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Classroom Indoor Green

教室でClassroom Indoor Greenしてみませんか

 聞きなれない言葉です。教室で緑を楽しみましょうという筆者の造語です。定年後も庭いじりが楽しみになっています。夏休みに帰ってくる孫や子どもたちのために「じいじのセダムづくり」を押し付けようと考えていました。
最近のマイブームはミニチュアセダムの栽培、涼しい部屋で楽しめるのがいいですね。でも僕が使えるのは小さな部屋、なので置き場所に少し工夫が必要になってきました。

ミニチュアセダム

ちょっとClassroom Indoor Greenの説明です


なぜこんなこと考えていたかを少し書いておきます。

学校が変わってきている?

 夏に帰ってきた小学校5年生の孫からの情報なので不確かかも知れませんが、僕にとって子どもたちが屋外で「花を育てる」ことは定番の考え方なのですが、令和の時代になって、少し変化が起きているようなのです。

いなくなったから触らない、触れない?

 確かに紫外線や熱中症の心配はあるし、土を触るのが苦手で「軍手」を使わないと「虫が怖いから」芋ほりは嫌だという子どももいました。
 でも、昭和や平成の時代には直に自然や生き物に触れる場所(環境)が学校でした。

園芸や飼育は「おうち」で、理科のテストは「学校」で?

   たしかに、長い休み中の飼育や水やりの時間の確保が難しく、鳥小屋は感染症対策のため閉鎖され、観察池も干上がり、学校でウサギやチャボを見るということは珍しい風景になっています。よほどのことがない限り学校で「生き物」を飼うことは大きなリスクがあるようです。
 花に限らず「生き物の世話をする」環境が減り学校で飼育係や生き物係の仕事が減ったと孫は言います。
 そもそもコロナ禍が過ぎても、学校に来ない子まで出てきていると聞きます。
 学校を巡っては、新聞紙上にたくさんの見出し「働き方改革」「地域ボランティアの協力」 「子どもの安全確保」「子どもの感染症予防」「家庭での団らん」「知識優先学習」「アレルギー対策」「教員の資質低下」 などなどが見えますが、学校に来ない理由は一つではないと思います。
 ただ、先生だったじいじは、小学校の先生がいろんなことをしなくてはならなくなり、先生たちが忙しくなって、いるんだろうね。と孫と話しました。

学校に「癒し」が少なくなっているのかも、

 そして、学校に「癒し」が少なくなっているのかも、ふっと考えました。
 限られた時間の中で学校が子どもたちに与えることのできた「癒し」という「サービス」の優先順位が下がっただけなのかもしれません。でも、学校に「癒し」が少なくなっているのなら、孫を持つじいじとしては少し心配です。
 コロナ禍が過ぎ、コロナ以前の学校に本当に戻っているのでしょうか?
 コロナ禍での先生たちの対応は大変だったと思います。「ギガ構想」というオンライン学習のための整備の遅れが露見すると慌てて「学習環境の整備」を行うという理由で大量のインフラ整備や機器の導入が学校に入ってきました。当時、先生たちがそうした機器を使いこなすためのスキルがそれほどあったとは考えられないので、先生たちの対応は本当に大変だったと思います。
 学校も「行事の軽減」や「会議の軽減」などを行わざるを得なくなり「運動会」や「学習発表会」は自粛され「プール学習」まで行われない事態になったのですが、反面そのことでコロナ禍の期間は先生たちとっては「知識を伝える授業さえ行えばいい時間」を過ごしていたかもしれません。

 ただ、そうしたことで、親たちの学校への期待がいつしか「塾への期待」に変化してしまったように感じていました。

「なぜ、学校に行かなければならないか」を問い直す期間でもあったのですが、そうした時期が過ぎてもコロナ禍以前の「子どもたちの学力の維持‣保障」と「先生たちの負担減」の議論にこだわることで「コロナ禍以後、学校にこない子どもや教職を希望しない学生が増えたのは仕方のないことなのかもしれません。 
 議員さんや役人、学者さんを除いて、子どもたちの「なぜ学校に行かなければならないか」という素直な問いに「こんな魅力があるから」と子どもたちが納得する答えを回答することのできる大人が少なくなったように思います。
 小学校は、いつからか「勉強ができ、食事が与えられる児童の一時預かり所」に向かっているようで少し寂しい気分です。
 人づきあいが苦手で、集団の中に入ることが息苦しい子どもたちにとって、学校は窮屈で魅力のない鳥かごのようなものに感じるようになっのかもしれません。悲しいことですが、コロナがそうした「鳥かごから飛び出すことのできる時間」になったのなら、その子たちは学校が自分にとって必要な場所だと思わない限り戻ってくることはないように思えます。

従来の考え方生き方に対する見直しが必要じゃないのかな

 古い話ですがコレラが産業革命の後、ヨーロッパで起こると、ヨーロッパでは、従来の考え方生き方に対する見直しが始まったそうです。
 高校の世界史でうろ覚えに学んだことを思い出すと、ルネサンスという文芸復興と呼ばれる「古い時代」の生き方、文化への見直しというか憧れが生まれ、古代ローマやギリシャの人たちの哲学や生き方、考え方をライフスタイルの中に取り入れるようになったと居眠りながらに聞いたことがあります。
 SDGsと言われる環境への意識変革が行われ始めた世界にコロナ禍が起こりました。
 コロナ禍後に様々な変化、経済的なもの、権威やタブーに対しての意識の変化、そして核戦争の脅威まで始まってますが、大きな災害の後には歴史的な必然としての「旧来の価値への問い直し」が行われるものなのでしょうね。当然、学校教育の在り方や指導方法についても。
 モルモットや犬、猫すら「学校で飼うこと」が制限があり難しい中で、ビデオ視聴やネットの情報だけで「自然や生き物の大切さ」「生命の尊さ」が教えられないと「生物」を選択したことがなくても物理や化学の点数で「医師」になれたお医者さんたちを増やすことになるように思います。
 今、テレビなどでも日本の縄文時代への注目度が、密かに広がっているように思います。「日本の縄文時代」という「とても古い平和な時代」への注目は、コロナ以後のライフスタイルを考えていく上で注目すべきことの一つだと思います。こうしたことも学説だけではなく地道な「実物(遺跡)や史料」の調査から判明していくことなのだと思います。
 一万年も続いた平和な時代が古代の日本にはあったことが近年の調査で明らかになっていましたが、なぜ「日本で平和な争いのない時代が一万年も続いたのか」ということは世界では例がない珍しい出来事なのでまだ謎なのだそうです。特に東北や北海道の遺跡の調査では、「定住して、石器の農具はあったが武器は作られなかった」ことが判って来たようですね。

「なぜ」は実物体験の副産物

なぜは体験の裏づけにより深まる


「なぜ」そんなに長い間平和を保てたのかは、これから解明されていくはずですが、争わなくても生きていくための水と食料が日本には豊かにあったのかもしれませんね。「なぜ」はいろいろな想像を生み出します。
 確かに教科の学習の中で「なぜ」を大切にして、こんなことを考えさせることも大切ですね。ただ六年生の社会科の学習ではほんの数ページだけです。
コロナ禍以後の学校生活を豊かにするために、草花や穀物を育てる行為や食べ物を作る行為に注目したいのですが屋外での作業や水やりは楽しい仕事ではないですよね。
 そんなことさせて病気やけがをしたらと心配する保護者や管理職もいるかもしれません。でも、生き物を育てる経験は、僕は必要だと考えてきました。そうしたことが教室から消えていくことを孫たちから聞きながら、ほんのちょっと危機感を感じてしまいました。
 孫たちは、パソコンに向かってスクラッチをプログラミングする方が楽しいそうですが今年のじいじは一味違うところを見せられたと思っています。
indoorグリーンという考え方は北欧等ではインテリアデザインとして定着しています。日本の家庭で部屋の中で花を育てるという文化はあまり定着していません。「切り花」の文化として華道が広まっていたためかもしれませんが、虫や土を室内に持ち込ませないという「清潔さ」を大切にしてきた日本の文化とはなかなかなじまないものだったのだろうと想像します。
 今は令和の時代、こうしたことも、孫たちがやるならと、清潔好きのばあばも許してくれました。
 多分。昭和の学校ならもっと簡単にできたのです。昭和の教室は虫かごや水槽、野菜栽培のためのプランターまでおくことができました。是非はともかく文部省推薦の映画でやっていましたが、校内で豚を飼って食べるという学習をすることもできたのです。習字に朱を入れることに躊躇するより、掲示物の内容に四苦八苦するより教室を「癒しの場にする工夫」も「係り活動を楽しくやらせる工夫」もできるはずですよね。令和の時代でもまだできそうな、子どもたちが自分の手で育てた、植物を教室のインテリアとして育てるということを考えてみました。

材料を集めましょう

鉢の作り方

  学級で何かの取組をするとき、あまり経費をかけることはできません。だから「エコ」や「リサイクル」を意識した取組が必要だと思います。家庭で簡単に手に入るものを「鉢」の代用にすることにしました。

ゼリーやプリンの容器を乾かします


必要な教師用のツール

教師が使うツールも必要ですが、新しく園芸用具店に言って購入しなくてもいい道具で考えてみました。

鉢の作り方

穴をあければ完成です

水抜き穴を作る作業は千枚通しを使うため教師の作業になりますがこれ以外は子どもたちになるべく考えさせることが必要だと思います。

穴は一つで十分です

土づくり


多肉植物用土の代用を考えました

「土」は植物を育てる時に大事な要素なのですが、「清潔な教室」を維持するためには少し工夫しなくてはなりません。育てる素材もセダムにしたのはそのためで、「水やりが少なくてもいい」「落ちても汚れない土の代用品が使える」「きれいに見える」という条件をクリアーできる方がいいし「労力をかけずに安く手に入る」ことが、邪魔くさいことが嫌いな僕の選択肢でした。

 鉢底石とハイドロボール、ハイドロボールとカラーサンド、ヤシの繊維と紙片など2層にすることで育ちやすくなりますがどんな組み合わせがよくて比率はどうなのかを考えるのは子どもたちに任せ、いろいろな材料を用意するのが先生の仕事ですよね。

 素材選びにも関係しますが、失敗した時に補充できる素材(植物)を用意しておくために、先生は自分で最適な土づくりができないと無駄な費用がかさみます。

鉢底石とハイドローボールの場合


いろいろな組み合わせを試してください

 穴開き鉢は教室にベランダなどがあり直置き(ブロックなど上)が可能な場合を想定していますが教室内に置く場合には皿受けが必要になります。教室で置くのにいちいち皿受けを購入するのは無理なので余ったシャーレを理科室から借用していました。

穴の開いていない鉢を使う場合


小さめの鉢が使いやすい

 穴の開いていない「鉢」を使う場合に便利なのが「紙製の苗床」です。穴のない鉢のサイズに見合った「紙製の苗床」を切り分け、水にぬらして鉢に合わせてから鉢底石やハイドロボールを入れて利用します。


苗床を利用します


いろいろな土と鉢の組み合わせ


組み合わせは自由です


試行錯誤してみましょう

素材のセダムを集めます


先生がやっていることなのが大事なのかも


小さな庭で素材を準備しておきました
すぐに繁殖するものを選びます

 取組を始める時期にもよりますが、セダムには春夏に育つものと秋冬に育つものがあるようです。どんなものを選ぶかを子どもたちにインターネットで調べさせ、飼育方法も考えさせられる時間と予算があればいいのですが、「生き物を育てる子」を作ることが目的だったので、「担任の先生が家庭菜園で作っている材料(植物)」を自分のクラスに飾ることに協力してくれる子どもを募集すること、から始めました。
 仕事を子どもに分担するのではなく意欲のある子どもを探したかったのです。余談ですが、特別活動の「係り活動」は「やらされ仕事」では行う意味がないという昭和のアンチ機械的平等論者の発想です。

鉢に植えてみましょう


室内作業は古新聞が必需品です


孫用準備物(100均購入品 4人分660円)税込)


時間があれば切り分けて少し乾燥させてから植えつけます

屋外栽培用の鉢に苗を植えます


ミニ鉢を用意
苗床の装着
水にぬらし成型

ハイドロボールを入れる

紙くずを濡らして被せる
セダムを植える

先生がいろいろ楽しんでみましょう


セダム
瓶の中に入れてみました


試験管にも入れてみました


こんな感じです


じいじの作品 1


じいじの作品 2


楽しんでます


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