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「柿の精」に関する考察

 口承文芸の事例として、ここでは「柿の精」という日本の昔話を取り上げる。「柿の精」というタイトルは「まんが日本昔話」というテレビ番組でもとの話を編集して取り上げられた際のもので、もともとは「タンタンコロリン」という妖怪に関する民話のようだ。

 隣の柿がほしいお婆さんのもとに、ある日入道坊主がやってくる。そしてつぶれた柿の実のようなものを皿に盛って戻ってきたが、お婆さんが食べてみるとこれが大変おいしかった。

 そこへ息子が家に戻ってくるのだが、のぞいてみると入道坊主は皿に糞をした。そして、それを持って居間にもどり、あろうことかそれを母親に食べさせたのである。

 怒った息子は家から出てきた入道坊主をまさかりで殺し、翌朝男はつぶれた柿の実に変化している。それと同時に、あれほど実っていた隣の柿は、全部地面に落ちて食べられなくなってしまうという話だ。

 なんとも汚い話のようだが、ここで興味深いのは、熟した柿が排泄物に見える、という点だ。現代では柿をそこまで熟して食べるという習慣はないが、それでも柿と排泄物は似ても似つかないであろう。

 また、このようないわばスカトロめいた話がなぜいまでも民話として語り継がれているのかについても興味深い。普通であれば、このような汚い話はすぐに絶えてしまうであろうと思われる。

 これら二点を考え合わせると、どうやら柿を排泄物に見立てたことが、この話が今でも語り継がれている要因になっているのではないか?

 本物の排泄物を食わせる話であれば、恐らく気分が悪くなってすぐに語られなくなるであろう。柿という、少し排泄物から離れた対象にすることによってこの話が受け入れられていると思われる。

 また、子供はこうした排泄物の話が大好きだ。この昔話は、おそらく子供に向かって話されたのであろう。そして柿というわりときれいな果物を選ぶことによって、語る大人にとっても抵抗感がなく語りをするきっかけとなったのである。