの国境については、Google Mapの記述と同じ、あるいは近いかたちになっています。実はジェッダ協定はサウジアラビアは批准しているけど、UAEは署名はしたものの批准していないといわれています。両国は、近年、同盟国として堅い絆を誇っていますが、実は歴史を辿ってみると、けっこうバチバチしている時期もあり、調子のいいときはいいかもしれませんが、いつなんどき感情的な面が暴発し、綻びが出たとしても不思議ではないのです。そうしたときに、もっとも感情的になりやすいのが国境、あるいは領土ということになっるかもしれません。

(保坂修司)


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