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AI雑感 ー 自分の良さと差別化価値に、あらためて向き合うことなんだろうな。

AIについて、色々と思うところあるので、一旦私のPosition Paperを作りました。

  • まず、白黒つける話ではない

    人の仕事が奪われるとか、将来人間がやる仕事がなくなるとか、そういう単純な話ではないと思っている。元々僕らが長期ビジョンで、もう少し人がやらなくてもいい仕事をAIに、あるいは機械にやらせたい、と話していた2017年当時から、大きく変わっていないと思う。

  • 音楽でのAIの使い方から未来を想像する

    昨年12月のWiredのイベントで見たAIの使い方が一番わかりやすいように思うので、紹介しておきます。
    徳井直生さんとSTUTSさんの対談でした。

    徳井さんもアーティストであると同時にAIを研究している方で、創造性を活かすためのAIの活用、具体的にはAIが何らかのプロンプトをベースに、作成してきた音源を「活用」して自分の創造性を高める取り組みを提唱していて、そのステージで、STUTSさんが出したプロンプトに対する音源アイデアを、STUTSさんがMPCを使って、切り刻み、組み合わせ、新しい音源に作り替えていく。

    確かに、自分の経験や、他者を参考にしながら、出てくる音源とは異なるものをAIは生成してくれる。ただ、それが直接、人間が作成する音楽を作れるかどうか、という点では、正直まだそのレベルには達していない、という説明だった。

    著作権の課題も言及があった。これは、AIが何を教師データとして、拾ったのかわからない問題。他人の著作物を拾ってくる可能性もあり、この点がAI生成品を自分の作品として提示するには、リスクを抱えているという点もある。チェックしてもしきれない。想像力が要求される世界で、AIをそのまま使うには、AIの家畜化というか、何を教師データとして食わせるか、という点で入力を制限するか、どの著作権も踏んでいない、というチェック機能を高めるか、のどちらかしかない。後者は「カラスは黒い」を証明するのが不可能のようなもので、「どの著作権も踏んでいない(=白いカラスが1羽いるだけで仮説が成立しなくなる)」を証明するのは、かなりハードルが高い課題と思う。

    もう一点、品質の課題(この点は中期的に解決されるだろう、という説明だったけども)。細かい技術的な説明は避けるが、音楽の厚みは「音源の品質」に依存する、ということで、AIが作ってくる音源はまだ圧倒的に音数が少ない(=品質が低い)。ただ、我々アマチュアにとっては、CDとMP3程度の違いだとすると、「ちょっと薄いな」程度かもしれないが、それはプロにとって、流通を通して販売できるレベルではない、と。あるいは、そのアマチュアにとっての微差を、AIが解決しようとすると、サーバー側の負荷が著しく上がり、かなりな量の電力負荷が発生する。人の想像力、あるいはデータをベースに組み上げていく人間の役割がまだまだあるように思う、と実感した。

    ここがポイントなのだが、音楽の領域だけでなく、ビジネスの領域でも、程度の差こそされ、同様の状況になるのが自然だと思う。というよりも、そう思っておいた方が、人間として可能性があって、楽しい。

  • プログラムとプロンプト

    一点大きな変更点があるとすると「文系」「理系」の分け方は今後変わってくると思う。「プログラム」と「プロンプト」の方がしっくりくる。AIをうまく使いこなす人間は、特殊能力かつ、発掘が難しい。また、プログラムを作る人間もある程度の準備と、学びが必要だと思っている。この点が、教育プログラムに実装されるには、もう少し時間がかかるとすれば、せめて就職の視点で、この観点から職種を分けてみても良いように思う。
    例えば、製品の開発をAIが担うなら、プロンプトができる文系の人でできる可能性もある。あるいは、法務の担当者も、判例の管理に長けるだけなら、AIで良いが、一つの法的経験か再発防止をどのように設定するか、という点は法律の専門家よりも、プログラムの人間が担う可能性があるように思う。

  • あらためて、教師データについて

    昨年Biplogyの淡々伯部さんとの対談で、淡々伯部さんは、AIが食べる教師データを「2次データ」「1次データ」「0次データ」の3つに分類して、「0次データ」の重要性の説明を行った。ここでいう、2次データは一般にインターネット上で、AIが取得できるデータ、1次データが企業内にとどまるデータ(例えば拠点売上とか、顧客分析とか)、そして0次データが個人が有する感覚とか、経験というデータ。AIは現時点では、1次データは食えない(ただし、社内でのみ使える限定環境で、生成AIを実装させれば食えるようになる)し、0次データのデータ化にもまだまだ時間もかかる。手法の開発も必要。当面は、我々ビジネスパーソンとして、あるいはこの世界に入ってくる学生に向けて、自分の0次データの整理、感性の鍛錬が必要である、ということを説明されており、将来を憂う人にとって、非常に強いエールだと感じた。彼のUdemyにおけるAI活用の研修は、非常にためになるので、興味ある人は、こちらで受講を勧めたい(私自身、日常で生成AIを使っているが(新年の挨拶も、Linkedinのメッセージも、熱波師検定をとった部下のニックネームを作業もCHAT  GPTである)、流石にここまで知恵と経験を共有することは思いつかなかった)。

  • まとめ
    今50歳の私は、2030年には57歳、2040年には67歳、2050年には77歳になっている。

    私の世代は、2050年の世界を、主役ではなく、脇役として体験できるような気がしている。それくらい、生きているような。おそらくそれは、2050年の高校のゴミ捨て場で、フォロワーのいない高校生に、ボランティアの私が、昔話をしているような存在。その時、自分が、未来の高校生に何を語っているのだろう?その話題は、ここから7年くらいで、私がすることにかかっているな、と考えながら、人間ドックの待合室で、この文章を書いた。

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