昔ブログを書いていた時の話

中学生の時に、ブログを書き始めた。

書きたいと思ったきっかけは、
中学の友人がブログを書いていて、もっと彼女と仲良くなりたかったのと、
彼女のブログが面白くて、
「私もこんな文章を書けるようになりたいな」
と思ったからだった。
当時、私は文章を書くのが苦手で、国語の記述問題が出ると構えていたし、解答欄の8割は埋めなきゃ、って必死に言葉を並べて
何とか文章を伸ばす努力をしていた。
同世代の国語が得意な人たちが大人っぽく見えて内心羨ましかったし、
自由に面白い文章が書けたらどんなに気持ちがいいのだろうか、
私もブログを始めたら苦手な気持ちを少しでも減らせるのかなって。

それと、我が家にパソコンがやってきたのが小学4年とかで、
家族もネットにそこまで詳しくなかったから、
インターネットへの憧れが他人以上に強くなったのかもしれない。
HPの作り方が気になり、HTMLを調べながら
文字の大きさや色を変えるだけでも満足だった。

しかし、今当時の文章を見返すと、ほんとに目も当てられないほどつたなくて、胸がぞわぞわ落ち着かなくなる。。

それでも、中学では(ある時)友人が一気に減ってしまって、
インターネットにすがっていないと孤独で辛すぎたので、
すき間時間に日常の面白かった記録を残すのが私の楽しみになっていた。
(私の身の回りで面白いことが起きることも多かったからね)

でも、ネットに詳しくないから、
アクセス制限とかハンドルネームとかよく分かってなくて、
個人情報は載せないようにしよう、と思ってたけど
最初のころは書いた文章を母に見てもらってから投稿していた。
ハンドルネームは、とりあえず個人が特定されないように、
連想ゲームみたいに適当に漢字を入れて、
性別不詳な感じにしたかったけど、
だんだん自分のことを書いているのに
仮名を使っているのが恥ずかしくなってしまって
結局学校でのあだ名に戻したという。。。
あと、文章に苦手意識があったから、当時流行ってたブログじゃなくて、
ひっそりやれそうなものを探して書いていた。

最初は、アクセス制限かけて仲間内で読む想定だったから、
書いた記事に反応があるのが嬉しかったし、
記事を読んだ友人が、数日後に直接話題にしてくれることも嬉しかった。
友人の書いたブログを読んで、触発された記事を書くこともあった。

自分の記事を後日見返して
「自分の言いたいことがちゃんと伝えられているだろうか」
「誰かを傷つけるような表現をしていないだろうか」
と考えることも増えたし、
記事を書く前からそういうことを考えられるようになってきた。
文章を書く上で、とてもいい勉強をさせてもらった。

だけど、高校生になると部活に塾にものすごく忙しくなって、
記事を書く頻度は減ってしまった。
中学生の時に読んでくれていた友人たちもきっと読まなくなっただろう。

それでも、たまにふと
「あのブログに書いておきたいな」
と思う時が来て、もう誰も読んでいないんだろうなと思いながら
記事を書くこともあった。

そのブログを再開したのは、大学生1年のころだった。
その時は、大学受験で思うような結果が得られなかったし、
大震災があった年だったのもあって自分の気持ちの整理がつかなくて、
本当は友人とたくさん話したいのに話せない
そんな気持ちを紛らわすためにブログに気持ちを吐き出していた。
(まぁ同じブログサービスとは限らなかったけど、結局は最初のブログに戻っていった)

そのころに自分が好きになっていたのに裏切られた、って経験もして
本当に悔しいと当時は思っていたから
やり場のない感情を書きなぐったこともあった。
誰かに読んでもらおうとは思ってないけど、どうしても書かずにはいられない
って気持ちと
まだ出会っていない誰かに気持ちを理解してほしい
って気持ちが入り混じっていたのかもしれない。

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そういえば、いつだったかそのブログに知らない人からコメントがついたことがあった。
「筋トレをしてるんだね。それに懸垂を加えたら完璧だね」
みたいな内容だった…と記憶してるんだけど、
当時私は腕の筋肉が少なくて(いや今もか)、
「ええ!懸垂ムリだしそもそもダンスやってるんでいらないっていうか…」
って思っちゃったんだな。。
その時はちょっと怖くなってしまって、返事を返せなかった。

だから、その人が読んでいるかもしれないけど、
ずっと読み続けるわけないか~きっと相手は私のこと知らないしって思ったりもして、
自分だけの場所だとブログを自由に走り回っていた。

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大学1年の時は、高3の時に聞いた忘れたくない話も書いておきたくて、
いつもバカ記事だったけど、そのころは暗くて重い記事も多かった。
吹っ切れてないけど笑えないくらい自分が失敗した話も書いていた。
でも、それがもし誰かの目に留まって
「何やってるんだよ~自分はこいつよりはマシかな」
って笑えるならそれでもいいやって思っていた。
そう、きっとその人と出会うことはない、だから大丈夫って。

大学2年になると、いろいろと吹っ切れたし、優しい友人もできて
日常生活が充実し始めていた。だからブログを書く頻度は下がっていった。

大学3年の時は、友人に誘われてボランティアを始めた。
「ほんとに人手が足りなくて手伝ってほしい」と言われ、時間も取れなくないし隣の大学だからまぁいいよ、という意識の低い理由だった。
だけど、そのボランティアはブログを始めたきっかけでもあったので、活動で理不尽なことがあったときに
自分の考えをまとめるために記事を書くことが増えた。
友人に相談したかったけど、理解してもらえる自信がないときは、
母に相談に乗ってもらうかブログに書くことで気持ちを落ち着けていた。

ブログで私が「悲しかった」と書くと、知らない誰かがどこかで一緒に悲しんでくれているような気持ちになったこともある。
記事を書き終えて数日後に、突然涙が出ることがあって、自分の記事を読んで誰かが泣いているのだろうか、なんて思ったことも。
だから、その感覚をまた味わいたくて書いていた。

就活が始まるころになると、自己分析をやりましょうって言われて
中学の時から残っていた自分の記録
ブログが絶好の材料だった。
自分は何が好きだった?あの時私は何をしてた?どんな気持ちになった?

…中学の時にダンスやってたんだけど、いろんな要因でそこから離れた。
自分にとってはショックで、やめてからしばらくはダンスを見ることができなかった。
3歳から続けて生活に組み込まれていたが、一気に嫌いになった。
だから、今度は部活でそれを埋めようと思った。

…そうだった、私は昔ダンスをやっていたね。
何を頑張ってきたっけ、私の性格ってどんなだろう?
毎日何かしら記事を書いては読み返し、自分の理解を深めようとした。

就活は概ね満足できる結果だった。ある意味ブログのおかげかもしれないね。

またある時は、ブログの記事やコメントでやり取りをして、思うように連絡が取れない好きな人と会おうとしたこともあった。
それもその時は失敗した、という結果だった。その時は。

就職して1年目は、社会の波に飲まれたのか
自分の知識不足と部署に馴染めなかったことですごく悩んでいた。
おまけに、祖父の寿命もそう長くないと言われて内心不安だらけだった。
中学生の時も泣いたけど、大学で失恋して更に泣いて、ボランティアでも色んなことで傷ついて更に泣いてたのに
就職してからもまだ泣かなきゃいけないなんて…。

外では大丈夫なふりして、ブログやSNSでは弱音だらけ、愚痴だらけ。
どこかで読む人もいるかもしれない、って思って最低限の節度を持とうと書いてたけど、ほんと情けないよなぁ。

そんな風に、気持ちを隠して心を閉ざしていた頃、
急に
「あなたのファンです」
という人が現れた。


(続きはまた明日)

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