33. タワマンからの逃亡。

夜、多摩川の河川敷。正面に二子玉川、川の向こうに武蔵小杉。僕にはあまりにも見慣れた光景だから、ビルの数や航空障害灯の位置でなんとなくわかるけど、初めて見た人にどっちがどっちでしょうって問題出しても、わかんないだろうな。

だって、全部同じだし。

タワマンに住んでる人は、なんか流産が多くなるらしいよ。あと、風が強くて窓開けられないって聞くけど、どうなんだろう。結局高層階病って本当に存在するのって話。僕はあると思ってるけどね。まあ、住んだことないから、全部噂話でしかないんだけど。
最上階とかあれ地上何mなのよ。鳥の世界でしょ。地に足つけて生きていこうぜ。
だいたい、地震起きたらどうすんの?電気止まってエレベーター動かなくなったら?その状態で水止まったら?っていうかそもそもどんだけ揺れるん?

そんなこんなで、僕が将来どういう生活を送るにしても、住処にタワマンを選ぶことは恐らくないんだけども。別にタワマンに住むっていう価値観を否定してるわけじゃないからね?


話は変わるけど、最近お台場の散歩ルート、また新しい道を見つけちゃったんだよね。東京テレポートの方から歩いてきて、いつもはそのまま国際展示場の駅に入っちゃうんだけど、あそこで駅の左側の歩道橋を渡るの。そうすると、有明コロシアムの方に抜けれて、そのまま学校とかがある方まで行けて、橋渡って豊洲の方までまっすぐ行ける。なかなか良いと思わない?まあこんな説明どうせ絶対誰もわからないんだけども。

重要なのはそんなことじゃなくて。橋の手前の、ユニクロの倉庫の方に突き当たる道。ゆりかもめの駅から歩いてくる道沿いに、ドーンドーンと2つタワマンがそそり立ってるじゃん。

この前、いつものように夜一人でそのタワマンの麓をぼーっと歩いてたんだけどさ。春休み中だったのもあるかな、小さい子がたくさん一緒に遊んでて、それをお母さんたちがおしゃべりしながら見てて。親と子とそのコミュニティの、何気ない一瞬が、なぜか、とても、心に、響いた。

なんだろうなあ、うまく言葉にできない。

多分その感情の主体は、諦めきれない自分だった。

詳しい話はまた今度するけど、あの光景は、おそらく僕があと何百年生きたとしても、辿り着けないもの。多様性が叫ばれる令和の時代において、一般的な男性の理想の一生がどういうものかはわからないけど、少なくとも一昔前までは、受験勉強に励み、良い大学に入り、良い企業に就職し、昇進を重ねて給料を上げ、退職金と貯金で優雅な老後を送る。こんな感じのが人生勝ち組ルートとされたものだと認識してる。まあこの真偽はともかくとして、生きる過程において、良い時計買うとか、良い車に乗るとか、不動産買うとか、そういうチェックポイント的な目標って、割と誰しもが持ってるものだと思うんだ。そして、現代の現役世代にとってのそういう通過点の一つが、タワマンに住むこと、っていうのはあると思うんだ。

先に言っておくと、これはどっちの方が良いとか、かっこいいとか、そういう話じゃない。自分でもカッコつけてるつもりも微塵もない。ただ、もし僕がそんな素晴らしい勝ち組人生を送れたところで、僕はきっと最後、苦しい顔をしながら死ぬと思う。
こんな卑屈なやつに気持ちを決めつけられるのも心外だろうけど、あそこで見た、タワマンで暮らすお母さんたちは、とっても幸せそうだった。もちろんいろんな悩みを抱えながら日々生活してるんだろうけど、これまでの人生の辿ってきた道に関しては、おおかた満足してるようだった。
なんか、どうやっても卑屈な言い方になっちゃうな。とにかく、ある種の「幸せ」を享受してた。そして、僕には、あの人たちにとってのあの「幸せ」をどうやって得ればいいのか、わからない。チェックポイントを辿っていけば、人並みの幸せにたどり着けるのが、本当に羨ましいんだ。でも、環境がそうさせてくれなかった。広い世界を知ることは、本当に幸せなのかな。茨の道を進めば、必ず楽園が待ってる?


山頂がどこかもわからない山を登り続ける勇気は、どこで売ってますか?


人類がまたバベルの塔を作るまでの辛抱。

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