孫世代にも生きる希望を見せてくれた人

高3の秋、母がかけたCDが最初の出会いだった。

イントロの圧と、ベースライン、打ち込みのようで自然と高揚するドラム…
全てに圧倒されたのを覚えている。
それまでは、Green Dayのパンクに始まり、オルタナこそがかっこいい、と思っていたバンド少女だったが、
そんな自分の頭を殴るような音が、生まれる遥か前に生み出されていた。

それまでは、Daft Punk程度のテクノをかじることはあったけど、ライディーンを「ポッキーのCMね」くらいに思っていた、そんなにわかな音楽リスナーだった。

東風、中国女、TECHNOPOLIS, Firecracker,… 他の曲を聴くほど、YMOにハマっていった。
アメリカ文化の強い時代に、仏語が歌詞に入っていたり、自分好みな要素はたくさんあった。テレビで知らないうちに聞いていたあの曲のほんとの良さを知った。

ちょうど、夏ごろからの鬱で、受験勉強に向き合う体力もなくなっていた時期にYMOに出会ったことで、
少しずつ勉強に向き合う気力が戻り、問題を解けるようになっていった。
YMOのメンバーそれぞれを調べるうちに、過去にいろいろあったことも知ったけど、年を取ってからの活動にカッコよさを覚えた。
その年の冬には、坂本龍一さんがYouTube配信をしていて、それを聞きながら受験の追い込みをしていた。

私の受験した年は、大震災があった年だった。
第一志望に落ちて、自宅で母校のカリキュラムを調べていた時に、地震が起きた。
テレビでは徐々に災害のニュースが増えて、被災地のことを考える時間が増えた。
なにより、被災した地域は私の母方の出身で、他人事とは思えなかったから。

大学に入学後も、イベントは軒並みなくなったうえに、授業のテーマも
大震災で発覚した環境問題を扱うことが増えた。
その授業で、自分の意見を言おうとしたら、「脱原発っていうやつは現実を見てないよな」っていう同級生が多数で、絶望した。
第一志望じゃないからこそ、こんなことになってるのか?それとも、世間の大多数はそう思っているのか?
当時、自分がおかしいのか錯覚して、孤独だった。

そんな中、私を救ってくれたYMOが、私と同じメッセージを発してくれた。
私の好きなアーティストたちがぽつぽつと声を上げて、身近に私の理解者がいなくても、同じ考えの人もいる、ということが生きる希望になっていた。

だから、YMOのライブ見られたことは、とても嬉しかった。
政治的メッセージもあったから、その場にいた人の何割の人が、そこに賛同していたかはわからない。けれど、アーティスト目当てだけではなかなか参加しにくかったので、8割くらいはきっと同じ考えなんじゃないか、と信じてその場にいた。
私が受験期に元気をもらえた曲を、生で演奏してくれたことにも感動した。

細野さんの握手会にも行った。
幸宏さんは、LOVE PSYCHEDELICOのドラマーとして入ってくれたライブでまた演奏を見られて、生きててよかった、と思った。
その後の音楽の指針が、YMO中心になっていた気もする。

先日の幸宏さんの訃報は、覚悟ができていなくて、数日立ち直れなかった。
しかし、身内でもないただのリスナーは、ここで何かできるわけでもない。
以前と変わらず、YMOや幸宏さんの音楽を聴き続けて
彼の作品を生かし続けることしかできない。
だけど、歳が離れていても、かっこいい大人として音楽界を盛り上げてくれたことは忘れないし、意見表明してくれたことに感謝している。


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