生成AIの凄さに驚愕。そして実感したこと。

先ほど、初めてChatGPTを利用してみたが、
その性能の凄まじさにしばらく呆然としてしまった。

自分の中では凄く抽象度の高い質問だと考える
「世界で最も抽象度の高い言語は何か?」という質問を
投げかけてみたところ、

予想以上に素晴らしくまとめられた、
バランス感覚さえも感じさせる回答が瞬時にして返ってきたからだ。

少なくとも、私が自力でこれだけの内容の情報を得るには、
相当な時間と手間を要しただろう。

ネットでの情報収集というと、
検索エンジンとYoutubeくらいしかやってこなかったが、

この方法だと、単語や短いフレーズでの検索になるし、
検索上位だからといって、
自分が求めていた情報がそこに含まれているとは限らない。

なので、
・検索するためのキーワードやフレーズを考える。
・出てきた検索結果のサイトを訪問し、その内容を確認する。
・足りない部分については、また別のサイトを訪問したり、
別の単語で検索しなおす。
・得られた情報を自分で整理する。

といったプロセスを経なければならず、
しかも途中に挿入されるリンクや広告に誘導され、
思わぬ脱線をしてしまうリスクも少なくない。

しかし、生成AIだと、ある程度の長さの質問であっても、
かなりの精度で自分の要求した情報を、
その質問に即した形で回答してくれるのだ。

これには本当に衝撃を受けたのだが、
これだけの能力をAIが持っているのなら、
人間に求められる能力は、生成AI登場以前とは
大きく変わっていくことが予想される。

ではどういった能力が求められるようになるだろうか?
それは、次のようなものになっていくのではないかと考える。
 
①「自分を豊かにする概念や情報と出会う」ということ。
知らないことは、検索しようがない。
どんなにAIの情報収集・編集能力が優秀だからといっても、
AIを駆使するためには、自分にとって必要な問いを立てなければ
何も始まらないだろう。

そして、その問いを立てるためには、
自分なりに目的意識をもって生活する必要があるだろう。
そうやって初めて、自分の目的にとって必要な情報が見えてくると思う。

そう考えると、自分にとって必要な概念や情報と出会うためのあり方
というものが、今後益々重要になってくるのではないか。
 

②「身體を駆使して経験を最大化する」ということ。
これは、身體による情報収集力を高めるということだと考える。
もはや電子的な情報を収集する能力は、
AIが代替してくれるようになったため、

人間がやれることというのは、
「身體を駆使した情報収集とその経験値化」だと思う。

なぜなら、AIに対して圧倒的に人間が差別化できる点とは、
「肉体を持っている」ということだからである。

食べ物から栄養を摂取し、自分の血肉とし、
生命を維持したり細胞を修復したりするように、

五感を駆使して環境から情報を収集し、
それを自分の経験に落とし込むという
「身體を媒体とした情報処理能力」こそが、
今後必要度を増してくるのではないか。

 
③「得られた情報を鵜呑みにせず吟味する態度」
AIから得られた回答を鵜呑みにするだけでなく、
それと一定の距離を保ち、
自分でその妥当性を吟味する態度も必要ではないか。

タイパやコスパばかりに囚われると、
手っ取り早いラクな方向に流されてしまうため、
得られた情報をつい鵜呑みにしたくなる。

これは、腹が減っている時や時間が無い時には食べ物をろくに咀嚼せず、
流し込むようにかき込むのと似ているかもしれない。

食事はよく噛んだ方が解毒消化吸収に要するエネルギーを節約でき、
内臓への負担を軽減できるため、結果として遥かに効率的であるのと同様、

目先の簡便さを求めて、
本来必要な手間を省くのは明らかにコスパに反する態度であろう。

情報を鵜呑みにせず吟味する態度は、

生成AIが登場する以前でも、メディアが流す情報に対する姿勢として
身に付けておくべきものであったという点で普遍的に必要なものだと思う。

そのためにも、頭だけでなく、先に述べた身體を駆使した情報処理の習慣というのが重要になってくると思う。


◆前向きに活用を検討せざるを得ないかも
生成AIにはかなり違和感があり、容易にこれを使ってしまうと、
人間としての能力が退化することを恐れて距離を置いていたが、

自分の書いた文章のイメージを絵に変換する必要を感じた時、
絵を描くことに強い苦手意識があり、
今後もその克服のための努力を払う予定もない私としては、

そうした分野についてはAIに任せてもいいし、
それで生産性を高められるのなら寧ろ積極的に活用したいと思え
思い切って活用してみた次第である。

やはり大事なことは、「対立ではなく融合」な発想だと改めて思う。

「AIによって人間は職を奪われる」という危機感は、確かに理解できるが、肉体という圧倒的差別化要素を持つ人間だからこそ、
AIには不可能なことをやれるという点を踏まえれば、
徒に危機感や対立的意識を持つ必要はないだろう。

自分が不得手な分野や、
長時間かかっていた作業を代行してくれる有難い存在として、
融合的にAIを活用していきたいと思えた。

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