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旅のプランはハードでハートに触れる女四人旅

私の旅行の原点は大学の友達とのオリジナル旅行。
きっと、学生時代だからこそ実行できたことで
もう二度とできないだろうなと思う旅。
ハードな貧乏旅行だったけれど
また行きたいと思える心温まる旅だった。



「時間があってもお金がない」が
合言葉のような私と友達三人。


私の友達を紹介すると
ボランティア活動をしたり行動力があるAちゃん。
おっとりとしたお嬢様風のBちゃん。
几帳面でいつもニコニコしているCちゃん。


学生時代の思い出を残すために
「どこか旅行に行きたいよね」と
誰からともなく話すようになった。
「じゃあ、どこに行きたい?」と聞かれても
ぱっと思いつく北海道や沖縄なんて
行けるわけがない。
現実はどこか近場で一泊二日の旅行が限度かな。
なかなか行き先が決まらないでいたある日…。



いつものように三人でAちゃんが来るのを学食で待っていた。
しばらくすると、Aちゃんが意気揚々とやってくる姿が見えた。
Aちゃんは「じゃじゃーん」といって
鞄から雑誌を出して机の上に置いた。
「旅行の候補地の提案があるの。聞いてくれる?」
「近畿地方」と表紙に書いてあるのが目に入った。
近畿地方?! 私たちの低予算で関東から近畿まで行けるの?!
ぽかんとしている三人にAちゃんは付箋を貼ったページをめくって
「わたしね、この橋を見てみたいんだ」と言った。
Aちゃんが開いたページを三人で覗き込む。
そこには「余部鉄橋」と書かれた写真が載っていた。
全く、私の頭が反応しなかった。
どこ?
多分、他の二人も同じだったと思う。
でも、Aちゃんのプレゼンに
三人とも「いいねいいね」と乗り気になる。
Aちゃんが余部鉄橋に行きたかった理由は思い出せないけれど
現在の様子をネットで見ると
海と山の景色が絶景で素晴らしく
人気の観光地になっていて
Aちゃんは先見の明があったんだと
今更ながらに思う。

Aちゃんを中心に
私たちは旅行雑誌と時刻表を見ながら
旅行ルートを考えた。
今から30年以上も前のこと。
スマホやネットを頼れなかった時代。
自分たちの予算と相談しながら
紙面上だけで考えた計画。
実際に行ってみないと
予定通りに行くかはわからない。
無事に帰ってこれるか? というのは大げさだが
実験に成功するのか失敗するのか
それに似たワクワクした気持ちも加わり
当日の旅行が待ち遠しかった。

旅行初日は夜行バスで主要都市まで移動。
私は今でもそうなのだが
車、電車、バス、飛行機の中では
相当疲れていないと眠れない。
ウトウトはしても
熟睡までは無理。
消灯時間になっても
全く眠れず。
友達と話すわけにもいかないから
目をつぶって、ひたすら朝が来るのを待った。


早朝に駅に着くと
トイレで顔などを洗い身支度を整えた。
一応、私たちは花の女子大生である。
城崎温泉に行くために鈍行電車に乗る。
各駅停車の旅が始まった。
私は寝不足だが
他の三人はなんとかバスでも眠れたようだ。
女四人もいれば
会話が止まることもない。
乗り換えを繰り返しながら
無事に城崎温泉駅まで着いた。
城崎温泉での観光は普通に楽しめたと思う。
何かハプニングがあれば覚えているからだ。
お昼を食べて、外湯巡りをして、情景と一緒に写真を撮ったり
お土産を買ったり、女子大生らしい旅行ができた。

次はAちゃんが見たかった余部鉄橋だ。
すでに外は暗く
一日目に余部鉄橋の姿をはっきりと見ることはできなかった。
余部鉄橋を渡り、餘部駅に到着する。
ホームに電車が入り
車窓からの風景を見て
一気に不安が押し寄せた。
真っ暗でなんにもない。
そして雪がわずかに積もっている。
そう冬休みを利用しての旅行だから
それは想定内にしても
私たち以外、誰も降りない。
そして、無人駅。
なぜこの駅に降りたのか。
それは、ここから歩いて行けるユースホステルに泊まる予定だった。



駅は高い場所にあり
市内に行くには
暗く長い坂道を下って行く。
私たちは、がっちりと腕を組み、横一列で
何の歌を歌ったかは忘れたが
陽気に恐怖を打ち消すように
大声を出しながら早歩きで町の明かりを目指した。

そして、ユースホステルの場所がすぐにはわからずに
少し迷ったと思う。
やっとのことでたどり着いた
ユースホステルでは温かく迎えられ
夜ご飯は「カニ料理」で
食後はペアレントさんがギターを弾いてくれた記憶がある。
お腹は満たされギターの音色で
旅の疲れは一気に吹き飛んだ気がした。
いや、これから夜中に自分が体験することを思うと
疲れは吹き飛ばさないほうがよかった。


建物は私が通った公立中学校のような造りだった。
古い感じはしたものの
カニが食べられたし、ペアレントさんの雰囲気も良くて
当たりだったねと部屋で感想を言い合った。
ユースホステルはドミトリーといわれる
一部屋に二段ベットがいくつか置いてある相部屋だった。
閑散期で一部屋に私たちだけだったから
気兼ねなく過ごすことができたし
二段ベットの二階に寝るなんて
子供部屋みたいだと、はしゃいでいた。
そこまではよかった。
やがて、就寝時間がやってきて消灯。
バスでは寝ていないし、疲れているんだから
朝まで熟睡すればいいものを
私は夜中にトイレに行きたくなった。
ベッドの一階に寝ているなら
さっと起きて行こうと思ったかもしれない。
けど、ベッドの二階に寝ている。
部屋は薄暗く、不気味さを感じる。
トイレに行くまでのシミュレーションを頭で考える。
まずは、ベッドの階段から落ちないように降りる。
トイレは部屋の外で
これまた薄暗い廊下を歩かなければならない。
トイレを我慢しているのもあるが身震いがした。
朝まで我慢だ、いや誰かを起こして一緒に行ってもらおうか。
しばらく、悩んでいる間でも
他の三人は寝息を立ててスヤスヤ寝ている。
起こしたら悪い。みんな疲れているんだから。
我慢しようと思うと余計に気になって
ますますトイレに行きたくなる。
夜はまだ長い。
勇気をもって行くしかない!
そこからの私は障害物競走で
一位を狙っているかの如く
階段を踏み外しそうになりながら下りて
二段ベットの通路を通り抜ける。
履きなれないスリッパが一番の障害だ。
廊下に出て一心不乱に早歩き。
後ろは振り向かない。
窓の外は一切見ない。
トイレに到着するとトイレ用スリッパに履き替え
用を足し、また廊下を早歩き。
部屋に戻るとベッドの階段をよじ登り
布団をかぶって寝る。
運動をした後にすぐに眠れるわけもなく
しばらく、じっとしていると
誰かが起きる気配がした。
Aちゃんだった。
「トイレ行こうよ」
と寝言のように話すのが聞こえた。
私は「さっき行ったけど、ついていくよ」と起き上がる。
二人なら暗い廊下も怖くなかった。
今後も四人で旅行に出かける機会があったが
それぞれうまく役割分担ができていた。
Aちゃんはもちろん旅行プランを練る係。
私は寝つきが悪いので夜のトイレや眠れないときの話し相手になった。
他の二人の役割は後に後に。



明るくなってから余部鉄橋を見ると
あんなに高いところから歩いて来たことに驚く。
(当時の写真が手元にないので、noteのみんなのフォトギャラリーから
余部鉄橋の写真を見出し画像に使用させていただきました)
また餘部駅に戻り、次は天橋立を目指す。
私はその道中にピリピリした雰囲気を作ってしまう。
寝不足もあってか仕切ってくれているAちゃんと
小さな言い合いが始まる。
すると、おっとりとしたBちゃんの登場だ。
旅行に行くと普段ではわからない友達の性格もわかる。
その一つが旅行鞄だ。
Aちゃんは必要最低限。私はなんかごちゃごちゃ。
Cちゃんは収納上手でコンパクトにまとめている。
Bちゃんは何泊の旅行ですか? ってくらいの大容量!
おやつもたっぷり、ドライヤーも入っている。
Bちゃんの言い分が「だって、お腹が空くと怒っちゃうよ私」
すらっとした体形で大食い女子というわけではないが
甘いものがないとダメらしい。
そして、Aちゃんと私にチョコをくれたりするのだ。
お腹が空いてイライラしているわけではないが
チョコを食べたら、確かに気分が和らいだ。
Aちゃんも機嫌を直してくれたのか
「夜はトイレに付き合ってくれてありがとう」と言った。
「いえいえ、どういたしまして」と答えると
「あの時、実は窓の外になんか見えたんだよね」
ひええええええ! オカルト話?! 
旅先ではよくある怪談話?
私たちは一斉に耳をふさいだ。
その様子を見てAちゃんは
「嘘だよー」と笑った。


日本三景の天橋立では
お決まりの股のぞきをして
帰りの電車の時間まで
天橋立周辺の観光を楽しんだ。
ここまでの旅行記を書くのに
Cちゃんに連絡を取って
トータルの旅費を覚えているか聞いてみた。
彼女は普段の生活から家計簿をつけていた。
使ったお金は1円でもメモに残しておき
帰ってからまとめて記すのだと話していた。
費用の管理はCちゃんが得意だった。
残念ながら当時の家計簿は残っていなかったが
懐かしい話で盛り上がり
子どもの手が離れたら
またみんなで旅行に行きたいねと
あの頃のような気持ちで約束した。



城崎温泉、余部鉄橋、天橋立の旅行を成功させた私たちは
その後も春休みや夏休みに旅行に出かけた。
岐阜の飛騨高山や岡山の後楽園、広島の安芸の宮島。
すべての旅行は高速バスや鈍行電車移動。
そして、宿はユースホステルや国民宿舎や民宿を利用した。
最後に行った石川県金沢市の民宿では
親戚の家に泊まっているような感覚だった。
両親が民宿を経営しているため
夏休みで家にいる子供を連れて
一緒に観光旅行をした。
今まで泊ってきた宿は人との距離が近く
そこで出会った人々と食事には本当に恵まれていた。
女四人旅は、その土地土地のハートに触れる機会がたくさんあって
とても私の人生を豊かにしてくれたと思う。
そして、旅先では幾度か機嫌が悪くなる私をうまくとりなし
成長させてくれた友達に感謝の気持ちを伝えたい。























#わたしの旅行記

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