人の気持ちは分からない。あなたは教師あり学習で人の気持ちを学習する人ですか、それとも教師なし?
こんばんは、今日もおつかれさまです。
人間の気持ちを勉強中の人間です。
「人の気持ちを考えなさい」
小学生の時、人を泣かせてしまったり、悲しませてしまった時、
先生にこんなことを言われませんでしたか?
今、思えば文字通りの意味ではなく、自分がしてしまったようなことを逆にされたらどう思うか想像してみようという意味で、先生は言っていたのだと思います。
本当の、人の気持ちなんて分からないですもんね。
この言葉は、定型句のように、小学校の先生の口から転がり落ちていっていました。
ケンカをした時、道徳の授業の時、作文をする時、絵を書く時、、、
私は、それを拾いながら、できるだけ人間の気持ちを想像しました。
それはなかなか難しいものでした。
あれかな、これかな、どれかな?
「人の気持ち」の実際を答えとして、探し始めてしまっていました。
私は、テストに回答するように、答えを求めていたのです。
「人の気持ちを考えなさい」
この言葉を先生が発する時、それには多くの場合答え合わせがありました。
それは、人の想像力に正解と間違いがあると暗に子供に刷り込むような行為のように思えました。
それが、悪いかどうか分かりませんが、
社会に適合するように人間をデザインするのが教育ですよね。
それを、忘れていました。
失礼、失礼。
閑話休題。
「答え合わせ」に話を戻すと、
例えば、子供同士のケンカでは、大抵両方の子供に原因があるので、先生は、お互いの気持ちを考えた上での行為や発言だったかということを子供たちに問い詰めます。
そして、最終的に子供たちに、お互いの気持ち(言葉で発せられたもの)を交換させ、相互に謝罪させることによって、ケンカを解決したものとします。
この状況において、どちらかの子供が泣いている場合がありますが、そうである場合、その子供は自ら気持ちを述べる可能性は低いです。そうなると、先生が想像した「気持ち」をその子供のが首を縦に振り同意することで、その子の気持ちとして、相対する立場の子供に送られます。
こうして、答え合わせは、先生の誘導による「気持ち」によって行われます。
ここまで、書きましたが、すみません。
本来書く予定にしていた内容と、違ってきてしまいました。
私が書きたかったのは端的に言うと、
「私には人の気持ちがよく分からないので、事例研究をして勉強しています」ということです。
人の気持ちを強化学習しています。
なんだ、これ。
着想元:「人間失格」 太宰治
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