生きるということ



今日、このタイミングでどうしても書きたかったのでここに残します。

今朝ニュースで、樹木希林さんの訃報を目にしました。

実は樹木希林さんは、私にとって一つの価値観を生み出した方なので
ショックでした。

ちょうど1年くらい前かな。
何かのドキュメンタリー番組に出られていて、
そこで死生観について語られていました。

(まあ内容については長くなるので調べてみてください)

ざっくりいうと「死ぬことを悪いとは思っていない」
みたいな内容だったと思います
(ざっくり過ぎた)

私の中で、一つひとつの言葉が衝撃的で。
もやっとしたあのときの感情が今でもこびりついています。

でもそこで思ったのは、
そういう死生観に関する取材とかって
長生きしてる人や病気を患っている人のところにいきがちですが、
別に私みたいに若くて元気な人だって、
同じように「明日死ぬかもしれない」
ということ。

だからもちろんのこと、明日死んでも
「我が生涯に一片の悔いなし」、といえるように
日々を過ごしているわけですが。

一つ考えていることがあって

「死んで」も、「生き続ける」ことができると思うんです。

たとえば、私が小学生の頃に死んでしまったおじいちゃんは
今でも私の記憶の中で生き続けているし、

スケールが違いすぎますがあれだけ数々の功績を残した
樹木希林さんの価値観や言葉に救われた人たちは
いつまでも彼女のことを覚えていると思う。

誰かの心の中で生き続けている限り、
人は ”生きている”ことになると思うんです。

(まあこれはなかなか宗教的な考え方でもあるので
矛盾点などについては軽く流してください)

じゃあ本当に人が死ぬのは

誰からも忘れ去られてしまったとき。

誰の心からも消えてしまった時。

本当の意味で、人は死ぬ。

もし物理的に明日死んでしまっても(それはいやだけど)、
この生涯に悔いを残さないように

私の生きるコンセプトは、

「誰かの心の中で生きる」です

だから少しでも多くの人の中で生き続けたいし、

そうなるには「あ、そういえばあいつはあんなことを言っていたなあ」と
思い出してもらえるような影響を
与えられる”何か”を
作り出さなければ、発信しなければならない。

まだはっきりとは掴めていませんが
いつか形にして
伝えるので

あとは熱く語るのは得意ではないので
寝ます


最後に、
樹木希林さんのご冥福をお祈りします。

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