私のファンが現れた話

(昨日の記事の続きです)

…私のファン?どういうこと?

「すみません、私はそういう仕事はしてないんです」
「いや、僕はファンなんです。好きなんです」
「えーと、付き添いの方ですかね?」

そのファンと意味することが、自分のブログとは結びつかなかった。
どこで私を見かけたんだろう?大学?就活?ボランティア?
ある時から、私のファンだという人が不定期に声をかけてきた。

「復活と言ってるけど、ここで意味することは、違う時間軸で生きていく、という理解でもいいかもしれん。
 神の時間軸は我々人間のものとは異なるから」
カトリックの洗礼を受けようと思ったとき、慕っていた神父様から言われた言葉だ。
ずっと、科学的にありえないキリスト教の『復活』を受け入れられず、
理系専攻の私は「こんな非科学的なことを理系の私が信じてよいのだろうか」と洗礼をためらっていたが、
自分なりに納得できる理解の道筋を提示されて洗礼を受けることにした。

ファンが現れたその時から、私はその人を覚えようとするのに
どうしてもその顔が覚えられない時間が始まった。
まるで神の復活の話みたいに、急に自分という列車が違うレールに乗せられた。
あの時私は心が浮いていたのかもしれない。あまりいい意味ではなさそうだけど。

そのあと、私は何度も悔しいと思って泣いたことがあった。
それは、仕事でも、恋愛でも、友人関係でも。
そんな気持ちを紛らわすため、一人でふらっと出かけて
展示会、ライブハウス、映画館に足を運んで
たまには気の置けない友人とご飯を食べに行ってリフレッシュしたり
自分が楽しいと思える時間も、少しずつ重ねていった。
でも「こんなときに一緒に楽しさを共有できる人がいたらな」とさみしくなることもあった。

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入社してからしばらくして、「最近筋トレ始めたんだ」と言ってくる男性社員が増えた。
結構それが不思議で、(あれ、私が昔筋トレハマってたのを知ってるのか…?)って思いながら、
「そうなんだー、運動は体にいいですからね」
なんてのんきな返事をしていた。

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部署が変わってから、少しずつ自分の居場所を見つけ始めて、ようやく落ち着いて仕事に取り組めるようになったころ。
…あれ、私、今、思い切り笑ってる
こんな気持ちになったの何年ぶりかな
って気づいた瞬間があった。

それから仕事は忙しくなって、自分のやりたかったことをだいぶこなせたかな、って思っていたら、外出が難しくなってしまった。
それでも、私の生活に支障は出にくかったから、人生のお暇を過ごしている気分だった。(個人差があるのは承知です)

そしたら、また日記を書きたい気分になって
またもや軽い気持ちでnoteを書き始めた。
そしたら、誰も気づかないって思っていたのに、翌日にフォロワーがついた。
文章も、私のものに似ている…。

直後は怖かったけど、その人のほかの記事を読んでいるうちに、いいと思った作品に出会って、その人とつながることにした。
そのころから、「そういえば私のファンって人がいたような…」と思うようになる。

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「あれ、この人に会ったことがある」
私のファンの存在を思い出したのは、SNSだった。
その時までは、遠い世界の人でしかなかったのに、その人の周りの人たちも見ているうちに、確信に変わっていった。

記憶の断片が徐々に見つかって、
相手はいつ私を見かけたのだろう?
その問いを繰り返すたびに新しい記憶がよみがえる
数か月間そんな毎日が続いた。
途中で自分では抱えきれなくなって、母には相談してしまった。

最初のころはあまりいい記憶を思い出せなかった。
だけど、記憶の引き出しをたくさん開けていたら、
私がこの瞬間を共有したい
と思った時に、その人がいた。
私がどんなに失礼な対応をしても、「好きなんです」と言ってくれた。

私のファンだと言ってくれたその人は、私と出かけていて
少しでも楽しいと思えた瞬間があっただろうか。
ファン対応が最悪なのに、どうして会おうとしてくれたんだろうか。
…今からでも、その人の苦しみを少しでも分かち合うことはできるだろうか。まだ間に合うのなら、神様チャンスをください。。。

「彼氏いるん?…そうなんや、まぁそのうちわかる」
久々に神父様と再会したときに言われた。

私のファンだというその人は、最初に会ったときから更に色んな経験をして、とても素敵になっていた。
周りの人が何と言おうと、今の姿は素敵だ。
これからは、その人と同じ気持ちを共有できるように、
相手の苦しみを代わりに飲み込めるように…?いや、
お互いの苦しみを少しでも軽くできるように、
お互いに長く走り続けられるように
その人の思いに応えられるように
自分の人生もその人の人生も整えていきたいのだ。
その思いは、届くのかなぁ。
私はあなたに会えて、あなたの言葉で誠実な愛を知りました。
このままで終わらせたくないけど、まずは本当にありがとう。

「手がキレイで、お父さんの手みたいだなって思ったの」
母がそんなことを言っていた。
私は、その人のことを母みたいだと思っていたけど、父みたいにも見えるのか…。
私に似ているようでいて、私に似ていない。
だけど、出会ったら面白いことが起こるから、私たちは出会ったのかもしれないね。

もしこれが神様のヒマ潰しなのだとしたら、壮大な遊びだな。
(GOGOは昔バンドでやってやりすぎて嫌いになりかけたけど、この曲は好き)

友人の結婚式で流れてて、いい曲だなって思った。結婚も悪くないかもしれない、って思ったきっかけだった。

(2022.2.7 追記)
途中、宗教的な話が出てきて不安になった方もいるかもしれないので注釈いれたいのですが、表現する上で入れたかっただけで、けして特定の宗教を論じるものではありません。
布教の意味合いはないので、そんな考えもあるんだと流してもらえると助かります。

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