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多かれ少なかれ,後悔という感情は

こんにちは、永田洋一です。今日は少し哲学的な話題に触れてみたいと思います。

「後悔先に立たず」とか,「覆水盆に返らず」という言葉があります。

それぞれに語源があり,深い意味もあるのでしょうが,何となく「後で悔やんでも仕方ないので,今熟慮してしっかりがんばろう」という解釈をしているところです。

それにしても人生,後悔することばかり起きます。先日,映画を見に行こうと30分で着く道のりを1時間も前に家を出ました。しばらく進むと何と事故です。車が長い列をなし,もう1mmも前に行けない状態がしばらく続きました。

こういったとき,思います。「あのときの道を左に曲がっておけば。」「これが急がば回れということか!」と。

ようやく5分遅れで映画館。オープニングを見逃しつつも内容の素晴らしさに恥ずかしながら人生2回目の号泣。

もちろん,1回目は生まれた時。覚えている範囲で号泣という部類に入る「泣き」は初めてといってもいいぐらい泣きました。

ところが,一緒に来ていたつれあいが,私の「泣き」が気になり過ぎて泣けなかったと冷めた表情。そしてこう思ったわけです。

「一人で来ればよかった。」

このことから分かることは,選択・判断の自由が担保されてさえいれば,どんな結果であれ,そして多かれ少なかれ,後悔という感情は大体いつもついて回るものだということです。

そして大切なことは,その感情。すなわち,手段を選んだ結果を「ちゃんと受け止められるかどうか」ということだと思う今日この頃です。


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