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陰嚢を切った話 その⑤

いよいよ迎えた手術当日。飲食が完全にできなくなる7時前に最後の水を口にして、後はひたすら待ちます。
昨夜は下剤を貰った割にあまり便が出なかったので、事前にもう1度トイレに行っておきました。

9時に手術室へ徒歩で向かいます。
道中はまるで刑務所のように何重もの扉を通り抜けていくのですが、面白いのが開閉のスイッチが足で踏む形になっているんですね。これは恐らく手の清潔度を維持し続けるための工夫と思われます。医療ドラマなんかでも、手術前の医師が両手を上に挙げた状態で歩いているのを見ますもんね。

術前に再び名前や左右どちらを手術するのかなどのチェックをします。絶対に間違えないように何重ものチェック体制になっています。

そして手術台に寝かされた後、いよいよ麻酔を打たれます。私は下半身の局所麻酔ということで、脊髄に麻酔を打たれました。かなり痛そうと覚悟していたんですが、麻酔医さんの腕が良かったのか、表面をチクっと刺した程度にしか感じませんでした。
少し温かみを感じるようになった後に感覚がだんだん薄れて行って、完全に効いたところで手術開始です。

といっても私の方からは見えないように目隠しの幕がかけられてしまったので、手術の様子について語るべきことは何もありません。
ただ痛覚は無くても足がずーんと重い感じがずっとあって、それこそ何か重しを乗せられているかのような感じでそれがかなりしんどかったです。
しんどいから少し動かしたいけど手術の邪魔になるから動かせない。実際には全く動かせないんですが、自分の中では少しだったら動かせそうな感覚があるので、我慢しているという精神的な苦痛も加わって、手術中は結構きつかったです。
事前に何か音楽の希望はあるかと聞かれて「いらない」と答えてしまったんですけど、こんなことなら音楽でもかけてもらってた方が少しは気がまぎれたかもしれません。

それでも耐えていればいつか手術も終わります。終わったとこでこっちの状況は何も変わらないんですが、とりあえず終わったと聞けただけでも少し気持ちが楽になりました。
そして担当医の方が取り出した精液瘤を見せてくれました。端っこを結紮して切除したので、液が溜まったままの状態です。大きさはテニスボールくらいあったんじゃないかと。
こうやって見ると、よくぞこんなもんが入ってたなと。

しばらく待っているとベッドのお迎えが来て、なんか板を使ってざざーっと流されるように移されて、後はベッドを押してもらいながら病室に帰ります。私はただひたすら流れていく天井だけを見てました。

時間は11時過ぎくらいだったでしょうか?ここから17時までは飲まず食わずで、なーんにもできません。麻酔が効いているのをいいことに寝られたら良かったんですが、それもできなくて、ひたすらベッドの上でダッチワイフのように横たわっていました。
気づかないうちに尿道にカテーテルを入れられていたので、特にトイレに行く必要はないのですが、大の方をしたくなったらナースコールで呼んでくれと言われました。やはり事前にしておいて良かった。

ちなみにこの時は左腕に点滴の針、胸にいくつかのセンサー的なもの、右手にパルスオキシメーターらしきもの、そして両足には血栓防止のためのマッサージポンプを取り付けられており、ちょっとした管人間になってました。
これがまた辛い。
なんでかわかりませんが、この日はずっとプロレスラーの高山善廣のことを考えていました。彼は2017年に首から下が動かなくなってしまったのですが、それでもずっとポジティブな気持ちを失わずに情報発信を続けていてホントすごいなと、この時はひしひしと思いました。
私はこの状態が3日続いたら、鬱になってもおかしくないと思います。

まーとにかく何もできないってのは思った以上にしんどいのです。

(つづく)

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