「何気なく、さりげないもの」が連鎖して良い流れを起こしていくために

何事も「流れ」は大事だと思う今日この頃。

一つの出会いが良い流れを生み、それに上手く乗っていけば、
数珠つなぎ的にまた良い流れを生み出してくれる。

ここ最近は、これまで全く知らなかった情報や素晴らしい人達や
コミュニティとの出会いなど、自分にとって有難い流れが
次々と発生していることを実感している。

とても面白いのが、流れのキッカケは
ほんの些細な偶然に思える場合が案外多いことだ。

例えば私の場合、何気なく参加したイベントで、
何気なく出会った人から、「そういえばこういうものがある」と
何気なく紹介されたイベントにこれまた何気なく参加してみて、
そこから思わぬ出会いや展開に繋がったりしている。

このように流れというのは、
実に「何気なく、さりげないもの」が連鎖して起きているのではないか。

その「何気ないもの」同士が上手く連鎖するには、
自分自身が開かれた態度でいることが大事なのではないか。

そして、開かれた態度でいるために
大事になってくるものが「愉しい」という感覚なのだと思う。

私はかねがね「楽しい」と「愉しい」は似て非なるもので、
「愉しい」は自分本来の独自性の強い感性に由来するものであり、
自分自身や自分に起こる出来事と向き合うことで、
培われるものではないかと考えている。

そうやって自分にとっての「愉しい」を追求していけば、
他者の「愉しい」にも興味を持て、
そこから出会いと化学反応が起きてくるのではないか。

そもそも「良い流れ」というのが起きるのは、
自分と他者の「愉しい」が共鳴し合った時ではないか。

先ほど、偶然に対して開かれた態度でいるには
「愉しい」感覚を培っていくことが大事だと書いたが、

これは、日常的に自分や出来事と向き合い、
それを愉しむという、「普段の備え」によって、

瞬間的に発生する偶然の出会いに「タイミングを合わせて間に合わせる」
ことが可能になっていくと言い換えられるのではないか。

私が何故、自分の世界を持っている人が好きなのか。
他者の「愉しい」感覚に興味があるのか。

それは、良い流れを生み出し、循環させたいという欲求を
本質的に持っているからなのかもしれない。

だから、私自身も、流れの起点となれるよう、
自分の「愉しい」を追求していきたい。

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