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感情に素直になろうと思った日

小さい頃、感情の起伏が激しめだった気がする。

小学生になった時、理由は分からないけど
いじめの標的になった。

本ばっかり読んでいて、ノリ悪いとか
始まりはそんな理由だった気がする。
読書が好きなんだから、しょうがないだろうよ。

田舎の閉鎖的な環境で、保育園から中学校まで
顔ぶれも変わらないような小さな地域で標的になるのは
その地域を出ていくまで続く、と同じ意味になる。

いじめの詳細はここでは書かないけど
小学校の丸々6年間、ほぼいじめられて過ごして
激しめだったはずの私の感情の起伏は
どこかへ行ってしまった。

中学校に入った途端、いじめっ子たちも傍観者も
今までいじめてたことなんて無かったかのように
仲良くしてきたのに慄いた。

ほんの1か月前までの出来事なのにね?

中学校の3年間は、自分の本当の感情よりも
周りの顔色を読んで感情を決めていた。
相手が先生でも、同級生でも、母親でも。

幸いと、高校は地元から離れたところを選んで
楽しく過ごすことができた。
あまりに楽しくて感情のタガが外れたのか
コントロールできなくて
最初の1年間はずいぶん友達に甘えた気がする。
今でも続いてる友達には感謝しかない。

社会人になって、自分が泣きやすいことに気がついた。
マイナスな時だけじゃなくて、プラスな時も泣ける。
でも、周りを見たら そんな人はいなくて。
自分がおかしいのかもしれない、と恥ずかしくなって
これは、あまり表に出さない方がいいんだなと思った。

それから数十年。
そろそろ、私の人生の折り返し地点に近い歳になって。
もう、素直に感情を出してもいいんじゃないかな、と。

嬉しくても悲しくても、感動しても悔しくても。
周りから観たら、なんで泣くの?!ってなるかもだけど
自分に、我慢させなくていいのかも。

最近、身の振り方をよく考えるけど
つい自分軸で考えるのを忘れてしまうので
一緒に、自分に我慢させない方法も考えよう。

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