愛猫が教えてくれた「親の心子知らず」


岸田奈美さんの「キナリ杯」を初めて知ったのは、Twitterだった。

その時は「へー」としか思わず、まさか自分が応募するとは思わなかった。
「おもしろい文章」というものは、自分に関係ない世界のことだと脳が認識していたのだろう。

次に目にしたのは、Facebook。敬愛する統計心理学の師匠が「この企画いい!」とシェアをしていてくれた。
1回目は、この企画の背景やそこに込められた岸田さんの想いというのを知らなかったけれど、noteを読んで号泣した。


【賞金100万円&50賞】岸田奈美のキナリ杯!おもしろい文章が読みたい 5/31〆切
https://note.kishidanami.com/n/n616a85e2c70f


まず、政府の緊急経済対策の10万円を「自分を支えてくれるもの」「自分を応援したいもの」に使うという心意気に感動した。

私の10万円の使い道はというと、これから来る我が社の冬の時代に備えての補填としか考えていなかった。パートナーは、自分は受け取らなくてもいいから、もっと本当に困っている人に上げたいという。

緊急事態宣言下の自粛期間中に色々参加しまくったZOOMミーティングで知り合った男性は「何に使おうかな?もう決めました?」とワクワクしながら聞いてきて、使う前提のプラスアルファのお小遣い感覚なのかと驚いた。

潜在意識コンサルタントさんは「私は貰わない」と宣言されていて、エネルギーの法則的に得たものはいずれ出ていくから、本当に困っていない人は貰わないほうが良いと話していた。それを聞いた私はというと、本当に困るの定義とは?が気になって仕方なかった。

この10万円に対する価値観も本当に人それぞれで、コロナのお蔭で普段は見えないものも可視化されたと思う。


話を元に戻して、岸田さんのキナリ杯に関するnoteで私が最も心を打たれたのは、以下に引用するご家族の話だった。

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文章には、言葉には、温かくて、強い力があります。
その強い力は、みんなが持っています。

私の母は、車いすに乗っています。満員電車に乗って、毎日通勤することができない。でも母は、優しくて強い思いを綴り、本を書いて、辛い思いをしている人に寄り添うという尊い仕事をしました。

私の弟は、知的障害があります。難しい言葉はわかりませんし、皆と同じようにコミュニケーションをとることもできない。でも弟は、本と照らし合わせて一文字ずつひらがなを書き、一人で心細くしている私に手紙を送ってくれました。

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私は家族が大好きだ。
これに気付いたのは、ほんの数年前。

それ以前は憎んでいたし、選べるものなら選ばなかったとすら思うくらいに存在を受け入れ難かった。

でも、その根底には愛があって、捻くれてしまった結果、長年にわたり愛情の裏返しで憎み続けてきたのだと分かった。

分かったからと言って、すぐに感情も対応も変えられるわけもなく、今は愛情を愛情として伝えられるよう捻じれたものを元に戻している最中だ。

だから、岸田さんのように真っ直ぐに家族のことを愛し誇りにしている人の言葉に触れると、私の中の捻じれた家族愛が爆発して、涙が止まらなくなるのだ。

私にはキナリ杯のコンセプトである「おもしろい」文章はかけないけれど、岸田さんが考える「おもしろい」の一つの要素である「実際にあったことを題材にしている」に合致する話を書こうと思った。


最近、親の愛について不思議な体験をした。

飽きっぽい私が、5年以上に渡り片道3時間半かけて通い続けている治療院がある。

治療中に目を閉じて横たわっていると、2年前になくなった飼い猫が近くにきていると意識で感じた。

私は子供の頃に1回、成人して社員寮に住んでいる時に1回、高熱でうなされてポルタ―ガイストに遭遇したことがあった。それでも自分にはその手の感覚はないと思って生きていたけれど、客室乗務員になって色々なホテル、それも出ると噂される場所に宿泊するようになると、高熱もないのにポルターガイストが度々起こり、それは日常化してしまった。

会社の施設の中で、昔航空機事故に関連した場所に一人で行くことも居ることも出来なかった。室内なのに突如風が吹いてきたり、尋常じゃない違和感を感じたり、感覚的に恐ろしくてたまらないのだ。

元々鈍いので、それでも自分に霊感があるとは思いもしなかったのだけれど、ある日転職してきた外資系航空会社出身の同僚も、私と同じ場所が苦手で同じような経験をしていることがわかった。

だからと言ってどうすることも思いつかず、そのまま過ごしていた。

それから少しあと、仕事もプライベートもすべてがうまくいかなくなり、もう社会的にやばいんじゃないかとどん底になった時に治療院に繋がった。

初めて治療院に行った後は、自分の背中や肩が軽くなり、いつもギューツとしていた眉間が開き、視界は明るく、見たことも体感したこともない世界があった。

一番驚いたのは心の変化だった。

息をしているだけでうっすら楽しい。人と話したいと思える。
それまでは、うっすら人が嫌いだったし、ベースが仕方なく生きているような状態だったから。

どうやら自分は影響を受けやすい状態だったということがわかった。

それ以降は、恐ろしい目に遭った時は真言宗の護摩祈祷に参加して大音量の読経を聞いたり、お守りを持ち歩いたりして乗り切った。

しばらく経つと、影響を受けることはなくなった。

過去に何か悪いエネルギーのようなものを感じることは極たまにあったけれど、その日の治療院では生まれて初めての経験をした。

特定の何か、それも自分に害のない存在が近くにいるのを感じたのだ。

2年前に他界した愛猫だった。

なぜ、愛猫が今ここに?何だろうとそのままやり過ごした。

愛猫は、私が一人暮らしで飼い始め、就職活動と共に実家に預けて、その後18年実家で暮らしていた。

彼女は私のことは別に好きじゃなかったし、母の方がいつも一緒に居たし、何で私の所に出てきたのだろうと不思議だった。

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翌日、ZOOM瞑想会でハートを開く瞑想をした。「ハートに大切な存在を思い浮かべて」と瞑想の先生の誘導のままに、直感的に昨日出てきた愛猫を思い浮かべたら、不思議なことに愛猫の思考が私の意識の中に入りこんできた。

愛猫が実家に預けられた後の映像が見えた。猫は一人ぼっちで室内から実家の庭を眺めながら、私のことをずっと考えていた。「私の飼い主は私を置いてどこへ行ってしまったんだろう、どうして戻ってこないのだろう」と何日も何日もずっと大人になるまで、毎日私のことを忘れずに、私を思っては悲しんでいたのだ。

私は狭いワンルームに閉じ込められ外にも出られずに、ほぼ1日中1匹でさみしく過ごすよりも、庭もあって広い家で家族もたくさんいる実家に行くほうが、愛猫にとって幸せだと勝手に思っていた。

でも、愛猫はずっと私のことを考えていてくれていた。

家の広さとか庭なんかどうでもよくて、ずっと一緒にいた私がいなくなったことを深く悲しんでいたのだ。

愛猫は二人でいた時は甘えん坊だったのに、実家に預けてから人嫌いになってしまって、年に1度実家に帰る私にも冷たくなった。食いしん坊だったのに、食事も死なない程度に食べている風になってしまった。

それは子供から大人になったからと勝手に決めつけていたけれど、私が原因だったのだと分かった。

この世を去る1年前くらいになると、愛猫は子供の頃に戻った。食欲旺盛で、人懐こくて甘えん坊で、20歳の高齢だから認知症でそうなったのかもしれないと思っていたけれど、この1年間は神様からのギフトのように幸せだった。心が通い合うことが本当に喜びだった。

親は子供に良かれと思って、子供を手放したのに、子は親に捨てられたと思って心に傷を抱えて生きた。よくある「親の心子知らず」と同じことなのだと思った。

私は子供の頃に祖母に厳しくされるのが辛くて、母に気付いて助けてほしかった。
母のことを私に手を差し伸べてくれなかったと憎んで恨んでいたけれど、母は一度だって私が嫌いで何をしたことはなかった。

いつも愛情でいっぱいだったのに、私が勝手に逆恨みしていたんだと愛猫のお蔭で気付いた。

愛猫が、母の愛を教えてくれたと思った。

私は愛猫の命日も覚えていなくて、母からのメールを見返して調べてみたら、治療院で猫が出てきた日が月命日で、1ヶ月後は2周忌とわかった。

母は毎月お参りできるから庭に埋めたいと言ったのに、うちは弟も障害者だし、私も弟も独身だし、その土地に子孫が住むこともないから、土地を手放す時に困ると思って、無理にペット霊園に入れてしまった。

猫と家族の気持ちも考えず、2度も猫を私の勝手で追いやっていたことに気付かされた。

「ごめんね、本当にごめんね」と号泣しながら何度も愛猫に謝った。

来月の2周忌は実家に帰って、お墓参りをして直接謝ろうと思った。
愛猫をペット霊園から引き取れないか相談したいと決めた。

治療院の先生にこの出来事を話したら、「家だろうが、どこでも気持ちを向ければ大丈夫、場所はこちらの問題なので」と返ってきた。

意識とか魂ってそういうものなのかな、形じゃないのだなと考えて少し気が楽になった。遺骨を返して貰うのは、ハードルが高いんじゃないかと思っていたから。

愛猫のお蔭で母の愛に気付き、子供の頃に母に見捨てられたと思い込んでいた自分の悲しみを再体験して、癒すことが出来たから来月の愛猫の2周忌で母と会う
私はこれまでと違っているだろうと確信している。


不仲な私達家族は、愛猫のことが唯一の会話のきっかけだった。
生きているときは私達家族の繋がりを与えてくれて、旅立ってしまった今も私が家族への愛を取り戻すためにこうして大切なことを教えてくれた。

統計心理学のセッション中に、私は憎しみの中に隠されていた母への愛に気付いた。
猫が旅立ったのはその少し後だった。

統計心理学のセッションをしてくれたコーチの一人が、愛猫が去った話をした時に「ペットはもう自分が居なくて大丈夫と思った時に逝くんだよ、あいつらはちゃんとタイミングみているから」と言った意味が今ならわかる。

もう私は自分の心の傷を自分で治せるステップにきたみたいだ。


愛猫、ごめんね。
そして、ありがとう。


#キナリ杯



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