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虚構  エ イ チ 病 院

「小説はなんでもあり」との言あれば書かむと思ふ老いの繰り言(医師脳)

 むかし、あるところに、エイチという病院があった。

〔筆者注:エイチの由来を聞かれても困るが、星新一のショートショート風に、ホスピタルのイニシャルを借用しただけのことであり、深い意味はない〕――。

 と、ここまで書いて筆が止まった。

〔くどいが筆者注:パソコンを打っているので、実際に筆を握っているわけではない〕――。

 困ったときは専門家に頼ろう。

『創作の極意と掟』のなかで筒井康隆センセはおっしゃる。

「濫觴(らんしょう)というのは、小説に於いて言うなら冒頭、つまり書き出しのことである。小説の書き出しについては、過去の小説作法にさまざまなことが書かれている。最初の一行で物語の物語の中に読者を引き込まなければいけないだの、あまり気負って書き出すとあとが続くかなくなって腰砕けになるから、肩ひじ張らぬあっさりした書き出しのほうがいいだの、中味をあらわす象徴的な書き出しにすべきだの、いきなり主人公の名前を出して登場させるのは非文学的だの、その他、その他である……」と、長いので中略。

「さて、そこで結論としては。作品の冒頭は個個の作品に最も相応しいものであるべきであり、それがいい書き出しかどうかは作品全体のでき次第で決定される、ということになる。逆に、名作とされる作品の冒頭部分を読めば、その作品はそう書き出すしかなかったのだと思わせてしまうからなのだ」と、あっさり肩透かしを食らわされる。

「ならば」と、肩ひじ張らずに書き出してみよう。

     *

「むかしむかし……」

 と言っても、そんなに古くはない。昭和の末か平成の初め頃だろう。

「あるところに……」

 と(誤解や祟りが起きないよう)一応ボカシてはあるが、みちのくの城下町らしい。

 その町に、本編の主人公〈エイチ病院〉はある。

 かつて、みちのく医務局から初度巡視にきた年配の局長は、病院の建物を見て呟いた。

「昔の療養所だねぇ」と、懐かしの名画『愛染かつら』を連想したのだろう。

 知る人ぞ知る話だが、当時は撮影スポットを見物にくるファンが絶えなかったとか……。

 その〈エイチ病院〉に噂話が流れた。

 夜な夜な語りだすというのである。

 もともと衛戍(えいじゅ)病院として明治時代に発足した施設だから、その手の噂が起きても不思議はないだろう。

 真偽は別として……。

「こんな話を聞いた」という話を聞いた人が語った話を聞いた人から聞いた話だが……。


第一夜 『少子化対策』

 21世紀に入っても多くの病院が「親方日の丸」に固執する中で、いち早くエイチ病院は独立行政法人に名乗りを上げた。

 これに対して、200施設以上の統廃合を迫られていたアアセイ省は、モデルケースとして異例の優遇策を提示した。

 少子化対策を推進するという条件付きではあったが、独立行政法人化にあたり臨床研究部まで新設してくれたのである。

 この大きすぎるご褒美が生まれた裏には、中央省庁同士の駆け引きもあったらしい。

 大都市における余剰医師現象は全国的傾向となり、ブンブ省は医学部学生定員の大幅削減に重い腰を上げた。

 その煽りで教官定員も削減されたため、余剰人員をアアセイ省が受け入れたのである。

 医学部教授会に人事権を握られていたアアセイ省としても、紐付きでない医師を大量に選別できるというメリットがあった。

 エイチ病院臨床研究部では、少子化対策として〈環境ホルモン〉に注目した。

 正式には内分泌撹乱物質と呼ばれ、生体にホルモン様作用を与える環境中化学物質である。

 プラスチックや農薬など多くの工業製品に含まれる合成化学物質が、弱いエストロジェンのような作用をするのである。

 そのため野生動物の雄の中には、ペニスが著しく小さかったり産卵したりという、雌性(メス)化の兆候を示すものが増えてきた。

 ヒトに関しても20世紀後半には、精子数が半減したという報告が出されていたのである。

 それにも関わらず、環境ホルモンを含む工業製品の乱用に歯止めが掛かることはなかった。

 アアセイ省が2005年に行った調査では、100種類以上の環境ホルモンが人体から検出されている。

 その結果、精子数の著しい減少化のほかに、女性では子宮内膜症の増加が社会問題となっている。

 つい最近のテレビワイドショーでも、人工授精を用いずに妊娠した夫婦の話題が取り上げられたほどである。

 ただしワイドショーのことなので、真偽のほどは不明だが…。

 エイチ病院の臨床研究部では、究極の少子化対策ともいうべき〈イザナギ・イザナミ計画〉が進められている。

 具体的な研究内容はアアセイ省から公開を止められているが、国連が提唱している〈ノアの箱船計画〉に関連したものである。

 同じような計画が世界中で進められており〈アダム&イブ計画〉ならびに〈ジャック&ベティ計画〉は既に完了している。

 地球上から環境ホルモンが消失した暁には、超高性能細胞保存装置のなかの精子と卵子が自動的に人工子宮へ送り込まれ、第二の人類が誕生する仕組みにはなっているのだが…。

「ああ、しゃべってしまった」

第二夜 『病理解剖』

 最近の全国的な傾向として、病理解剖の件数が著しく減少している。

 それに伴い臨床研修病院の指定を取り消される施設が相次いだ。

 というのも、前時代的な指定基準(年間剖検例が20体以上・剖検率が30%以上)が残っているからである。

「法律は匍匐前進で現実を追いかける」なんて、まことに巧いことを言う役人もいた。

 伝統だけは100年以上を誇るエイチ病院でも、病理解剖件数の確保が重要な課題であった。

 病院存続の危機と思い詰めた病院長は、帰宅前に医局の黒板に大きく書き残した。

「剖検数が20体不足です!」という文字は、翌朝早く出勤してきた医師の手で素早く消された。

 その結果、大勢の目に触れて失笑を買うこともなかったが、相変わらず剖検数の不足は続いた。

 エイチ病院で剖検数が激減したのは、死亡退院が減ったからに他ならない。

 22世紀に入ってからというもの、日本人死亡率は大幅に低下した。

 それと言うのも、エイチ病院にかぎらず多くの場合、死にそうになると患者は退院してしまうのである。

 まるで剖検を拒否するように、今日もまた瀕死の患者が〈超高規格救急車〉で運ばれていった。

 それと入れ替わるように、別の患者が臓器移植センターから搬送されてきた。

 数週間前に超高規格救急車でエイチ病院から運ばれ、腹腔内全臓器移植を済ませたばかりの患者である。

 多臓器移植が普及した現在では、脳死が人間の死として社会的にも受け入れられている。

 脳移植を推進する議論もあったが、他人の記憶まで移植されては世の中が混乱するという理由で、臨床実験は取りやめになった経緯がある。

 脳死と判定された場合も、脳味噌以外の臓器は全て特殊処理されて冷凍保存されるため、やはり臓器移植センターへ搬送されるのである。

 その際に使用される車は、超高規格救急車と全く同じ機能を有しているが、外装は黒塗りで「超高規格霊柩車」と呼ばれている。

 臓器移植センターでは、臓器を取り出したあとの遺体をごく稀に解剖することもある。

 しかし、ここでも法律の壁は厚く、脳だけでは剖検数として認められていないようである。

第三夜 『臨床教授』

 エイチ大学医学部では、臨床実習の依頼施設を対象に〈臨床教授〉や〈臨床助教授〉という称号を与えてきた。

 臨床教授の資格は、博士の学位を有するなど7項目の全てに該当し、教育研究上の能力があると認められる者とされている。

 また、学位項目の削除と年数の短縮によって、臨床助教授の資格も定められている。

 医師の平均年齢が高いこともあって、エイチ病院では多くの医長が臨床教授の称号を受けた。

 また、学位を持っていない医長や中堅医師は臨床助教授となった。

 ご褒美といっても無報酬であり、単に名誉勲章的意味合いしか持たないが、それでも名刺にエイチ大学臨床教授と刷り込む者まで現れた。

 医長連中が臨床実習に目を向け始め、医学部教授会の作戦は見事に大成功であった。

 しかし、この制度が始まって10年もたつと、無冠なのは大学からのローテーション医師が数名だけという状況になった。

 さらに、部屋のプレートを「医長室」から「臨床教授室」に代えるのが流行し始め、その中に埋もれて「院長室」の威厳が無くなってしまう。

 当然のように、臨床教授会や臨床助教授会も毎月開催され始めた。

 称号は一度与えられると更新の審査などもないため、いつの間にか制度自体が形骸化してしまった。

 そこで医学部教授会は認定資格を見直す。

「学生の臨床教育に熱心な者」という一項が抜けていたことに気づいた。

 新しく定められた規定では、その項目を盛り込むとともに「任期は1年」として「毎年公募」することになった。

 さらに臨床実習を受けた学生の代表数名が医学部教授会のメンバーと一緒に審査にあたった。

 臨床教授や臨床助教授のモチベーションを高めるため、教育助成金が配分されたことは言うまでもない。

 それと呼応するように、独立行政法人エイチ病院の医長資格が見直された。

 病院外からのメンバーも含む理事会では、病院機能評価スタンダード39版に沿うよう、異例の大抜擢人事改革案を実施した。

 その結果は、医長の若返りが図られるとともに、臨床レベルの大幅なアップにもつながった。

 もちろん、臨床実習を受けた学生の評判も高く、研修医やレジデントの希望が殺到した。

 そのため、今年は二段階選抜で採用試験が行われたという話である。

 これも噂ではあるが…。

第四夜 『診察券』

 外来予約制が完全に実施されてから、エイチ病院では診察券が使われていない。

 それとともに、駐車場や外来の慢性的な混雑も解消された。

 迷惑駐車の車両ナンバーを読み上げる院内放送。

 患者さんを診察室へ呼び入れる看護婦の声。

 テレビから流れ続けるワイドショーやメロドラマ。

 それに負けじと会計窓口での呼び出しマイク。

 ……それら全てが消えてしまった。

 今では、アルファー波を基調としたBGMが楽しめる静けさである。

 昔話になるが、紙の診察券を外来窓口に差し出していた頃は、朝早く診察券だけ出しにきたり、他人の診察券の下に入れて順番をごまかしたり、あの手この手が横行していた。

 そういうトラブルへの対応も、外来窓口の看護婦にとっては大切な業務であった。

 早朝から受付の順番待ちをしているお年寄り同士が「あのひと、今朝ぁ顔みねけど具合でも悪いんだべが」などと心配する光景も、今では笑って話せる語りぐさだ。

 その後、診察券が紙からプラスチックに変わり、エンボスカードとして使用されるようになった。

 伝票へIDなどを書き込む手間が省けて職員は大喜びであったが、患者さんにとってのメリットは何もなかった。

 逆に、事務当直が再来受付器のスィッチを入れるまで、ずっと並んで待っていなければならないのである。

 もちろん立って行列していたわけではなく、常連さんたちは再来受付器脇のベンチに架空の番号を振り、そこに座ってお喋りをしながら時間をつぶしていた。

 時代の流れで患者サービスが叫ばれるようになって(形ばかりの外来予約制ではあったが)アアセイ省から地方局を通じての強い指導により始められた。

 しかし、外来業務の増加を心配する看護部の強い反対にあり、電話での予約やキャンセルは受け付けないということになった。

 その結果、予約実施率は予想どおり低いままで推移しただけでなく、前もってキャンセルの連絡を受けられないため、外来は以前にもまして混乱した。

 時は移り……エイチ病院のエージェンシー化にともない、真っ先に行われた業務改善は遠隔診療も含む外来患者の完全予約制である。

 あらかじめヴァーチャル・クリニックで簡単な診察を受けた患者さんは、予約日に来院して検査や処置を受ける手筈になっている。

 手術もone day surgeryが多いため、平均在院日数は欧米なみである。

 外来患者の新患率ならびに紹介率も高く、先月の飛び込みは車ごとロビーに入ってきた飲酒運転の外傷患者だけであった。

第五夜 『全自動駐車管理システム』

 エイチ病院の建物を見て、初度巡視にきた地方局の役人は「昔の療養所」と評した。

 なるほど確かに、正門を入ると大きな松の木などが植えられたロータリーがあり、朝夕など患者さんの散歩姿も見られる。

 これを半周して正面玄関に立つと、ロビーから延々と長い廊下が続き、その両側には低い建物が連なっている。

 まさしく、懐かしの名画「愛染かつら」のワンシーンである。

 全体構想もないまま増改築を続けた結果、駐車場として使えるスペースが少しずつ狭くなってしまった。

 それに加えて車での来院者が増加したため、外来のある午前中は建物の周り全てが車で埋め尽くされてしまう。

 正面玄関前まで駐車場になると、院内放送で移動のお願いをするが効果はない。

 車の中までは院内放送が聞こえないので、空いたスペースには別の車が入り込むというイタチゴッコになる。

 庶務課の窓から双眼鏡で駐車場を調査した結果、混雑の新たな原因が明らかになった。

 近くにあるエイチ大学の学生が(大学構内の有料駐車場を敬遠して)エイチ病院の駐車場を利用しているのである。

 その行動パターンを解析した結果、駐車場からまっすぐ正門を出る初心者グループと、一旦は玄関へ向かって受診する素振りを見せてから正門へ戻る常習者グループとに分かれた。

 大学当局への申し入れにもかかわらず、若くて健康そうな患者さん(?)たちは減少しなかった。

 エイチ病院では駐車場の混雑と不法駐車を解消するため、外部委託による全自動駐車場管理システムを導入した。

 ノウハウを持つ業者に手抜かりはなく、連絡を受けた警察官が正門前の五叉路の交通整理に駆けつけてくれた。

 おかげで5月1日のオープンも無事にすみホッとした頃、ルーレット族が現れてゲートが機能できなくなった。

 それも妊婦健診のある毎週木曜日に限って、奥さんを送ってきたご主人がロータリーを回っているのである。

 仕方がないので、無料駐車時間を「30分以内」から「3時間以内」へ延長した。

 混乱を避けるため、外部委託業者はラジオのスポットニュースも利用した。

 それをカーラジオで聞いてきたという小父さんが、処置室の看護婦さんを誉めていた。

「やっぱりネイチャンが一番だ。機械にチュウシャされるんだば、ゴメンだ!」

第六夜 『アウトソーシング』

 1997年12月3日に出された行政改革会議の最終報告によると、行政機能の減量(アウトソーシング)という見慣れない言葉が使われていた。

 還暦も間近のエイチ病院では、お役所体質の生活習慣病から脱却すべく、エージェンシー化の第一歩として減量を始めた。

 アウトソーシングのモデルケースとして、アアセイ省のプロジェクトに採用されたことも幸いであった。

 既に、リネンサプライと院内清掃業務は外部委託していたが、今回のプロジェクトでは可能な限り推進するのである。

 まず手始めに、病院内外から不評の電話交換業務を24時間テレフォンサービス会社へ委託した。

 これは職員が持っている院内PHSにワープさせるサービスであり、交換手は病院内にいないので文字どおりのアウトソーシングである。

 それが極上のチャーミングボイスのため、交換手から苦情も出た。

「当直の研修医が、何度も電話をかけてきて困るんです」

 さらにドラスティックな改革は、給食部門全体を外部委託したことである。

 担当した外食産業の〈クッテリア〉は、メニューの個別化を行い残飯量ゼロも達成した。

 また病院内に新設されたレストランも、カロリー計算されたヘルシーメニューが評判である。

 地上十階のレストランから眺める夕暮れの岩木山は素晴らしく、わざわざ食事のために病院を訪れるカップルも増えた。

 続いて医療事務と臨床検査が改革の対象となり、それぞれ代行サービス会社に業務委託された。

 業務量に応じて派遣する人員を増減するため、月末の請求事務も短時間で終了してしまう。

 しかも、審査官の査定ポイントをわきまえているため、先月は査定率ゼロを達成した。

 臨床検査代行サービス会社では、患者さんの採血から検査結果の整理まで行うフルサービス体制をとっている。

 さらに、病理解剖が必要な場合には24時間体制で解剖スタッフが派遣されるため、エイチ病院での剖検数は少しずつ増加してきた。

 ついに数日前の理事会で、病院長をアウトソーシングするという決定が出された。

 今夜も院長室では病院幹部が善後策を練っている。

 胸につけたバッジを磨きながら、事務部長が締めくくった。

「病院を辞められたあと、院長先生には我がデリバリー人材派遣会社の入社試験を受けていただくということで…」

第七夜 『不良債権』

 金融ビッグバンを目前に、日本の大手銀行は不良債権の処分に頭を悩ませていた。

 そこへ目を付けたのが、アメリカの金融機関である。

 既に同様の危機を乗り越えノウハウを持つ彼らは、一刻も早く手放したい日本側の足元を見て、二束三文で買い叩いた。

 それも買収されたのは利用価値のあるものだけで、結局は本当の不良債権が残るという結果に終わった。

 これを見たアアセイ省は、口達者な幹部を選りすぐって渡米させ、密かにHMOとの接触を始めた。

 交渉に際しては弱みを見せないよう、全国の国立病院や療養所の立地条件の良さを強調した。

 端から無理を承知の交渉にもかかわらず、HMOは全施設を職員付きで一括購入した。

 売却金額については、政府の判断と言うことで明かされなかった。

 当時の週刊誌ネタによると、〈特殊会グループ〉も購入の打診をしたが、医師会からの強力な裏工作で実現しなかったようである。

 完全なアメリカンスタイルで病院経営を始めたため、職員の多くは最初の数年で退職してしまった。

 アアセイ省が職員の生首を切れないため、HMOと結託して売却劇を仕組んだという噂も飛んだほどである。

 大きな変化と言えば、職員の補充を人件費の安い東南アジア系に求めたことと、病院内での共通語を英語にしたことである。

 ここまでドラスティックな大改革も、日米安保のガイドライン見直しの際、アメリカ側の言いなりになったことに始まる。

 もちろん、有事の際のアメリカ軍支援策のため、後方ベッドを提供することになった施設ばかりではない。

 エイチ病院はHMOの傘下に入った今も、売却当時の姿そのままで残されている。

 朝8時半になれば院内放送から「名も知らぬ~」のメロディが流れ、同時に外来窓口のシャッターがガラガラと開く。

 夕方には「カラスなぜ泣くの~」のメロディとともに、医局の酒宴や事務室での時間外業務なども当時のままに繰り広げられている。

 アアセイ省からHMOへ売却が決まった際、日米政府間で極秘の取り決めがあった。

 アメリカ側から不良債権との査定を受けた施設は、「日本的文化の継承」という名目で保存されている。

 そこで働く私たち職員には、退職金などもない代わり、死ぬまで停年もないのである。

 今日も大勢の患者という名の見物人たちを前に、親方日の丸を振って殿様稼業を演じている。

第八夜 『プリペイド・カード』

 〈テレカ〉がテレフォン・カードで、〈ハイカ〉はハイウェイ・カードの略称という。

 このほかにも多くのプリペイド・カードが利用されており、小銭を持ち歩く面倒から解放されるとともに、プレミアムがついているときは割引になるというメリットがある。

 カード発行者側のメリットには、先に金を受け取り実際に購買に使われるのは後という時間的ずれによる金利の利益と、カードが使われないままになってしまうという不使用利益が期待される。

 エージェンシー化とともに、エイチ病院で実施された幾つかの大改革のなかに、ホスピタルカード〈ホスカ〉の導入がある。

 〈ホスカ〉販売元である売店は〈ホスカ〉での買い物にキャッシュバックサービスを始めた。

 これが大当たりで、お見舞いの花束に〈ホスカ〉を添えるのがトレンドになっている。

 これに刺激された隣の食堂では、絨毯を敷き詰めた〈ホスカ〉専用レストランを作り、日替わり健康食メニューとドリンクサービスを始めた。

 サービス部門で試行が順調に進んでいるのを受けて、いよいよ医事でも〈ホスカ〉を導入することになった。

 最初は入院患者だけを対象にして、それぞれの病棟で〈ホスカ〉による入院費の支払いを受け付けた。

 土日や休日の退院でも〈ホスカ〉で会計を済ますことができるため、昨年度は2000万円近かった未収金が今年度はゼロになりそうである。

 さすがにキャッシュバックというわけにはいかないが、死亡退院の際には専用宅急便サービスが用意されており、これが予想以上に好評である。

 外来でも本格的に利用するため、小型の自動支払機を医師の机の上に設置した。〈ホスカ〉を挿入してから診察を始め、検査や処置の項目を打ち込むと同時に会計が終了するため、患者さんは会計窓口で待たされることもなく帰宅できる。

 なかには、診察時間に応じて支払機が表示する残高に気づき、「薬だけで…」と早々に帰る患者さんもいる。

 今日も外来では〈ホスカ〉を抜きとる度に、緑色の自動支払機が「ピピッ!ピピッ!」とやかましい。

 最近、門前薬局でも〈ホスカ〉での支払いを受け付けたが〈格安ホスカ〉の売買をしているという噂もでている。

 さらには、使用済みの〈ホスカ〉を再生する闇ルートもあるらしく、額面1万円の〈ホスカ〉を支払機に挿入したら残額が100万円と表示された。

 ついに、神聖な病院の中にまで魔の手が入り込んでいるのか……。
     *

筒井康隆センセ

 ここまで書き連ねたところへ、筒井康隆センセがタオルを投げてくださった。

「だから文学作品において、展開は作家の自由である、ということをまず言っておこう。そこにこそ小説の自由さがじとつ存在するからだ。しかしながら、だからと言って小説の展開がそんなに恣意的であっていいのだろうか。『展開』という以上は小説を構成するうえで、内容が次第に開かれたものになって行く必要はあるのではなかろうか」――。

「例えば作家が、自分の書きたいこと、書きやすいことから順に書いていった場合、最後に近づくにつれて作家の書きたかったことの残滓が、まるで金魚のウンコのように書き加えられているだけという結果になってしまう。しかし、例えばその残滓に、テーマの盛り上がりを読者に感じさせるような工夫が凝らされていれば別だ。だが別段、そんな苦労をしなくても、作家に校正力さえあれば自然な展開でテーマをクライマックスに導入することができるのである。だがどんなに苦労しても、そうならない場合も実はある」――。

 最後のひとことで、心も筆もが折れた。

 〔筆者注:駄文を書いているのはパソコンであって筆ではない。なお、本編に登場する人物や組織・施設など全てが虚構であることを改めて念押ししたい〕

 ――すべて虚構である。

筒井康隆著『創作の極意と掟』に学びしが吾が短編に進歩見られず(医師脳)

老醜も「老いの美学」と言ひたるは筒井康隆。筆力鼎(かなへ)を扛(あ)ぐ

「虚構だ」とあへて断る掌編もいづれは老いの愚痴と言はれむ

◇参考文献

 『創作の極意と掟』   筒井康隆(講談社文庫)

 『老人の美学』   筒井康隆(新潮新書)

 『筒井康隆入門』   佐々木敦(星海社新書)

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